廊下や教室で二人で話すことはあっても、二人きりになったことはなかった。いつもの俺らしくない、何も話題が出て来ない。ですたすたと歩いて行く。こう言う時、何を話せばいいんだ。部活の先輩とはどうだ、とかか。定期テストどうだった、とかか。
 本当はもっと色々と気になることはある。倉持と仲良くなったきっかけとか、本当に青道に来た目的は何なのかとか、…好きなやつはいるのかとか。けれどそのどれも言えずにいると、沈黙を破ったのはの方だった。

「疲れているのにごめん」

 思いがけず、謝罪の言葉がの口から零れる。まあ確かに疲れていない訳ではないが、学校から歩いて十分程度の所だと言っていたし、別にそんな所は気にすることではない。それより普段のの態度の方が気になるくらいだ。そんなに嫌われるようなことしたっけか。入学式前に背中をつついたことか。あれを根に持っているのか。

「それは、別に。…それより、の兄貴ってよく来んのか?」
「月に一回くらい。その度にちょっと相手になってもらってる。あれだけのスマッシュ打てるの、さすがに女子にはいないから」
「へー。すげぇスパルタ」
「私がお願いしてることだから」

 のストイックさに驚く。いや、元からバドミントン馬鹿だとは思っていたけれど、自ら望んであんな練習を乞うだなんて。まあでも、野球部だって同じだ。強くなりたい、レギュラーを取りたい、その一心で死に物狂いの練習をする、試合に出る。競技が違うだけで、も欲しいものは優勝の二文字なのだ。

さ、がんばってるよな」
「へ?」
「いや、今日見てたら思った」
「…足りないよ」
「…………」
「全然、足りない」

 兄はもっと努力をしている。はそう続けた。あの大きな背中を、はいつも追い続けているのか。立ちはだかるのはいつもの兄貴で、…もしかして、だから進学先をわざわざ青道に選んだのだろうか。バドミントン部が弱小だと聞いても、なお。
 体育館から着替えに行く時はふらふらしていた癖に、今は疲労を少しも見せない。の目は、もう既に明日を見ているのかも知れない。明日はどんな練習をしよう、明日は何を克服しよう―――足りない、という気持ちの根底にある強い相手という飢餓を見た気がした。途端、部活での先輩たちとの関係は良好なのかが心配になって来た。


「なに」
「バド部の先輩とは上手くやれてんの」
「先輩たちは優しいよ。二年生がいないから可愛がってくれる」
「そっか」

 二年生がおらず、三年生が四人。そこへ一年生のが一人。これはもう、夏の大会が終わったらバドミントン部は廃部と言われているも当然だった。部活として成立するには一定人数が必要になるし、一人でバドミントンはできない。それでも、バドミントン部の行く末が見えていても、部活は楽しいとは言う。部活って楽しいものだったんだね、と。中学時代のの噂は散々なものばかり。よくトラウマにならず高校で部活に入ろうと思ったものだ。
 すると、急にこちらを見上げて問う。御幸くんはどう、と。

「部活?」
「うん。楽しい?厳しいんでしょ、野球部って」
「まあ厳しいけどな。それより強くなりたいって気持ちの方が先だろ」
「…そうだね、私もそう」

 初めてが俺に同調した。静かな声だけれど、確かにしっかりと。そうか、こいつはまだ上を目指しているんだ。うちの、青道のバドミントン部で上へ行くことを諦めていないんだ。
 は強い。技術的なことだけでなく、心が強い。折れない一本の芯を持っていると思った。練習へのストイックさ、自分への厳しさ、勝利への欲、自分より強い相手への飢え。部活の規模は違えど、俺たちとなんら変わらない。の眼が何よりそれを語っていた。
 だからこそ、の兄貴に言われた「を頼む」の一言の意味がよく理解できない。一人じゃ立っていられないような人間だろうか、は。だとすれば、中学時代にあった何かが関係しているには違いない。

「あのさ」
「うん」
「中学で、何があった?」

 は足を止める。半歩前を行く俺が振り返ると、は固まっていた。さっきまでの順調な会話はそこでストップする。ぎゅっと歯を食いしばり何かに耐えるかのような表情をする。それでも待った。が何かを言ってくれることを。話してくれなくてもいい、次の一言を待つ。もうその表情一つで過去に何かがあったことは十二分に分かったから。

「御幸くん」
「ん」
「今は、言えない」
「今は、な…」
「ごめん」
「や、別に今すぐ聞けると思ってなかったし」

 そう言うと困惑した表情を見せる。こうして一対一でゆっくり対峙すると、は本当にころころと表情を変える。それが分かるのが楽しくて、嬉しくて、なんとも言えない気分になるのだ。多分、近い言葉で言うならば優越感。誰も知らないの表情は自分は知っていると言う、それだ。確かにさっきのは意地悪な質問をしたかも知れないが、元よりが話してくれることが最大の目的ではない。
 ポケットに突っ込んだだままの携帯を取り出して、の方に向ける。携帯が何、とでも言いたげにこてんと首を傾げた。

「とりあえずそろそろ連絡先交換しよーぜ。まずは友達に昇格してくれって、な?」
「…連絡先くらい、いいけど」
「赤外線は?」
「できる」
「じゃ、送って」
「送るのが面倒なんだね…」
「そういうこと」

 笑って言えば、小さく溜め息をつく。会話もいつもの調子に戻って来た。相変わらずは無気力そうな顔で携帯をいじる。いいよ、と言って携帯を向かい合わせた。届いたのプロフィールを見れば、意外とプロフィール欄が全て埋めてある。誕生日、血液型、住所、そして写真。それを見て思わず噴き出した。青道の制服を着たと、スーツを着たの兄貴のツーショット写真なのだ。本当にシスコン・ブラコン兄妹だな。思えばで「兄が」「兄が」とよく話の中に兄貴を織り交ぜて来る。唯一共通の話題である野球を挟むためのものかと思ったが、どうやら違うらしい。

「な、なんで笑うの」
「や、兄妹仲が良いっていいねー」
「馬鹿にした。着信拒否する」
「おいそれはやめろって!」

 携帯をカチカチと触るを見て割と本気で焦ると、くすくすと笑い声が聞こえる。こいつ、今、笑った。

「御幸くんが焦るのって、なんか意外」

 そう言いながらも、笑いを止めない。控え目に、けれど目を細めて笑う。辺りは当然真っ暗で、街灯の明かりしかなくて、けれどはっきりと見えた初めて見るの笑った顔。少し頬を染めたの、綺麗な表情。それを見て確信する。が、好きだ。








(2014/06/10)