菅原さんも来ることを伝えた上で、影山くんと一度話したいことを影山くんに伝えた。思いの外、早くに返事が来たメールには短く承諾の内容が書かれている。じゃあいついつどこでどうですか、とメールを打つ。分かった、というだけのメールがまた来た。メールのやり取りをしている最中、どきどきしたけれど、これは緊張のどきどきだ。試験の結果を待っている時のようなどきどき。最近、菅原さんに会う前に感じるどきどきとは全く違う。すっかり影山くんは過去の人になったんだなあと、そっけないメールをもう一度眺めて思った。
 ファミレスでも良いかと思ったが、それではあまりに目立つし、真面目な話をするのには向かない。その結果、菅原さんの部屋を借りることになった。約束の時間の三十分前に到着していた私は、私のためにと菅原さんが買い置きしてくれた紅茶を飲んでいる。菅原さんも私の隣で同じ紅茶を飲みながら呟いた。

「影山遅いなあ」
「私が早く来過ぎたんですよ」
「まあそれでもそろそろ…お、来たな」

 ピンポーンと、聞き慣れたインターホンの音。一気に紅茶を飲み干して菅原さんが対応しに行く。私も残りの紅茶を喉に流し込むと、二つのマグカップをキッチンに戻しに行った。新しい紅茶をいれようとしていると、「俺がやるよ」と言って菅原さんが戻って来る。この部屋のキッチン周りの勝手は分かって来たつもりだ。構わないのに、と思っているとカップを取り上げられた。すると今度は、エレベーターホールではなく玄関のインターホンが鳴った。
 あまり待たせてはいけないと、少し早足で玄関に向かう。菅原さんの部屋なのに、私が出るのは何だか気が引ける。私が呼んだ客人だけれど。私がここの鍵を内側から触るのは、私が留守を預かって菅原さんが帰って来た時だけだ。また緊張でどきどきしながら、チェーンと鍵を解錠した。ドアをこちらから開けると、結婚式で見た時と変わらない影山くんの姿があった。私が出て来たことに少し驚いたらしい。一瞬、挨拶が遅れる。

「…久し振り」
「だな」
「上がって、て私が言うのも変な話だけど、どうぞ」
「どうも」

 やはり気まずいのか、そわそわしながら影山くんは私に続いて中に入った。菅原さんの姿を見ると、高校時代の名残か、礼儀正しく頭を下げて挨拶した。変な空気が流れているのを察して、菅原さんは「結婚式ぶりだなー」とか、「奥さん元気か?」とか、「まあとりあえず座れって」など、影山くんに話を振ってくれている。その間に私は、またキッチンに回って菅原さんが新しく入れてくれたであろう紅茶を取りに行った。けれど、そこには新しいカップが二つしかない。一人で首を傾げていれば、菅原さんもキッチンにやって来て、私の手からカップを奪って行く。どういうことだろうか。

「じゃあ俺は外出てるから、ある程度したら戻るな」
「す、菅原さん!」
「俺がいたら意味ないだろ。今日は一人でがんばるんだぞ、
「……はい」

 そう言うと、部屋の鍵を私に預けて、菅原さんは本当に部屋を出て行ってしまった。目の前では、二つのカップから昇る湯気が揺れている。私が準備したものではないけれど、「ど、どうぞ」と言うと、「あ、ああ」と言って影山くんもカップに口をつけた。私も同じように紅茶を一口飲む。私より先にカップを置いた影山くんが、しみじみと呟いた。

「本当に菅原さんと付き合ってるんだな」
「聞いたの?」
「日向から」
「…うん」

 何となく伝わった経路が特定できた気がした。けれど、今日話したいのはそんなことじゃない。私もカップをテーブルの上に戻して、膝の上でぎゅっと両手を握った。緊張で汗が背中を伝う。

「今日、そんな深刻な話、するつもりはなくて…だから、菅原さんも出て行く程じゃないんだけど…」
「ああ」
「影山くん、結婚おめでとう」

 上手く笑えているだろうか。ちゃんと伝わっているだろうか。結婚式当日には言えなかった言葉、未練だらけの気持ちで出席した結婚式、最低なことをした私。そんな私に今更言われても仕方ないかも知れないけれど、私たちがちゃんと終わるために必要なことだと思った。私の中では解決して菅原さんとのこれからを考えていたとしても、結婚式にあんな私が出席してしまった以上、もう今は何ともないのだと影山くんに伝えなければならなかった。結婚式の最中、一度だけ私と目が合った時、私を見る影山くんの目は一瞬だけ後ろめたさを孕んでいた。今更謝っても遅いことだけれど、自己満足と言われようとこれがベストな方法だったのだ。
 私の言葉を受けた影山くんは、驚いたのか目を見開いていた。

「それだけ、言うために?」
「あと…菅原さんと上手く行っているって…。結婚式の日はまだ、影山くんを追いかけてたから」
「酔い潰れて菅原さんにホテルに運び込まれた所までは聞いた。当日に」
「日向先輩、何もリアルタイムにしなくても……」

 余計なことを、と思ったが、日向先輩にも高校時代ずっと心配をかけていた。私と影山くんが付き合えるように、日向先輩と仁花先輩がいつもフォローしてくれていた。別れた時に影山くんを怒鳴ったのも日向先輩だったし、日向先輩にも何も言えない立場なのではあるが。
 けれど、それを聞いて気が抜けた。私の間抜けな話まで筒抜けだった訳だ。

「いや、俺も心配はしていたからな。まさか来ると思ってなかったし、二次会行くって聞いて潰れるのは分かっていた」
「…ごめんなさい」

 やっぱり、あの結婚式の招待状は義理で送られて来たものだったらしい。本当に最低なことをしたのだと、今になって罪悪感が押し寄せて来る。けれど、逆に影山くんに「悪かった」と言われてしまった。私は首を傾げる。影山くんが謝らないといけないことなんて何一つなかった。私が結婚式を欠席すればよかっただけの話だ。そうすれば一瞬でも結婚式と言う幸せな場で後ろめたい顔をすることはなかったのに。影山くんと奥さんには、きっと謝っても謝り切れない。思い出せば思い出すほど、自分が最低な人間だと思い知らされる。私の出席なんて、影山くんからすれば嫌がらせも良い所だった。
 けれど、違う、と影山くんは頭を振った。

「もっと前。たった一年、を待てなかった。には辛い思いをさせたと思う。でもたった高校二年でお前の進路を縛るだけの勇気が俺にはなかった」
「…もう、終わったことだよ」

 それこそ今更だった。もう何年も前のことだ。長かったような、あっという間だったような数年間だ。たった一年ちょっと付き合っただけの相手。それこそ未来なんて現実的には考えられないような高校時代の話。それを、社会に飛び込むと同時に清算できなかった原因に影山くんはいない。勝手に追いかけて、勝手に傷付いていただけだ。
 私は、脇に置いていた鞄から一つの封筒を取り出した。それを影山くんに差し出す。

「開けてみてよ」
「写真?」
「最近印刷したの。結婚式の時の」
「結構撮ってくれてたんだな」
「でも、ずっと見ることができなかった。やっと、最近」
「…そうか」

 そう言って、一枚一枚ゆっくりめくって見ている。結婚式に呼ばれたからにはカメラくらい持って行かないと、と思い、連れて行っていたデジカメ。どうせ後で見返すことなんてできないはずなのに、周りと同じように撮っていた写真。震えてまともに撮れていないだろうと思っていたけれど、案外枚数はあった。印刷する写真を選んだのは、私と菅原さんだ。私がデータを消さずに持っていたことに、少なからず菅原さんも驚いていたようだが。
 やがて、写真を全て見終わった影山くんは、また封筒にしまうと「家であいつにも見せる」と少し嬉しそうに言う。それを見て、私もやっと顔の緊張が緩んだ。

「菅原さんなら、のことを泣かせたりしない」
「うん」
「俺とが付き合った期間とは比べられないくらいの時間を、はこれから菅原さんと過ごすんだ」
「…なんか勝手に決められているけど」
「悪い、酔い潰れたに菅原さんがついているって聞いて、もうはこれからずっと大丈夫だと思った」
「なにそれ」
「いや、なんか…直感で」

 けれど、その直感はあながち間違ってはいなかったということだ。現に、こうして私は菅原さんと付き合っている。いい関係を築けている。影山くんから結婚式の招待状が届かなければ、私が出席しなければ、二次会に行かなければ、そのどれか一つが欠けても今には至らなかった。もっとずっと先まで、未練を引きずったまま生きていたかも知れない。こうして影山くんとちゃんと話すこともないまま、誰にも助けてもらえないまま。
 最後に、一つだけ聞いた。

「影山くん、私と付き合ってた期間って、ちゃんと思い出になってる?」

 それは、未練とか、後悔とか、そういう意味ではなく。

「いい思い出だ」

 私の中で、ようやく一つの恋を終えられた気がした。長い長い時間をかけて育ってしまった未練だらけの恋が、私の中でも思い出になった。思い出を全て埋め立てる必要はないという仁花先輩の言葉が、脳裏をよぎった。





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(2016/02/02)