私は頑固である。

 人のために自分のポリシーを曲げるなんて、数年に一度あるかないかだ。仕事でもプライベートでも、譲れないものはとにかく譲れない、頑として動かないのが私だった。それなのに。

「いや~、まさか生きている間にちゃんの参加する飲み会に参加できるなんてね~」

 職場絡みの飲み会はなんて、社会人になって以来片手で数える程度しか参加していない。別に、今回だって避けようと思えばいくらでも避けることはできた。それくらいのスルースキルは身につけているし、断る理由なら星の数ほど考えられる。にも拘らず、私は今、捜査企画課の飲み会に参加している。渡部さんも参加の飲み会だ。今日と言う日が始まった時、仕事が終わった瞬間、開催場所の居酒屋に向かっている時、このお店に着いた時、席に着いた時、それぞれ大きな後悔が私を襲った。まだ何も始まっていないのに、私はことあるごとに憂鬱を感じて過ごして来た。特に、今日一日は。

「飲み会ほとんど来ないって、樹莉ちゃんお酒飲めないの?」
「飲める種類が限られているだけです」
「じゃあ食べ物に制限があるとか」
「医者から制限かけられている食べ物はありません」
「じゃあなんで?」
「夏目、が困っているだろう」

 わざわざ向こう端から続けられる純粋な質問は時に悪意を感じる。関さんが止めてくれなければその追及はまだ続いていたかも知れない。
夏目くんからの質問攻めが私は苦手だった。だからここの飲み会への参加もかなり気が引けていたのだが、泉さんや今大路さんの曇りのない目にノーを突きつけることは、それこそ少しばかり気が引けてしまったのだ。けれど、それだって、いつもどおり拒否しようと思えばいくらでもできた。私を思い止まらせたのは、他でもない関さんだ。捜査企画課の面々に誘われるも断っていたのに、「この間検討しておくと言ってくれていたのに…」というような目で見られてしまえば、いよいよ折れざるを得なくなった。
 夏目くんからの途切れることのない質問に嫌気が差していると、助け舟のように私の隣に座っている今大路さんが声をかけてくれる。

さん、何飲まれますか」
「…ビールは飲めないのですが」

 渡されたメニュー表を見ながら悩んでいると、向かいに座る泉さんと青山さんも会話に入って来た。

「気にする必要ないぞ、泉はいつも一杯目から焼酎だ」
「そそそれは言わない約束です…!」
「じゃあモスコミュールで」

 それを聞いた渡部さんが「お、いいねえ」なんて相槌を打つ。泉さんは泉さんで、青山さんに言われていた通り、一杯目から焼酎をオーダーしていた。焼酎に詳しくない私は、それがどんなお酒なのかよく分からないけれど、泉さんがいつも飲んでいるものらしかった。
 私がそもそもこういう職場の飲み会は嫌いな理由の一つは、まず人数が多く騒々しいことだった。昔から団体行動が嫌いで、大勢の中に埋もれれば自然と口を開かなくなった。会話があちこち行き来するのも、混ざり合うのも、交錯するのも、何もかもが嫌いだ。こうして大勢の中で隅にいて口を閉ざしてしまえば、居ても居なくても一緒になってしまう。それは私を不安にさせたし、自分の不必要さを実感させるばかりになった。ここにいる意義が見出せなくなるのだ。そういう、いわば無駄なつまらない時間を過ごすのは建設的ではない。
 今日だって、いつものメンバーに私がぽんと放り出されて会話にスムーズには入れるはずもない。一杯目のモスコミュールをちびちび飲むものの、グラスはなかなか空にはならない。声を張り上げなければ何も通らない場で、私が声を出すのを諦めるのはいつも早い。随分薄くなってしまったアルコールをまた口に含みながら、最初に取り分けてもらったサラダを、これもまたちびちび食べていた。
 いよいよ皆にお酒が回り始め、人の会話なんて聞いてないような雰囲気になる頃、青山さんと入れ替わり正面に泉さんがやって来た。相変わらず焼酎を飲んでいるらしいが、その顔には全く酔いは現れていない。

「噂通りお酒に強いんですね、泉さん」
「今日はこのために頑張って来ましたから!」
「なるほど」
「あ、さんそれもう薄くないですか?新しいの頼みます?」
「じゃあ…もう一杯同じのを」

 通りすがった店員さんを呼び止め、「モスコミュール一つ!あと黒霧島ロックで!」と私の代わりにオーダーする泉さん。なるほど、私とは真逆で飲み会慣れしている。そして空になったグラスをテーブルの端に集めると、なんだか泉さんはそわそわし始めた。その様子は、どう考えても「さんに話がある!」と言っている。泉さんは、割と色んなことが顔に出るので分かりやすい。けれど、私が「何か話でもあるの?」というのは威圧感たっぷりな気がして、とりあえず何か言われるのを待った。

「あの…さん」
「はい」
さんの職場って、女性の方はみえますか」
「捜査企画課ほどの極端さではないけれど、少ない方ですね」

 何となく言いたいことが分かった気がした。決して女性の多い訳ではない場所に身を置く立場として、ぴんと来た。

「…難しいでしょ」
「え?」
「女性って、仕事ができすぎてもできなさすぎてもいろいろ言われるでしょ」
「あー…いや、えへへ…あっ、うちの課ではないですよ!」

 焦ってフォローの言葉を入れるが、捜査企画課内での話ではないことはもちろん分かっていた。直接あの上司―――関さんの下で働いていて、女性だから云々と文句を言う人はいるはずがないだろう。特別厳しくすることがなければ、当然甘やかすこともない。対等に扱われる課であることは、出入りしていて十分感じている。きっと、外からの声だ。対して事情を知りもしない癖に、口だけ出したがる輩はどこにでもいるもの。

「周りの声がただの雑音程度になるくらい、私は仕事を真剣にやっているつもり」
さん……」
「何の文句も言わせない手段が、私はあらゆる言語を自由に操ることだっただけ。今思えば、もっとスマートなやり方もあったかも知れないけど」

 もちろん、多言語を習得するに越したことはない。これからの仕事に幅が広がるし、自分の実りにもなる。けれど、如何せん新人の頃の私は今よりずっと売られた喧嘩に対して好戦的だった。自分から吹っ掛けたりはしないけれど、いちいち反応過多だったし、実際角の立つやり方もして来たと思う。けれど、泉さんは他で社会人経験を積んでから入庁した人物だ。私の新人の頃とは違う。

「泉さんならきっと大丈夫」
さん…」
「私とは分野が違うから助言らしい助言はできないけど、私の経験則です」

 すると、泣きそうな顔をする。すぐに目をごしごし擦って「へへへ」と笑った。
 社会人経験をよそで積んで来たからと言って、何を言われても平気な訳ではない。想像の範囲を超えないけれど、彼女も彼女でいろいろあるのは想像に難くない。私も詳しくは知らないが、中途半端な時期に訳ありで入庁し、優秀な課員の揃う捜査企画課に配属されたという。全く別分野から簡単に飛び込めるような場所ではないことも、並ではない苦労をすることも私は知っている。
 大変なんだろうなあ、と、運ばれて来たクロキリシマノロックを泉さんに渡す。グラスを掲げられたため、私もモスコミュールのグラスを持ち上げて、改めてカチン、とガラスを鳴らした。一口飲んで、泉さんがまたおずおずと言葉を発する。

「あの、良かったら樹莉ちゃんって呼んでいいですか…私のこともぜひ名前で…」
「…………」
「同い年だし、な、仲良くしたいなあって…!今日を機に、敬語も取れたら…!」
「…職場外でなら」
「あとあと、ついでに連絡先の交換など…」
「……………私、連絡マメじゃないんだけど」
「さっき以上に間があったけど了承って捉えておくね!」

 先ほど一瞬だけしおらしかったのはどこへやら、通常運転に戻る。更には「今度は樹莉ちゃんと二人で飲みたいなあ」などと言われたので、更に五呼吸くらい置いて、「時間合えばね」と返しておいた。



、今日は送って行く」

 私と玲ちゃんの会話が一区切りしたのを聞いていたのかいないのか、飲み会の終わりを告げたのは関さんだった。更には送って行くとまで言われたのだが、流石に断ろうと首を振った。

「や、でも関さんは二次会とかあるんじゃ…」
「二次会の方は渡部に任せた。こんな時間に女性を一人で帰すわけにはいかないよ」

 どきりとする。普段女性扱いをされていない訳ではないが、はっきりと口にしてそう言われると、なんだがむず痒い。そう言われてしまうとそれ以上頑固に拒否することもできず、じゃあお願いします、と答える。多分、関さんにそんな風に言われて断れる女性はいないんだろうなあ、と思ってしまった。
お酒の入った面々は、私が関さんに送られることに何の疑問も抱かなければ、からかって来ることもない。玲ちゃんだけが何かやたらにこにこしながら手を振っていたけれど、単に機嫌が良かっただけだと思いたい。
 お店の前でタクシーを拾い、関さんと二人で乗り込む。慣れない距離感になんだかそわそわした。何か喋るべきか、運転手さんにただひたすらナビをするだけでいいか、悩んでいると関さんの方が口を開いた。

「泉のこと、ありがとう」
「いえ…何かしたつもりは……」
「上司としては、できることが限られている。同世代の女性同士でないと分からないこともきっとあるだろうから」

 ふと関さんの方を見ると、関さんも私の方を向いていて、目が合うと小さく笑った。急に恥ずかしくなって目を逸らす。膝に置いた鞄の上で両手をぐっと握り締める。何か力を入れていないと、変な声が出てしまいそうだった。恥ずかしさを誤魔化すように、私も言葉を返す。震えないように、上擦らないようにと慎重に。

「関さんは、いい上司ですね」
「そう言ってもらうのは二度目だな」
「そ…そうでしたっけ」

 とぼけながら、私も覚えていた。関さんとの会話はちゃんと覚えている。ただの世間話さえも、忘れてしまっていいのにしっかりと。声のトーンも言い方も、ちゃんと記憶されている。
自覚したら止められないのだという友人の言葉を、もう何度も思い出している。関さんに会う度にその言葉を思い出しては、恋心をどうしても否定できない。よその部署の私も最初から対等に扱ってくれたこと、仕事に対する誠実さや責任感の強さ、部下から慕われる人柄、その反面、意外と抜けている所があること―――惹かれた理由を挙げればいくらでも出て来る。優しく目を細める表情も、仕事中の真剣な眼差しも、私にからかわれて参っている姿も、どれも私の心を掴んで離さない。こんなつもりじゃなかったのに。

「色々あるだろう、外交官も」
「ない、とは言えませんね」
「はは、のそういうところ嫌いじゃないよ」

 早くタクシーを降りたい。二人きりでなど話したことがないのに、緊張が勝って変なことを口走りそうだ。
 見慣れた景色が戻って来て、私は咳払いをすると運転手さんに道案内を再開する。

「あ、次の角を左で…そこです。ありがとうございます」

 財布を出そうとすると、関さんはそれを手で制する。そして、先程までとは打って変わって、固い声で「」と私を呼ぶ。思わずその顔を見れば、随分気まずそうな顔をしていた。不思議に思いながら首を傾げていると、思いもよらぬ言葉を関さんは言った。

「俺も降りる。すみません、精算お願いします」
「え?」

 そうして運賃を支払ってしまうと、私に降りるように促す。意味が分からないままタクシーを降り、なかなか事情を説明しようとしない関さんを振り返る。関さんは、何か言葉を探しているようだった。しかしその様子からも、ここまでの流れからも、私の家に上げてくれとか、そういう理由ではなさそうだ。あの、と言いかけて、関さんが私を見る。

「俺もだ」
「はい?」
「俺も、このマンションに住んでいるんだ」

 夜遅い時間にも拘らず、思わず叫びそうになる。絶句するに留まった私は、顔が引き攣ったまま固まった。