
そんなに冷たい人だと思わなかった―――付き合っている相手と別れる時に、決まって言われる言葉がそれだった。それはそっちが俺の本質が見えていなかっただけだろうと思っていたが、これから別れるという相手にそんなことを言っても意味がない。だから「そうだよ」と素直に認めれば、ますます相手の怒りを買うだけだった。
ろくな別れ方をしないのは、自分が意外と薄情だと実感する間も与えないような相手に出会って来なかった証拠だ。
「戻ったぞー」
「おかえりなさい」
一時間ほど外で時間を潰して家に戻ると、が俺を出迎えてくれた。靴を脱ごうと足元を見ると、靴が減っている。影山は帰ったらしかった。
「菅原さんが戻るまで待っててって言ったんですけど…」
「影山もそういう気を遣えるようになったんだなあ」
は苦笑して「早く入って下さい」と俺を急かす。そんなの顔は、どこかすっきりしているようだった。数年分の気持ちをようやく清算したのだから当然だろう。
俺が影山を気にしていなかったと言えば真っ赤な嘘になる。の気持ちが俺にちゃんと向いていると分かっていても、影山とのことを解決していないのであれば、意識してしまうのは仕方なかった。だから、これでようやく影山のことを過去に出来たのだと思うと、俺も幾分か気持ちが楽になった。それを察してか否か、中に入った途端が抱きついて来た。普段はこんなことをするような奴じゃないのに、と驚きつつ、いつも通りにの背に手を添える。
「お疲れ様」
「はい」
「ちゃんと話できたか?」
「はい」
「…、泣いてる?」
「泣いてません」
相変わらず“泣いていない”の嘘は下手くそだ。今は泣いていなくても泣きたい癖に、抱きついた俺の胸元に顔を押し付けて強がる。
悲しいとか辛いとかではないのだろう。緊張の糸が切れただけなのだと思う。今更影山と何かあるはずがない。さっきまで二人は真面目に話をしていただけだ。嘘が下手なは、何かあればそれを隠すことができないのだから。
「菅原さん」
「んー?」
「菅原さんがいてくれて良かったです」
「はは、そうだろ」
「もう…」
そう言って俺を見上げて睨むの目はやはり潤んでいる。あと少しで泣く所だったらしい。そんなの頬を引っ張ってやると、「なにするんですか!」と舌足らずな声を出して俺の頬もつねりに来る。
こんな馬鹿みたいな、子どもみたいな戯れが心を満たす日が来るとは思わなかった。何としても手に入れたいと思う相手ができることも、ずっと笑っていて欲しいと願う相手ができることも夢のような話だった。最初はそれこそそんなつもりはなく、単に彼女の心に空いた穴を埋めて良い人のふりをできればよかった。そうすることで、虚しい付き合いと別れを繰り返す俺が、本当は救われたかったのだ。のためと思いながら、本当は自分のためだった。
それには気付いていたのか気付いていないのかは知らない。きっと、そこまで気が回らなかったと思う。けれどさすがに、最初に俺がただ親切心だけでに近付いたのではないことくらいは察しているだろう。それでも、は俺から離れて行かなかった。
「菅原さん、好きです」
「なに、いきなり」
「私、知っています。菅原さんが優しいだけじゃない人だってことは」
「ストレート…」
「でも、だから良かったんだと思います」
そう言って目を伏せる。そんなを抱き寄せた。もう涙が流れる気配はない。
人間は誰でも多面性を持ち合わせているものだ。それが極端か極端でないかと言うだけで。もそうだった。失恋してかわいそうなだけの女ではない。そこにつけ込んで近寄って来る男を見極めてはさらりとかわすだけの強かさは持ち合わせている。俺のことも出会った当初はそうやって篩いにかけようとしていたのだ。かと思えば、真面目にお付き合いを始めてみれば、さすが数年影山を追いかけていただけあって健気で一途。心を砕いた相手には“そう”らしかった。多分、俺も同じような人間だ。だから、ぴたりと互いのピースがはまれば、こうして二人でどれだけの時間を過ごしても苦にならない。
「俺ものそういう結構遠慮と容赦のないとこ、好きだなあ」
「菅原さんこそストレート過ぎます」
「本音と建前よりはましだろ」
「まあ、そうですけど…」
口ではそう言いながら、どこか不服そうである。が真面目なことを言ったのに、俺がそれを引っ張って茶化したことが気に入らないのだろう。そうやって感情を顕わにするようになったが、たまらなく愛おしいと思う。以外にそんな風に思った相手はいない。きっとこれからどんなを見ても受け入れられるのだろうと思えるほどには、もうを手離す気がしない。
は、ちゃんと影山とのことを思い出にできたのだという。大分時間はかかったけれど、終わらせることができたのだと。だとしたら、これから重ねて行く俺との時間も全て新しい思い出として残って行くのだろう。こうしている間にも、と過ごす時間は過去になって行ってしまう。それをできるだけ綺麗な形でたくさん残せるように、幸せだと思うできごとをたくさん覚えていたい。俺も、も。でも多分、そんなことを考えながら過ごすのはまだ早い。
「腹減ったなー」
「また突然ですね」
「の作ったものが食べたい」
「冷蔵庫に何か入ってます?」
「多分あんまりないな」
「じゃあ、スーパーに行く所からですね」
今度は一人ではなく二人で部屋を出る。俺はこの部屋の合鍵をそろそろに渡そうと思いながら。その時はどんな顔をしてくれるだろうか。どんな声でどんな言葉を聞かせてくれるだろうか。過ぎる時間を憂うより、まだ分からない未来を想像するだけで得られる幸せを噛み締めて思う。俺とはまだ始まったばかりなのだと。
そうして繋いだ手は、いつもよりあたたかく感じた。
Fin.
(2016/02/04)
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