サンクチュアリは消えない

「ここは葬式会場なの?」
「…………」

 私の顔を見て、開口一番はそう言った。
 影山くんとはあの一件以来会うことも叶わず私の大阪出張が終わり、入れ替わりで影山くんが大阪へ旅立った。あれから連絡もろくに取っていないくらいだ。あの日も結局影山くんはいつも通り夕方寮に帰って行った。恐らく私から連絡を入れるべきなのだろうけれど、なんとなく仕事がバタついている内に一週間、二週間、と時間が経ってしまった。ますます気まずい。
 ようやく訪れた休みには当然影山くんはおらず、どうしようもない私はに相談すべくランチを奢ることになった。

「何も言って来ないと思えばなんでそんな面白いことになってるの、二人とも」
「ちっとも面白くない…」
「で?影山くんに手を出されかけて拒否した、その心は?」
「脊髄反射……」
「救いようがないわ」

 ですよね、と言ってテーブルに突っ伏した。パシャっというシャッター音がしたかと思えば、が私の落ち込んでいる様子をカメラに収めていた。

「影山くんに送ったろ」
「やめてほんとやめて」

 悪い顔したがさくさくとスマホを操作している。最早それを止める元気すら出ず、私は恨み言しか言えない。
 そんな私をよそに、一頻り私をいじって気が済んだらしい彼女は、メニュー表を開いた。「今日はパスタのお腹じゃないんだよねえ」などと言いながら次々とページを捲っている。一方の私はパスタのお腹でもグラタンのお腹でもない。何も食べる気が起きなかった。

「仁花ちゃんにも送ったろ。影山くんと再び離縁の危機に陥っているです、と」
「仁花ちゃんパニックに陥れるのやめて」
「おっ、返信来た。…いつの間にヨリ戻してたの?だって」
「…しまった、忘れていた」
「薄情ですね、さん」

 もう一度テーブルにゴン、と額をぶつけた。は私を見下ろしながら水を飲んでいる。
 大きな仕事を時々任されるようになった時期と、影山くんとよりを戻した時期が被り、なんだかめまぐるしかったのだ。報告しなくていいか、なんて思っていた訳では決してない。私の予想通り、パニックになっている仁花ちゃんからのメッセージ通知は止まらない。
 私が仁花ちゃんに誘われてバレー部の手伝いを始めたのは、高校一年の夏休み前だったと思う。けれど、部活に入ることを親に禁じられていた私は、飽くまでこっそり雑務を手伝っていただけだった。成績を絶対に落とさないことを条件に、マネージャーとしてちゃんと加入することを認められたのは、それから一年後だ。

(それだって、三年のインハイの後に退部させられたけど…)

 中途半端な人間だなと思う、何もかも。中途半端だから、今回も影山くんとのことで拗れてしまったのだと思う。

「しかし影山くんがまだ手を出してなかったのもびっくりだわ。手ぇ早そうではないけど奥手でもなさそうじゃない」
「人の彼氏捕まえてその言い方…」
「数年ぶりに再会した元カノが大人になって綺麗になってるんだから、まあ~よく我慢したと思うよ、実際」
「最初に事に及んでいてもおかしくなかったと?」
「私たち一体いくつだと思ってるのよ」

 やや茶化しながらも正論をついて来る友人にぐうの音も出ない。勢いがあれば、と言うことではないけれど、もう一度やり直すことになった日の夜、そのままそういう流れになっていてもおかしくなかった。普通であれば。けれど、恋愛沙汰に関してはかなり疎い者同士では、よりを戻してさあ早速、とはならなかったのだ。空白の時間が、何かを邪魔したのかも知れない。怖いとか、嫌だとか、不安だとかいうよりも、もっと違う気持ちだ。

「なんか…高校生を引きずっている気がする…」
「プラトニックはサンクチュアリだからね」
「いずれサンクチュアリもただのユートピアになるのよ…」
「ユートピアをただの、と称するか」

 彼女が明るい性格の女性で良かったと思う。私の肩も持たないし、影山くんを擁護するわけでもない。私と影山くんを完全に客観視してくれる所はとてもありがたかった。これでが私を支持してしまえば、影山くんが悪者になってしまう。そういうことがしたい訳ではないのだ、私は。じゃあ私を責めて欲しいのかと言われれば、それも違うけれど。
 高校生の頃と言うのは、手を伸ばしても触れることのできない、形のない結晶のようなものだ。昨日のことのように思えて、まるで夢でも見ていたかのよう。あのまま、綺麗なままで置いておきたかった気持ちと、あの延長に今を置きたい気持ちの二つが混在する。どちらも嘘ではないのだ。

「とりあえずその葬式顔面やめたら?」
「どんな顔をすれば…」
「せめて写真に映れる顔」
「被写体は慣れてない」
「でもほら、影山くんがご所望だから」

 そう言って、私に自分のスマホの画面を向ける。表示されていたのはと影山くんのやり取りしているメッセージ画面だった。は本当にあのテーブル突っ伏し写真を影山くんにも送っていたらしく、ぎょっとする。その画面をスクロールすると、すぐに影山くんから返信が来ている。それもまた、影山くんが送ったのかと疑ってしまうような内容だった。

 ―――顔が見えねえ
 ―――顔見えるように撮れよ

「というわけで、ハイチーズ」
「むりむりむり」
「ハートでもいいよ、はい、ラブズッキュン」
「無茶ぶりが過ぎるでしょ」

 カメラを構えるに、全力の拒否をする。撮る方はプロになったが、全く撮られ慣れていない私は、スマホカメラを向けられるだけで緊張する。「VOICE調べナンバーワンアプリで盛るから安心して」などと言うが、そういう問題でもない。影山くんのへの命令口調も大分気になりはしたけれど、それどころでもない。少なくともまだ、影山くんが私を嫌いになったり嫌になったりしていないということが分かってしまった。私だってそうだ、ああいうことがあったからって影山くんを嫌いになるはずがない、嫌になるはずがない。一線を越えたからってきっとそれは変わらないはずなのに。
 影山くんの手を止めたのは、何もかもが変わってしまうのではないかと言う、漠然とした恐怖からだった。それを言わずに泣いて終わらせた私は面倒くさい女だったと思う。話せば分からないなんてことはなかっただろうに、それをさぼったのは私。何を怯むことがあったのだろうか。ただ理由も言わず拒んだ方が、愛想を尽かされるに決まっているのに。

「影山くんが大阪から帰って来たら真っ先に会いなよ」
「…うん」
「じゃ、大阪にいる影山くんに送る写真を一枚」
「そ、それまだ続いてるの…」
「お宅の彼氏、結構しつこいわよ」

 結局、カメラから視線を外して引き攣った顔でピースした写真を撮られて、それはから影山くんの元へ渡ってしまった。