宮城から帰って来たを駅まで迎えに行ったその帰り、彼女の口から思いもよらぬ言葉が飛び出した。 「影山に会う?」 「私、結婚式の日も挨拶できていないんです。だから…」 「ちゃんとしておきたい?」 「はい」 宮城には金曜の夜から二泊三日して来たは、大きなキャリーを引いている。それをの手から奪うと「自分で持てます!」と慌てるが、そんなはスルーして俺はそのままのキャリーを預かった。…あんな細い体で結構な重量のものを抱えていたらしい。 今日の夜までゆっくりしてくるのかと思いきや、昨日の夜に「明日のお昼前には東京に戻ります」というメールが来たのだ。そのまま俺と昼食に行きたいということだったらしい。ちゃんと付き合うようになってから、急に素直になった。これまでのことがある分その落差には驚くが、本来はこっちなのだろう。影山の一件で意地になっていただけで。 そんなが、どんな心変わりをしたのか影山に会うと言い出した。向こうで谷地さんと会っていたとも言うし、何か話したのだろうか。 「影山くんはとっくに吹っ切れていると思うけど、やっぱり結婚式で会った時にちょっと気まずそうだったし…」 「まあ、影山もが来るとは思ってなかっただろうからなあ」 「当てつけの出席でしたから」 「思いの外そういう行動力あるよなあ、って」 「意地になっていただけですよ」 苦笑いをして返して来る。は表情もころころ変えるようになった。自分のものになると、こんなにも変わるものなのか。何かの度に躊躇するような表情を見せることもなくなった。本当に影山のことは吹っ切れてようやく落ち着けたのだと、そんなを見て安心していた。だから今更、俺に了承を得る必要もないのだが、それでも影山に会うと決めたことを俺に伝えたのは、なりの気遣いだろう。確かに事後報告はあまり良い気がしない。影山も新婚だし、もこんな感じだし、心配することはない。ないけれど、俺の中に生まれた独占欲が、例え新婚の男相手でも男と二人で会うことに面白くないと言っている。 「菅原さんも来てくれますか?」 「俺?」 「えっと…多分その方が影山くんも了承しやすいでしょうし、ちゃんと信じてもらえるかなって」 「まあ、そうだな。…ていうかさ、今の影山の連絡先知ってんの?」 「日向先輩経由で…」 「ああ…」 知らない所で割と事は進んでいたようだ。それをいつから決めていたかは知らないが、何も言われなかったよりはよしとする。 そんな話をしている内にのアパートの前に着いた。大きな荷物だけ置いて、またすぐに部屋を出る。お腹空きましたね、と言いながら鍵をかけ、俺を見上げて笑いかけて来る。こんな純粋な笑顔もできたんだな、と付き合うようになってから知った。…いや、待て。そう言えば初めて体を繋げた日以来、とちゃんと確認をしていなかった。 (俺たちって、付き合ってる…んだよ、な?) 確かな一言がなかった気がする。「自惚れて下さい」とは言われたが、俺も俺でちゃんと言っていなかった気がする。その癖、“ちゃんと”付き合っているなんてことになっていた。何もかも言葉にする必要もないが、これだけはきっちりしておかないといけない気がする。あれから何度もを抱いているけれど、好きだとかなんだとか、そういうことも言っていない。言った記憶がない。も何も言わなかった。確認するなら今か―――エレベーターを待つの後ろに立って、俺より低い所にある頭を見下ろす。 髪の一本に至るまで好きになる相手ができるなんて、正直に言うと夢にも思わなった。しかも相手は高校の後輩だ。世間は狭いとは言うが、こんな所でまさか後輩とこういう関係になるとは誰も思わないだろう。最初こそ俺もそのつもりはなかった。影山の結婚式の日にを押しつけられた時は本当に面倒臭いと思ったくらいだ。 (寂しかった、ていうのはあんまりだけど…) も俺も、結局心のどこかに穴が空いていたのだと思う。ちょうどそこを補い合えた結果が今なのだろう。 上から下りて来たエレベーターには誰も乗っていなかった。そのまま乗り込んで、そのまま一階のエレベーターホールにまで到着する。二人分の足音がホールに響く。外に出てから、「どこにしますか?」とが振り返る。そんなの手を取って、今しかない、と思った。 「好きだよ、」 「え…?」 「ちゃんと言ってなかったと思って」 「そう…でしたっけ」 「うん」 「あ、ありがとうございます…」 照れたのか、そわそわしながら俯く。握ったの手は温かい。髪の隙間から見えている耳は赤くなっていた。 「は?」 「へっ」 「はどう?」 「わ…私も、菅原さんが好きです…」 こんな所で勘弁して下さい―――小さな声でそう文句を言って、は俺の肩に額を押しつけて来る。顔を見られたくないらしい。その行動から、およそのの表情が想像できた。思わず、俺の頬も緩む。 時間だけ見てみれば、まだそんなに経っていない。それなのに、と出会ってからここまで来るのに随分長かったような気がした。その間、は何度も泣いた。その度に、どうにかしてやりたいと思う反面、いい加減影山のことは忘れてくれと苛立つこともあった。の気持ちを待っているだけというのは、俺も随分堪えたこともあった。二十代も半ば、こんな思いをすることがあるとは夢にも見なかった。その甲斐あってと言えば良いのか、は俺の傍にいることを選んでくれた。 俺から離れたが恥ずかしそうに笑う。たまらなくなって、その額に触れるだけのキスをした。 ![]() (2016/01/29) |