![]() ![]() 相変わらず佐倉に話しかけるのは相変わらず俺の仕事のようなものだった。そうでもしないと前の席の佐倉は俺を振り返ることもしない。プリントを回す時も、その柔軟な肩関節で以て振り返ることなく渡して来ると来た。そうなるともうこちらから話しかけるしかない訳だ。今日も今日とて、佐倉に「こっちを向け」と念じながら少々前のめりに話しかける。 「佐倉の兄貴すげぇのな」 「調べたの…?」 「偶然雑誌に。この間佐倉も読んでたやつの今月号」 お、やっとこっちを向いた。 しかし「疑わしい」という怪訝そうな目を向けて来る。本当に警戒心の解けないやつだ。けれど言ったことは嘘ではない。ほれほれ、と持って来た雑誌を見せる。わざわざ佐倉の兄貴の載っているページに付箋まで貼って来たのだ。読むか、と差し出すと素直に受け取った。まだ手に入れてなかったらしく、ぱらぱらとページをめくり、黄色い付箋のついたページに辿り着いた。今月は短いがインタビューまでされているらしい。それを見付けた佐倉は僅かに目を大きくさせた。 無表情とか無気力だとか言われているけれど、じっと観察していたら意外と表情の動きはあるものだ。嬉しそうな時なんてそのオーラを全開に出しまくる。今がまさにその状態だ。兄の活躍はやはり嬉しいものらしい。しかし第一声は「載るなんて聞いてない…」だった。 「本当いいガタイしてんのな。なのに動きは素早い」 「野球がなかったらただのアホだけどね。就職もできなかったんじゃない」 「耳が痛ぇわ」 「でも、兄が努力しているのは誰より知っているから」 俺と話しながらもインタビュー記事を読み終えたのか、ぱたんと雑誌を閉じる。そして続けてこう言った。 「だから私は、一人のスポーツ選手として兄を尊敬してる」 そう言った佐倉の目には、一体何が映っているのか。兄の姿か、自分が全国に行く姿か、全国優勝した姿か―――こういう時の佐倉には話しかけづらいものがある。完全に自分の世界に入ってしまっているのだ。 自分の兄を「野球がなかったらただのアホ」と言ったが、自分も「バドミントンがなかったらただのアホ」じゃないのか。いや、というかこいつの場合はバドミントン専門バカになるのか。…いや待て、佐倉は成績も良かった気がする。 「…佐倉の兄貴が羨ましいな」 雑誌を返されながら、気付けばそんな言葉を漏らしていた。またもやきょとんとした顔をする佐倉。こてんと首を傾けた。無表情のまま。 「なんで」 「佐倉にそんな風に言ってもらえて」 「は…?」 訳が分からん、とでも言いたげな佐倉。それもそうだろう。俺も俺で、佐倉の兄に嫉妬なんかしてどうするんだ、俺。片や社会人野球では有名な選手、俺はまだ高校に上がったばかりのひよっこだ。けれど、ぽろっと口から出たのは本音だった。俺はまだ佐倉がバドミントンをしている所を見たことがないし、佐倉も俺が野球している所なんて見たことがない。そんな俺が羨ましがっても仕方のないことだ。しかし、中学では地方大会シングルス総なめだったという佐倉のスマッシュは俺も見てみたい。こっそり休憩時間に体育館でも覗きに行くか。 そんなことをもやもや考えていると、相変わらずの何を考えているか分からない二つの目がこっちをじっと見ている。 「御幸くんは、これからの人でしょ」 その言葉は、「だから頑張れば」なのか「うちの兄に対抗心燃やしても無駄なんじゃない」なのか。時々、読めないことを突然言うことがある佐倉。そういう時は、どうしても返す言葉を失ってしまう。佐倉から出る俺への真面目な一言に、冗談やふざけて返すことができない。俺が言葉を詰まらせ、ただ見つめ合っていると、突如一人の男が割って入って来た。 「お、一花いるじゃん!」 よく知ったチームメイトの声だ。しかも今、一花って言った。 「どうしたの倉持、また教科書?」 「おう、世界史」 「威張る所じゃないよ。ほら」 なに、なんだ、この二人いつの間にこんなに仲良くなっているんだ。佐倉も佐倉で倉持呼びな所に引っ掛かった。俺はいつまでたっても「御幸くん」の癖に。この間なんて「一花ちゃんって呼んでいい?」と笑顔で聞いたら「却下」とばっさり切られた所だ。それで結局、未だ「佐倉」と呼ぶ羽目になっている。なんだこの敗北感。佐倉は倉持にそんなに気を許しているのか。 「ていうか一花、御幸の前の席かよ」 「うん」 「こいつ多分友達いねぇだろうからよろしくなー」 「倉持、佐倉も友達いねえぞ」 「何言ってんだ、俺と一花は友達だろ。な!」 「うん」 「おい待て佐倉、俺は、俺は」 「なんで御幸くんそんな必死なの」 「ヒャハハッ!相手にされてねーでやんの!」 じゃあなーと予鈴を背景に逃げて行く倉持。あの勝ち誇った顔が非常に腹立たしい。 倉持も本当に人をよく見ている。多分、俺が二人の会話を面白くなさそうに見ていたのに気付いたのだろう。顔に出さないようにしているのに、それを見抜くのが倉持ってやつだ。 面白くない。今日は本当に面白くない。 (2014/06/09) ← ![]() |