「止まなかったな」
「小雨、とは言えないね」

 あれ以来、それまでより多少、いや、かなり話すようになった俺とは、時々一緒に帰ることがあった。は部活にも入っていないらしく、家と学校の往復だけをしているらしい。他のクラスにも知っている程度の同級生はいても友達ではなく、一人の世界を構築しているようだった。つまり俺は、この学校でに接近した最初の人間になった訳だ。
 その日は午後から雨が降っていた。鞄で凌げるような雨ではなく、走って帰るには距離がありすぎる。二人して、傘立てを見た。きっと、持ち主不明の傘がこの中にはある。こっそり使っても、明日返せば問題ないような傘が。

「…烏丸くん、同じこと考えてるでしょ」
もだろ」
「明日返せば大丈夫だよ」
「あ、俺も思った」
「じゃあ、満場一致と言うことで」
「二人だけで満場一致って…」

 細かいことは気にしない、と言って適当なビニール傘を二本、躊躇せずは抜き取った。渡された傘の柄はところどころ錆びていて、俺たちが入学する前からあったのであろう事が容易に想像できた。の手にした傘も同じような状態らしい。傘の開きが随分悪い。

「貸して」
「うん」
「…はい」
「さすが」

 との会話は、テンションが同じだからか気が楽だった。上がり下がりもなく、ずっと平坦を歩いているような会話は、外から見れば面白くないのかも知れないが、ずっと騒がしい中にいることを考えれば幾分もましだ。もそれは同じなのか、俺が話しかけても嫌な顔はしないし、から話しかけて来ることもしばしばあった。授業の話が殆どだったが、時々他愛もない話をして、そうやって帰り道はすぐに終わる。
 ただ、どれだけ話してもの芯の部分はあまり見えて来なくて、宙に浮いているような、地に足のついていないような、そんな不安定さをちらつかせていた。両親は健在、一人っ子、生まれた時からずっと三門市に住んでいる、それくらいのパーソナルデータは得たけれど、それ以上が見えて来ない。性格も温和な方だ。さっきのような忘れられた傘をこっそり借りる程度のことはしても、文句も愚痴も出て来なければ、誰かの悪口を言うような性格でもない。逆に、の悪い噂だって耳に入って来ない―――それは俺が聞かないだけかもしれないが。だから、そんな彼女がなぜいつもひとりなのか不思議で仕方なかった。
 俺とはこうして普通に喋るのに、なぜ他のクラスメートに同じようにしないのか。いや、無理にそうしろと思っている訳ではない。単純な疑問だ。

「烏丸くんはこれからバイト?」
「いや、今日は支部の方に顔出さないと」
「そっか。忙しいね、毎日」
「慣れればそうでもない」
「そんなもん?」
「そんなもん」

 私には想像できないなあ。そう言って呑気そうに笑う。
 そう、はよく笑う。四月の入学式からずっと隣の席だったのに、今更それを知る。人を近付けまいとしている訳でもないけれど、俺も話しかけに行くタイプの人間だったから、余計に接点なんて持てなかった。これまでの時間を無駄にしたな、とふと思う。もっと早くにこんな風に喋れていたなら、と。

「ねえ、また色々教えてよ」
「色々?」
「ボーダーの事とか、支部の事とか、機密に触れない程度に」
「そんな面白い話なんてないけどな」
「面白いよ、烏丸くんの話はいつも面白い」

 その言葉になぜか何も返せなくて、分かった、とだけ返事をする。のことも教えてくれ、と言えるくらい気の利いた人間だったらよかった。或いは、の話も面白い、と。には不思議な力があるのかも知れない。時々、こうして俺から言葉を奪ってしまう。けれど今日は、呼吸まで止められそうになってしまった。
 それじゃあ、と言って分かれ道で手を振るに無言で手を振り、その背中を見えなくなるまで見つめる。雨の降るリズムと同じように、の足は止まることはなかった。





 

(2016/01/15)