雨上がりの匂いがする。

 悲しいことを忘れること、苦しいことを忘れることは、割と得意な方だ。恐らく私の頭の中は意外と単純にできていて、美味しいものを食べるとか、十時間以上寝るとか、そういうことで嫌なことは全て忘れることができた。割と。

「こんなはずじゃなかったのになあ…」

 呟いてみても、ベランダで煙草を吸う背中には届かない。隣が空っぽになったシーツは冷たく、私が意識を落として目が覚めるまで、恐らくもう結構時間が経っていることは簡単に推測できた。ゆらゆらとレースのカーテンが揺れる向こうで、煙も揺れては消えている。
 別に、私と彼はそういう甘い関係じゃないし、目が覚めるまで隣にいてくれと約束したわけでもない。お互い割り切った大人の関係だ。もう責任を取れだのなんだのと喚き散らすような歳でもない。それでも心の奥底で煮え切らない所があるのは、どうしようもなくこの人に恋焦がれているのに、この人は別の誰かを思い続けているからだ。

「起こしたか?」

 振り返った関さんは、灰皿に煙草を押し付けると部屋に戻って来た。私も半身を起こして床に散らばった服を拾おうとする。が、「落ちるよ」と言って代わりに全て拾い上げてくれる。
 セフレにしては、出来過ぎな人だと思う。最初からスマートだったし、独りよがりな行為はしないし、ちゃんと後のフォローもある。ただ、飽くまで作業の延長線上みたいなもので、恋人のような雰囲気は間違っても出すことがない。そういう空気を私はかなり敏感に感じてはいて、そんな私にも関さんは気付いている。こんな気の回し方も、恋人同士だったらしないだろう。

「関さんって、会社でもそうなんです?」
「そうって?」
「完璧を絵に描いたような人ですよね。理想の上司の塊だって言われません?」
「褒め言葉なら受け取っておくよ」
「そういう、嫌味がないところもですよ」

 私に服を着せながら、私の言葉に「そうか」と言って苦笑いする。掴みどころがない、ともいう。自分の上司を思い浮かべてみても、やはり掴みどころがない。そういえばその二人、友人だった。類は友を呼ぶ、と言うところだろうか。タイプは違えど、二人とも妙に女性の扱いにも慣れている。
 スマートフォンの画面を確認すると、まだ夜中の二時だ。今日は関さんも休みだと言っていたし、多少朝寝過ごしても大丈夫だろう。眠いです、と言えば、寝ていいよ、と言われる。けれど、関さんは隣で眠ろうとしない。私が目を閉じるのを確認すると、静かに部屋を出て行った。