俺よりずっと小さい体が、腕の中で震えている。泣き崩れたを受け止めて、俺もずるずるとその場に座り込んだ。壁を背にしてしまえば、教室の外からは死角になっていて誰にも見つからない。しゃくり上げる彼女は、やがて弱々しい力で俺を押し返す。

「誰でもよかったわけじゃない」

 俯き、顔を覆いながらそう言う。まるで心を読まれたかのような言葉に、どきりとした。平静を装いながら、そうか、と返す。小さく頷くは言葉を繋げた。

「寂しかったけれど、仕方なかった。でも自分を恨んでも、それも、仕方なかった」
「うん」
「だって、生まれ持ったものは変えられないから」
「…そうだな」

 きっとはいつだって強くあろうとした。そうでないと生きられなかったのだ。お礼向けてくれた笑顔の下に、ずっと寂しさをひた隠していた。それでも自分を、周りを恨まず生きて来たが、どれだけのことを耐えて来たのか想像もつかない。初めて俺に教科書を貸してくれた時、平然としていたあの裏側は、恐怖と不安でいっぱいだったかも知れない。俺が、それまでの奴らと同じようにを気味悪がったら、ということも考えただろう。
 それでも隠すことなく俺に全てを話した理由だけは、俺がどれだけ考えても分かることではない。ただ席が隣同士だっただけのクラスメートに、自分が傷付くリスクを冒してまで彼女の持つ記憶力を打ち明けた理由は一体。
 が乱暴に自分の目元を拭う。そんな風にしたら余計目が赤くなってしまうというのに、後のことは全く頭に入っていない様子だった。

、なんで俺に言った?」
「なんでだろう…烏丸くんなら、全部知っても離れて行かない気がしたのかな…」
「まあ、当たりだったから良かったな」
「…うん」

 がんばったな、と頭を撫でてやると、さっと頬に赤が走る。もごもごと口の中だけで何かを言うものの、よく聞き取れない。とりあえず涙は止まったらしい。
 とっくに授業は始まっている。初めてサボったな、と頭の片隅で思いながらも、そんなことは大した問題ではなかった。後で保健室に行っては嘘の体調不良を申告すれば良い。俺も根拠はないが教師に問い詰められても切り抜けられる自信はある。授業にしたって、は予習もしてあるのだろうし、どこにも問題は見当たらない。それよりも、限界を迎える寸前だったの心を何とかするほうが余程重大なことだ。
 にはいつも何かしらの危うさがあった。授業を受けている時も、笑っている時も、俺といる時も、ここにいるようでいないような雰囲気を纏っていた。自らそれを望んでいるようにも思えたし、他人と関わるのを恐れるがゆえなのだということに、ようやく今繋がった。彼女が不安定に見える原因は、外との関わりを心のどこかで願っていたからではないのか。
 けれど、どれだけ想像を貼り巡らせても憶測の域を出ない。今全てをから聞き出すことは無理だと分かっている。俺がどれだけの思っていること全てを知りたいと思っても、それをが許してくれるとは限らないのだ。

「あるいは…」
「うん」
「或いは、烏丸くんに知って欲しいって、私が願っていたのかも知れない」

 それは、現代文の教科書でも読むかのような口調だった。用意してあった言葉を発したかのようだった。もちろんそんなはずはないのだが、それほど彼女の言葉に迷いがなかった。かも知れない、と言いながら、それは殆ど確信と言っても良かった。
 顔を上げた彼女の二つの目と視線が交わる。その瞬間、なんとなく分かった気がした。が俺に希望を願った理由も、俺がを知りたがる理由も、言葉では上手く表せないがきっとただ一つだ

「じゃあ多分、最初からそういう風にできていたんだろうな」
「そういう風?」
「俺が教科書を忘れたことがきっかけだったけど、引っ張られる重力みたいなものはあったんだろ」
「…今日は変なこと言うね」
「そうか?」
「多分それは重力じゃなくて磁力って言うんだよ、引っ張られるなら」
も変だぞ」
「うん、そうかも」

 が笑う。ようやくいつものように。けれど、どこか泣きそうな顔で。くしゃりと笑ったその頬に触れると、俺の手にが自身の手を重ねる。それきりお互い黙りこんでしまうと、何の合図もなく、何の確認もなく、けれどこれが正解なんだと確信した。どちらからともなく唇を重ねた。その時、ふわふわと地に足のついていないような彼女が、ようやく俺のいる所まで降りて来たような気がした。





 

(2016/02/03)