野球部も練習が終わり、自主練も終えた頃、ふと遠くに体育館が見えた。こんな遅くに、体育館の明かりがついている。一体どの部活がやっているというのか、部活馬鹿は野球部だけじゃないらしい。すると、どこから聞きつけたのか同じ一年の部員が「体育館にOBの選手が来てるらしいぜ!」と話している。どうやら男子バドミントン部に知り合いのいるやつが、帰り際の男子バドミントン部員を捕まえて聞いたらしい。
 “選手”―――そう聞いて浮かぶのは一人しかいない。

「でもなんで体育館なんだ?」
「普通顔出すならこっちじゃねえの?」

 そんな会話を聞きながら、そりゃ妹がだからだろう、と一人納得する。多分倉持なら知っているだろうが、この情報を他の奴に教えてやる義理もない。
 こっそりと抜けて寮に戻らず、俺はそのまま体育館へ足を運んだ。あの選手がどんな人物か、選手としてもの兄としても気になったからだ。盗み見るのはに悪いと思ったが、正直な話、そこまで罪悪感はない。今相当ワルい顔してんだろうな、と思った。
 体育館に近付けば、激しく打ち合う音が聞こえる。外からそっと覗き込めば、の兄貴が打ち合いをしていた。しかも結構容赦ない。そこで、が「うちの兄、体格いいから」と言っていたことを思い出す。確かに、かなりがっしりしている。女子の相手をしていい体格ではない。更にに「華奢だね」と言われた事まで頭の中でリプレイされ、さすがにあの兄貴と比べられたら俺は華奢だろうよ、と顔が引き攣った。

「おら立てェ!お前がスマッシュとネットショット以外にできることと言えばコートん中走り回ることくらいだろうが!」
「わ…っ、わかってるし!!」

 右へ左へとの兄貴からはスマッシュが繰り出され、それを床すれすれで拾っては返し、拾っては返す。だが走り回るのはばかりで、の兄貴はぴくりとも動かない。それはつまり、の反射神経とコントロールの良さを表しているにも違いなかった。

(おいおい、マジかよ…)

 しかもあんなの大きな声、初めて聞いた。シャトルを落とすまいと喰らいついて行くの目は猛禽類のそれと同じだ(女子に言うような例えじゃないけど)。
 肩で呼吸をし、汗でびしょびしょになりながらも、落とす度に「もう一本!!」と声を張り上げるから高く上がったトスを容赦なく全力で打ち返すの兄貴。そしてまたそれを返す。が、今度は返せず床に顔面から激突した。おいおい、大丈夫なのかアレ。
 ひやひやしながら見ていると、「やー、やっぱすげぇのな」いつの間にかそこには倉持がいた。そして空気も読まず「おーい!」なんて体育館の中のに手を振る。すると当然こちらを向くの兄。は一瞬、ぽかんとした表情をし、その次に俺を見て「げっ」と言いたそうな顔をした。相変わらず嫌われてんのな、俺。

、あれ誰だ?」
「…お兄ちゃんの後輩」
「お、ということは野球部か。入って来い入って来い!」

 豪快に笑って体育館内に迎え入れられてしまった。さっきまで罪悪感なんてないと思っていたが、にじと目で見られると流石に悪かったか、と気まずい雰囲気になる。しかし不貞腐れながらもは「お兄ちゃんの大好きな御幸一也だよ」とか言う。

「だと思った!がんばれよ!で、そっちはあれだろ、すげぇ足速いヤツ」
「一年倉持洋一っス!」
「元気なのは何よりだな!」
「っス!」

 調子いいな、倉持。自身はと言うと、さっきまでの気迫はどこへやら、いつも通りの脱力系に戻っていた。というよりは、疲労困憊といったところか。の兄貴は流石にバドミントンは素人だろうが、トスを上げられればあの強肩からは当然それなりの初速のスマッシュは打てる。それを受け続けたと言うのだから、ぜえぜえしていても無理はない。けれど、目で「なんで見に来たの」と強く訴えていた。やべぇ。
 不機嫌そうに「もう帰る」と言い出したは、一人でストレッチを始めた。「、手伝ってやろうか」との兄貴が声をかけるも、「容赦ないから嫌」と一掃。

「あ、ちなみに御幸くんも嫌」
「なんでだよ」
「同じく容赦なさそう。指名倉持で」
「よっしゃ任せろ!」

 なんかここまで来ると俺、徹底的に嫌われていると言うか、避けられている気がする。女子相手に容赦ないストレッチなんかするかっての。…もやもやしながらネットの片付けを手伝う。後ろからは「おー、関節やわらけー!」だの「腕の筋肉女子じゃねえ!」だの楽しそうな声が聞こえる。いや、主に倉持のだけど。
 それを後ろに聞きながらネットをぐるぐると巻いていると、の兄貴が感慨深げに言った。

「いやあ、しかしがまさか青道に来るなんてな。これで気兼ねなく会いに来られる」
「へ?最初からバドミントン部目当てで来たって本人は言ってましたけど」
「相変わらず捻くれてんなあ…。あのバドミントン馬鹿がバドミントン目当てに青道を選ぶ訳がない」

 確かに。さっきの打ち合いを見ていると、が飢えを満たしているようにも見えた。それなりの相手とやり合わなければ体も鈍る。が強い選手だと言うのなら、もっと強い選手と試合をしたい、練習したいというのは当然の欲として出て来るはずだ。

「まあ、あいつも色々あったんだけど、バドミントンを諦めるなんてらしくもねぇ」
「そうっスね」
「というわけだから、のことよろしく頼むな」
「いやあ…多分俺、妹さんに嫌われてますよ」
「そうか?俺にはそんな風には全く見えん」

 おいおいこの人の目は節穴か。俺を見る度に怪訝そうな顔をするし、近寄りたがらないし、名前呼びすら許してもらえない。これが気に入られているように見えるとしたら、の兄貴は結構ズレている。
 片付けも終わる頃、ストレッチも終わったのかふらふらしながらは体育館を出て行った。着替えに行くらしい。
 なんであいつ、本当に倉持の言うことは素直に聞くんだ。羨ましいを通り越して結構腹が立つ。あれだけ気持ちよくスルーされたらちょっかいすらかけられない。あれ、俺ってこんなんだったけ、て思うことも増えた。ていうかまず、なんでこんなにのことで悩まないといけないんだ。よくよく考えるとそこが腹が立つ。
 すると、の兄貴はを待たずに帰ると言い出した。どうやら明日も仕事らしく、そろそろ帰らないと時間が危ないらしい。「妹をよろしく」とだけ言い残し、さっさと帰ってしまった。

「お前さ、顔に出過ぎな」
「は?」
「ヒャハッ!が好きでたまんねーって顔してやがんの!」
「してねぇっての…」
「まあまあ、じゃあ俺は寮に戻るからよ、家まで送ってやれよ。もう21時前だし」
 
 気が利くのか利かないのか、倉持もまた機嫌良さそうに体育館を出て行く。あいつに知られたら本当に厄介だ。いや、というか別に俺、が好きとか一言も言ってないし。入学式の日にからかってみたら面白かったから、それから今みたいな感じにはなっているけど、好きか嫌いかと言われれば、まあ、嫌いではないけれど。そういやも同じようなことは言ってたな。じゃあその好きって言うのがどういう意味かになって来る訳で―――

「お待たせ…って、うちの兄と倉持は?」
「帰りやがった」
「貧乏くじだね。いいよ、御幸くんも帰って。体育館の鍵返して帰るだけだし、いつも、」
「や、送ってく」
「でも、」
「送ってく」

 少し口調も強めに言うと、少し驚いた顔をして、「…うん」と小さく返って来る。
ちょっと強引過ぎただろうか。いやでも、みたいなやつは多少強く言わないと首を縦に振らない。俺とは二人で体育館を出ると、とりあえず鍵を返しに職員室へ向かった。の後ろをついて行くだけだけれど、その背中からは何を考えているのか読み取ることはできない。
 一瞬、これが倉持なら、という考えが頭をよぎった。








(2014/06/09)