私、明日、休みです。

「お願いちゃん!」

 外務省関係のパーティーへの出席を要請されたのは、その日の仕事が終わり、さあもう帰るだけだ、となった時だった。パソコンの電源を落とし、バッグを引っ掛け、「お疲れ様です」と部署の皆に挨拶しようとしていたタイミングである。しかも理由は、連れて行く男性のパートナーにちょうどいいから、というもの。別にプライドが傷付いたわけではないのだけれど、せっかくの休みを仕事のために潰されると思うと、ワークライフバランスに重きを置いている私としては、不貞腐れるしかなかった。しかも、明日と来た。来週などではなく、明日だ。あまりにも急な話である。

「いやあ~、それがいなくてさ~あそこまで外国語話せる女の子!ちゃんお願い!」
「外国語話せるの必須なんです?」
「そりゃ、今回は男の方が喋れないから」
「じゃあ来なければいいじゃないですか、大体誰ですそれ」
「関っていうマトリの捜査企画課の課長なんだけど」

 ああ、あの時々うちに来てる人か。上司である渡部さんとは友人だとか、よくお互いうちとマトリを行き来している仲だとか、話は色々と聞いている。直接話したことはないけれど。そんな人がまたなぜ、と思ったけれど、私の目の前に突き出されたのは調査協力依頼の用紙だった。
 斜め読みしたところによると、要はマトリが怪しいと踏んでいる外国からの客が明日のパーティーに参加すると。とりあえずは情報収集をしたいわけだが、マトリに当該国の言葉を話せる人間がいないらしい。パーティーという場の見栄え的にも、渡部さんには女性の捜査員がつくため、関さんには私が、ということになっている。これはもう決定事項らしかった。勿論、外務省職員としても外国からの危ない事柄は排除したい所ではあるけれど。

「パーティーの後まで俺らに付き合えとは言わないからさ、頼むよ!ちゃんの好きな名店のフォンダンショコラが出張して来るって。立食パーティーだけど」
「仕事関係のパーティーで食い意地張れるわけないじゃないですか!それにこういう時だけちゃんって言うのやめて下さい!」
「おっ、相変わらず真面目だねえ」
「普通です普通!」
「玲ちゃんなんか潜入捜査でも食い意地出ることあるよ」
「惚気は他所でどうぞ!」

 玲ちゃん、というのがマトリの女性職員で、渡部さんの歳の離れた恋人だということは私も知っていた。「ちゃんと同い年らしいよ」というのはどうでもいい情報である。
 明日一日家でのんびり過ごそうと思っていたのに、声も張り上げたくなる。嫌だろうとなんだろうともう参加するしか選択肢はないようだ。場慣れはしているけれど、潜入捜査に上手く付き合えるかどうかは分からない。そんなこと、外務省に勤務し始めてからやったことないのだ。

「フォンダンショコラは別途用意するから」
「マ○アージュフレールの紅茶もつけて下さい。紅茶に合う蜂蜜とオーガニックシュガーも」
「う……っ、分かったよ」

 これくらいで痛手と思うようなお給料じゃない癖に、と心の中で悪態をついた。
 こうなったら明日も仕事のスイッチに切り替えだ。仕事関係でパーティーに参加するとなれば、生半可な格好では向かえない。困った時のホットラインではないが、スマートフォンを取り出し、心当たりのある人物に電話をかけた。

「もしもし亜貴ちゃん?私、、明日急遽パーティー参加することになったの。いつも悪いんだけど、ドレス見繕って欲しくて…」

 電話の向こうの相手は当然、「こっちの都合も考えずに今からとか有り得ないんだけど!?」と私以上に苛立ちながら叫んだ。申し訳ないけれど、文句ならうちの上司に言って欲しい。



***



ちゃん、今日はありがとうね」
「…休日出勤手当」
「忘れてないってば」

 会場の前で渡部さんと落ち合うなり、そんな会話で始まる。本来、渡部さんくらいの役職の人とはまだ気軽に話せるような立場ではないのだけれど、これだけ砕けて話せるのも一重に渡部さんの人柄あってこそだろう。その一方で、こういう無茶振りな仕事もかなり多い。でも、渡部さんが涼しい顔してあの量の仕事を捌いていると思うと断れないし、断ってしまうとそれこそ私のプライドが許さない。
 今日のドレスも素敵だね、ドレスをお褒め頂きありがとうございます、いやいや似合ってるって意味だって、なんていう取り敢えずのやり取りをしていると、「お」と渡部さんが別の方を見る。どうやら、本来ドレス姿を褒めたい本命の相手が現れたようだ。

「今日はご協力頂きありがとうございます。捜査企画課の泉玲です」
「渡部の部下のです」

 一瞬で仕事の顔を作る。にこりと笑って手を差し出すと、玲ちゃん、もとい泉さんもすっと手を差し出す。姿勢の綺麗な人だ。人当たりの良さそうな、感じの良さそうな女性。私はその場その場で顔を作るけれど、恐らくそういうのが苦手なタイプだろうと察した。…普段、渡部さんから聞く話も合わせて。

「こっちが関だ」
「お願いします、さん。頼りきりになると思いますが」
「こちらこそ、捜査に関しては素人なので、都度指摘して頂ければ」

 こちらも同じく、人当たりの良さそうな男性だ。何度か外務省で見掛けてはいるが、関さんの方は私を認識してはいないのだろう。初めまして、と言った様子だった。

ちゃんは四つ五つ外国の言葉操れるから頼りにしていいよ」
「四つ五つ!?すごい…」
「いえ、渡部さんほどではないので、挨拶程度ですし」

 驚く泉さんに、「まあそれは実際の手腕を見て頂いて…」などと、渡部さんは急に上司ぶった口振りで返し始める。泉さんの前だからかっこつけたいのだろうか。、なんて滅多に呼び捨てで呼ばれないものだから、妙にそわそわしてしまった。
 会場に入る際に私たちと渡部さんたちとは分かれたが、どうも渡部さんは仕事している感がない。普通に彼女とのパーティー参加を楽しんでいやしないだろうか。あの知らない内に仕事を片付けている上司に限ってそんなことはないだろうが。私も私で、あまり身構えなくて良いと言われていたため、そもそも件の協力要請の内容をしっかり読んでいなかった。いや、不服で内容が頭に入っていないと言った方が正しい。けれど、ここに来てしまったからには仕事だ。表情を崩さないように口元に笑みを浮かべた。

じゃないか?」

 関さんと適当に世間話をする振りをしていると、早速声をかけられる。振り返ると、よく知った人物がいた。

「九条さん!珍しいですね、こんな所に」
こそ珍しいな。フォンダンショコラでも食べに来たのか?」
「やめて下さい、ちゃんとお仕事です」
「そのようだ。仕事の邪魔をすると悪い、またぜひお茶でも誘わせてもらおう」

 新堂さんも一緒だったようだが、彼とは顔見知り程度なので、会釈だけして別れた。…九条さんが男性同伴で来ているのなら、別に関さんだって渡部さんと来れば良かったのでは、と思った。が、恐らく、渡部さんが泉さんとの時間を作る口実が欲しかったのだ。渡部さんは私とは比べられないほど多忙な人だし、マトリもまた然り。そう思うと、休日出勤手当をもう少し割増しでもらっても罰は当たらない気がして来た。

「九条さんと知り合いなのか?」
「ええ、こういう場に駆り出されることも多いので」
「彼とは親しそうだったが…」
「同じ大学の先輩なんです。古い知り合いになって来ました」
「なるほど」

 なんでもない会話をしながら、関さんは視線はさりげなく周りに配っている。やがて、今回近付きたい相手を見つけたようだが、どうやら渡部さんと泉さんが接触に成功しているようだ。こうなると、私に出番はない。不自然に浮かないよう、顔見知りのパーティー客たちに挨拶をして回る。中には私と関さんの関係を勘繰った知り合いもいたが、若手の地方議員が勉強に来ていると言って誤魔化した。
 関さんも、よく知った仲間だったら潜入捜査で気を遣わなくて良かっただろうに、初対面の、しかも不慣れな私と組まされて気の毒だと思う。話が盛り上がるわけでもないし、お酒が飲めるわけでもない。すると、泉さんが上手く情報を引き出していることを察した関さんが口を開く。どうやら、関さんの仕事もほぼ終わりらしい。気を抜いている訳ではないけれど、先程より僅かに緊張が解けたのが分かった。

さん、今日は本当に助かった。本当は休みだったのだろう?」
「ああ、いえ、その辺りは渡部から休日手当をもらう予定になっているので、関さんはお気になさらず」
「この後、渡部たちと飲み直す予定なんだ。さんも良ければどうかな」
「…申し訳ないのですが、」
ちゃんは職場の飲み会参加拒否勢なんだよな~」

 いつの間にかすぐそこにいた渡部さんが話に入って来る。どうやら、必要な情報は得られたらしい。もう私も帰っても良さそうな雰囲気だ。ここで合流してしまえば、何かあっても渡部さんが対応できるはず。それに本来、こういった人の多い場所は好きではない。あまり長時間この場に留まりたくないのだ。どうにも、息が詰まりそうになる。もし私以外の女性職員が声をかけられていたら、関さんのお誘いにも乗っていたかも知れない。お互いいい大人だ、あわよくば、なんてこともあったかも知れない。けれど、私は違う。寧ろそう言った展開から逃げたい類の人間である。
 最後にまた仕事用の笑顔を作って頭を下げる。

「…ということで、私は今日はこれで失礼します」
「帰りは、」
「迎えを呼んでいるので大丈夫です」
「おっ、今日はパトロン付き?」
「冗談はよして下さい。ドレスのお礼にこの後ひと仕事して来るだけです」

 そろそろ外に亜貴ちゃんが到着しているはずだ。私のことで少しでも時間を割かせてしまった分、今日はこれからアトリエの手伝いに行くことになっている。関さんと泉さんにも挨拶をして、私は会場を一人、後にした。思いの外気を遣ったらしく、なんだか肩が重怠い気がする。二度とピンチヒッターなんか引き受けまいと決めたのだった。