面倒臭いことになってしまった。同学年だか上級生だか、いわゆる“御幸くんファン”な女子生徒三、四人に、私は今まさに呼び出されている。貴重な昼休みにだ。そして囲まれている。校舎裏で人気もなく、今はもう使われていない焼却炉のある場所だ。よくもまあこんな所を探し出したもんだと感心してしまった。私も入学して初めてこんな場所がある事を知った。校舎裏とあって、中から人の声は聞こえるが、丁度校舎内からは死角になるように囲まれているため、誰からも見つからない。
 簡単に言うと呼び出し内容は僻みだった。私がよく御幸一也と話しているのが気に入らないらしい。だったら自分から話し掛けに行けばいいじゃないか。私がどんどん御幸一也にアピールしているならば鬱陶しがられても仕方ないが、こちらから積極的に近付いたことはない。それはこういう事態を懸念してのことだったのに。

「本当鬱陶しいから、うろちょろしないでくれる?」
「うろちょろしてるのは私じゃなくて御幸くんだけど」
「そんな細かいことどうでもいいのよ!近付くなって言ってんの!」
「あのさあ…皆サン御幸くんのこと好きなの?」
「そんなことあんたに関係ないでしょ!」
「だったら私が御幸くんと話そうが電話しようがメールしようが関係ないじゃない。私は御幸くん、好きだし」

 言う義理もなかったけれど、もう何もかもが面倒くさくて言った。これで本人に伝わったって別に構いはしなかった。本人に言うつもりも最初からないのだ。人づてに伝わった所で、御幸一也はそれを信じるようなタイプではなさそうである。まあ、倉持は洞察力が鋭いから気付いているかも知れないが。

「はっ、バドミントンなんて廃部寸前の部活やってるような田舎者を御幸くんが相手にするとでも思ってんの」
「思わないけど」
「はァ!?」
「御幸くんはアホだから頭の中は野球のことばっかだし、私も高校生活に望むのはバドミントンだけ。御幸くんとどうこうなろうなんて考えたこともない」

 私の頭の中はバドミントンのことばかり。どうすれば強くなれるか、点を取れるか、どうすれば全国大会に行けるか、どうすれば優勝できるか―――私と御幸一也の共通点なんてそれくらいのものだ。彼だって部活のことしか考えてないようなものだし、恋愛沙汰なんて興味ないだろう。誰それが可愛いとか、誰それが美人とか、そういう会話は別としても。
 しかし本当に困った。まだお昼ご飯を食べていない。これを逃したら食べる時間がない。部活にも支障を来す。この人たちもお昼を食べなくていいのだろうか―――呑気にもそんなことを考えていた。だって、こればかりは言われても私にはどうしようもないのだ。私に言うのなら御幸一也に直接言えば良い。「に構うな」って。それができないからこうして私に言ってるんだろうけど、そんな臆病ならファンなんてしなければいいのだ。大体、御幸一也が誰と話そうが彼の勝手じゃないか。そういう寛容な心を持てないものか。恋愛対象として好きなら尚、自分からアピールする術を覚えた方が良い。こういう姑息な手を好印象に思う男なんていないだろう、普通。ああ、いやでも御幸一也だったら「いや〜俺ってモテて困るな〜」なんてあほみたいに能天気なことを言うのだろうか。
 意識を明後日へ飛ばしていると、リーダーっぽい女子が肩を震わせて怒っていた。すると、突如私の右手首を思いっ切り掴む。ぎり、と爪の食いこむ感覚がした。

「あんた…っ、本当にムカつく!!」
「った…!」
「このまま右手折ってやろうか!?」

 私の手首。私の大事な右の手首。これをやられたら、私はバドミントンができない。もう、夏の大会は間近なのに。先輩たちと全国に行くって約束したのに。それをこんな所で傷付けられてたまるものか。御幸一也どうこうよりも、右手をやられることの方が私を怒らせるには十分な理由だった。

「……せよ」
「は…?」
「右手は私が一番大事なモンなんだ!!離せ!!」
「な、なに本気で怒っ…」
「何にも真剣になったことない奴に大事なもの潰されんのが一番腹立つんだよ!!離さないと殴る!!左手鍛えてないと思うなよ!!」

 とうとう左手を振り上げた時、その左腕を誰かに掴まれ止められる。

「おーいストップ」
「く、倉持…」
「暴力沙汰は謹慎だぞ。部活動も停止、試合ももちろん出場禁止だ。落ち着け、な」

 その一言で我に返る。そうだ、呼び出したのは彼女らとはいえ、手を出したのが私となると正当防衛にはならない。それこそ大事な試合出場の機会を奪われてしまう。私はゆっくりと振り上げていた左手を下ろした。一気に頭が冷えて行く。倉持が現れたことで、私の右手を掴んでいた女子も私の手を離した。帰っぞ、と言われ、私はいつも通りの頭に戻しながら倉持の後をついて行く。けれど、数歩歩いた所で倉持は足を止めた。そして、未だ混乱している様子の女子生徒達に向かって言う。

「お前らな、こいつ間違ったこと言ってねーぜ」

 その言葉に反論することもできず、ギリ、と歯を食いしばって苦々しげな表情をする。けれどもうそれは、次の瞬間には忘れていた。叫んだからか、頭がぼうっとする。今更になってくらくらして来た。もうお弁当を食べる時間もない。仕方ない、五時間目が終わってから食べるか。保冷剤は入れているし、腐ってないといいのだけれど。

「ていうかビビったわ。ってあんなでけぇ声出んのな、ヒャハッ」
「久しぶりに叫んだ…喉痛い…」
「頑張ったご褒美にジュース買ってやるよ。ほれ、何がいい」
「…ブドウの炭酸」

 自販機の前まで来ると、倉持はポケットに突っ込んでいたらしい小銭を取り出す。ちゃりん、と小銭を入れる音、ピッとボタンを押す音、ガコンと缶が落ちて来る音。それをまるで他人事のように聞いていた。そして差し出され、ようやくそれが自分のものだと思い出す。私の分に続けて、倉持も何やら飲み物を購入するようだ。もう一度小銭を投入する軽い音が聞こえた。
 それぞれジュースを手に、教室に向かって歩き出す。隣に並んで歩きながら、私は倉持に訊ねた。

「どこから聞いてたの」
「……」
「いいよ、偶然でしょ、あんなのに遭遇するなんて」
「…あいつらに御幸のことが好きなのかって聞いた辺りから」
「殆ど全部じゃない」

 苦笑いするしかない。そしてようやく炭酸のプルタブを引っ張ると、小気味よい音がした。それを一口飲んで喉を潤すと、短く息を吐いて続けて言う。

「御幸くんに、何も言わないでね」
「言わねーよ」
「ありがとう、いろいろ」

 倉持に限って私が御幸一也を好きなことなど言わないだろうが、“何も”言わないでと私は敢えて言った。今日あったこと全て、言わないで欲しいと。好きな人に迷惑はかけたくない。それは誰だって同じだろう。最近近付いた距離の彼のことだし、心配もかけたくない。
 それより大丈夫か、と倉持は私の右手を覗き込む。赤くなって爪の痕はついているけれど、部活ができないほどではなさそうだ。帰宅部の握力もタカが知れている。

「うん、練習には支障ない」
「うえっ、爪痕ついてやがる」
「大丈夫だってば」

 私は夏でも長袖のカッターシャツを着用しているため、捲っていた袖を全部下ろした。あの目敏い御幸一也に言及されても困る。知らなくて良い、彼は何も。
 倉持の奢ってくれたジュースのお陰で、少しはお腹が満たされた。何となくこのまま教室に戻る気分にもなれず、倉持の教室の前で立ち話をして時間を潰した。そこで、初めて御幸一也がこの夏から正捕手になった事や、その理由を聞かされた。それで納得がいく。「メールの返事しろよ」と連絡先を交換した時に言った癖に、返事をしたらしたでその次の返事がものすごく遅いことに。
 教室で見ていてもいつもと変わらない雰囲気だったから、兄の予想通りいくら良い選手と言ってもさすがに今年はベンチくらいだろうか、と思っていたが、まさか正捕手だなんて。本当に、自分のことを隠すのが上手い人だ。私も多分、人のことを言えないのだろうけれども。倉持は倉持で監督からは足の速さを買われているらしいし、試合で活躍する姿を見られるのも近いかも知れない。
 そうこうしている内に昼休み終了の予鈴が鳴る。私はもう一度倉持にお礼を言うと、「じゃあ今度はの奢りで」なんていつもの調子で笑っていた。こういう理解のある友人が一人でもいると助かる。空き缶を教室の入り口で捨てて、席に着くと早速御幸一也に話しかけられた。

「昼休みずっといなかったけど?」
「機嫌のいい倉持くんがジュース奢ってくれてた」
「大方が脅したんだろ」
「違うし」

 溜め息をつきながら前を向く。今は、御幸一也の目を見られなかった。そのレンズの向こうに「何かあった」と見透かされているような気がして。

「…本当に何もないんだな?」
「ないよ」
「そっか」

 念を押して来るが、私は一切首を縦に振らない。次の授業の教科書とノートを取り出しながら、少々ぶっきらぼうに返事をした。

「御幸くん」
「なに」
「もうちょっとファンサよくしなよ」
「めんどくさ」
「それで被害被る人がいるの忘れない方がいいよ」
「…………」
「ま、好きにすればいいけど」
「仕方ない、先生の言うことは聞いておくか」

 今日のことは、どうしても私と倉持だけの秘密なのだ。








(2014/06/13)