朝練が終わって教室へ向かう途中、と遭遇した。女子バドは朝練はさすがにしないらしいが、今日のは一段と登校がゆっくりだ。後ろから「よう」と声をかけると「おはよう倉持」といつもの声で返って来る。…いや、今日だけじゃない。最近は登校時間が以前に比べて遅くなって来た。それは女子バドの練習を遅くまでやるようになったのか、はたまた御幸と顔を合わせる時間を短くしたいのか。
 全く、にしても御幸にしても非常に面倒臭い。が御幸を好きなことは随分前から知っていた。と知り合ってすぐだったと思う。あの人を寄せ付けないが平然と御幸と会話し、あまつさえお昼まで一緒している。まあ、偶然席が前後でお互いに友達がいないと言うのもあったのかも知れないが。そういう些細なきっかけが恋というものに結びつくらしい。の方から「御幸くんが好きみたい」とメールが来た時には、随分信用されたもんだと半ば呆れた。普通知り合ったばかりのやつに言うか、御幸と俺はチームメイトなのに。

さ、御幸好きじゃん」
「…うん」
「言わなくていいのか?多分…っていうか、絶対御幸も好きだろ」

 御幸があそこまで落ち込んだり悩んだりするのは相当珍しい。部活の時はそんなこと微塵にも見せないし、切り替え上手いし、先輩たちも何も気付いていないようだが。でもを前にした時の御幸はいつもと明らかに違う。こいつってこんなに感情を顔に出す奴だったか、と驚くほどに。が俺とばかり喋ってると不機嫌丸出しでスコアブック睨み始めるし、かと思えばが御幸に構うといつもの調子の良い御幸に戻る。これ、純さんや亮さんに言ったら良い話のネタになるんだろうな、と思ったくらいには分かりやすい。
 別に御幸とをくっつけたいとか応援する気はない。そんな柄じゃないし、俺。それでも、見ていてここまでじれったいといい加減見ているこっちがストレス溜まるのだ。

「言えないよ、大事な時でしょ」
「野球部相手にそんなこと言ってたらタイミング逃すぜ」

 春も、夏も、秋も大会はある。冬は合宿があるし新入部員の受け入れ態勢を作らねばならず、特に俺達一年は初めて後輩ができるということで、結構なプレッシャーになる。だから、一年を通して隙なんてないも当然なのだ。
 けれどそれはも同じだ。春にも地方大会はあり、六月にはインターハイ予選、冬にも地方大会はある。楽しめればそれで、の部活なら大会があろうとなかろうとあまり関係ないのかも知れない。事実、が入部するまで女子バドは“そういう”部活だった。けれどがインターハイ出場を目指すと決めてから女子バドは変わった。だからにしても御幸にしても、一年を通して「ここだ」という空白はない。大きな大会は終われど厳しい練習は続く。それならいつでも同じではないか。
 それでも、は首を横に振る。

「いいの」
「え?」
「私、欲張りだし嫉妬深いし独占欲強いから」
「…………」
「御幸くんの彼女になったらきっと、嫌われる」

 それを言ったら多分御幸も相当なんじゃねーの。そう言ってみるとは苦笑いした。だろうね、と。どうやらそれもお見通しらしい。御幸のことは見ていたら何でも分かるってか。そういう人間同士がくっついたら面倒なことになる、とでも言いたそうだ。

「だからいいの、今のままで」

 俺の女神さまは悲しそうに笑う。の携帯の待ち受け画面、俺が送ってやった御幸の写メの癖に。
 付き合えって言っているのではない。一度伝えてみたらいいのだ。御幸も無理だと思ったらばっさり切るだろうし、大丈夫だと思えば「じゃあ付き合うか」くらい言いそうなものだろう。それなのに、“好き”と伝えることすら二人には重荷になるのだろうか。
 そんなことは分からない。言ってみないと分からないのに、それでも女神さまはいつものようには笑わなかった。



*



 最近、ちゃんの登校時間は遅い。大分練習もしているし、家でもバドミントンのことで色々考えているのだろう。他のことを考えている隙なんてないみたいに。
 ちゃんの出場するインターハイを目前に控えたこの時期に入部した私は、部員というよりマネージャーのような仕事が多い。三年の先輩たちでさえ手が出ないのに、三年近くブランクのある私がちゃんの練習相手に務まるはずがないのだ。だから、インターハイが終わるまでは自分の練習よりちゃんや先輩たちのサポートをすると決めたのだ。
 その分、私の部活で使う労力はちゃんたち五人をはるかに下回る。だから入部前とあまり変わらない生活ができているのだが、目に見えて練習量の増えたちゃんは、朝起きるのも最近は辛いのかも知れない。
 それを見越して、私は朝一でちゃんのクラスに乗り込んだ。目的は野球部の御幸一也。ちゃんが今まさに思いを寄せている相手である。そしてその御幸も間違いなくちゃんが好きだ、絶対に。これは最早確信なのだ。
 ちゃんの席にどかりと座ると、御幸は目線だけちらっとこっちに向けると「朝から何だよ」と不機嫌そうに言って見せた。その一言にはなんだか、という意味も込められている。悪かったな、ちゃんじゃなくて―――そう言ってやろうとして、けれど今日の目的はそうじゃなかったと思い出し、悪態を呑み込む。回りくどいことは嫌いなので、ストレートに言ってやった。

ちゃんは御幸が好きだよ」
「…………」
「すっごい悩んでる。最近は特に。でもちゃんはインハイがあるし、御幸は甲子園予選が始まる。だからでしょ、二人とも動こうとしないの」

 私の言葉に御幸は眉ひとつ動かさない。本当に腹の立つ野郎だと思う。私はこういう男が嫌いだ。御幸とは一生相容れない気がする。倉持の方が付き合いやすいし、分かりやすい。
 倉持も絶対にちゃんと御幸のことに気を揉んでいるだろう。もちろん本人たちにとってが一番の問題だ。けれど一番近くで見ている私と倉持も大概フラストレーション溜まりまくりなのである。いい加減にしろ、と言いたくなるほど。
 ちゃんは臆病なのではない。御幸に迷惑をかけまいとしている。だから黙っていたい、言いたくない、と頑なに首を横に振る。言えるものならいつでも言いたい、とちゃんは言った。
 けれど御幸はどうだ。ちゃんとは違って怯んでいるだけじゃないのか。ちゃんに拒まれることが怖くて。例えば、好きだと言って拒まれ、これまでのように軽口を言い合える仲には戻れなくなるんじゃないか、とか。そりゃあ、不安になる気持ちは分かる。私だって誰かを好きになったことがない訳じゃない。けれど、言わなければ始まらないじゃないか。そう思うとイライラして来る。大事な友人の存在を無碍にされている気がして。

「とりあえず、夏が終わったら何とかしなよ。見ているこっちが辛いの。ちゃん、御幸が思っている以上にずっと色んなこと我慢してるんだからね」

 ここまで言ってもなお、御幸は口を開かない。私の言ったことに腹を立てる様子も見せない。自分でも言い過ぎていると思うのに、何か言い返したりしないのか、こいつは。だから、挑発するつもりで言ってやった。

「弄んでるつもりならちゃんから離れて」
「弄んでるつもりはねぇよ」

 すると、それには即答する御幸。初めて、スコアブックに落とされていた視線が私の方を向く。私もさぞ怖い顔をしているだろうが、御幸もこちらを睨みつけて来た。ちゃんには絶対に見せないであろう顔だ。だが怯むものか。言いたいことはこれなのだ。

「…そりゃね、御幸にとっては野球が一番なのは私なりに理解しているつもり。でもさ、それってちゃんも一緒でしょ?お互い部活っていう同じものを大事にしている二人は上手くやって行けないわけ?」

 そしてまた視線を手元のスコアブックに戻し、ぽつりと零す。

「分からんねぇよ、そんなん」

 声には覇気がなく、辛うじて聞き取れた一言だった。まるで、何かに躓いたのが初めてで、それへの対処の仕方が分からない子どものようだ。そこにはいつもの腹が立つほど自信たっぷりな御幸はいなかった。
 もし、ちゃんの携帯の待ち受け画面が御幸だと知っても、それでもこいつはちゃんに好きだと言わないのだろうか。








(2014/07/08)