「あ、来た」 迅さんがそういうと、支部のチャイムが鳴る。陽太郎が「か、なのか!」と言って玄関に行こうとするが、乗っている雷神丸が動かない。それを横目で見ていた俺が玄関に向かった。すると、予想通りそこにはさんがいた。 「ちょっと遅れちゃった、ごめんね」 「いや、大丈夫です」 大きなキャリーバッグを持っている所を見ると、ここまでタクシーを使ったのだろう。それをさんの手から奪って中へ通す。いいのに、とさんは言うが、そういう訳にも行かない。苦笑いするさんの手もついでに引いて、彼女の来訪を待っている支部長の所まで案内した。尤も、彼女も勝手知ったる部署だ。本当は案内なんて必要ないのだが。通りすがりに迅さんと陽太郎にも挨拶をする。もうここでいいから、というさんに荷物を返し、支部長の元へ向かう背中を見送る。 「すごい荷物だったな」 「本部から取り寄せたい資料があったそうですよ」 「すっかいりいいパシリにされて…」 「本人がいいって言ってるんだからいいんじゃないすか」 「お前結構さんに厳しいな」 さんは、この間まで玉狛に所属する戦闘員だった。理由も伏せられたまま戦闘員を辞めて、本部で事務の仕事をしているらしい。何度聞いても本人からその理由は聞かせてもらえなかった。支部長と迅さんは何か知っているのだろうが、その二人に訊ねた所ではぐらかされるのは目に見えている。だから今も、根に持っていると言えば根に持っているのだ。 やがて、用を済ませたさんが顔を出した。いつも通り自腹の土産を携えて。それを真っ先に受け取りに行くのが陽太郎だ。 「段々バリエーションもなくなって来てるから期待されても困るんだけど…」 「がくれるならなんでもうれしいぞ!」 「陽太郎は良い子だなあ」 さっそく土産の箱をべりべりと開ける陽太郎。多分暫くさんはここにいるはずだ。さんが迅さんと会うと結構な時間しゃべって行くのがいつものことだった。お茶を入れようと席を立つと同時に、さんが私も行く、と言い出す。いいのに、とさっきのさんの言葉を繰り返すと、いいから、と繰り返すさん。埒が明かないので二人でキッチンに向かう。 自惚れでも自意識過剰でもなく、俺とさんは良い感じだったと思う。さんには随分面倒を見てもらって、俺はずっとさんを意識していた訳だが。けれど、何も言わずにさんが玉狛を去った瞬間、気のせいだったんだと思い知らされた。よく考えればさんは四つも年上だし、弟の面倒でも見るつもりで世話を焼いてくれたのだろう。少し考えれば分かることだ。一人で期待していたのが馬鹿みたいだった。 「最近がんばってる?」 「まあまあです」 「新しい子入ったんでしょ。あの京介くんがなかなか手焼いてるって」 「あの、てなんすか」 「京介くんは優秀だったからね」 インスタントコーヒーの瓶を開けながらさんは笑う。そんなさんを見る度に胸が痛かった。 戦闘員を辞める理由はいろいろある。訓練について行けなかったとか、実際戦闘にあたって怖かったとか、引っ越しとか。今でこそ玉狛にはとんでもないトリオンの人間がいるが、さんもなかなかのものだったと思う。きっと本部はさんが戦闘員を辞めると聞いた時、慌てて引き止めたことだろう。とりあえずボーダーに置いておけば、いざという時に使える。それも憶測だが、さんが本部から辞めろと言われるはずがないし、何が何でもさんを引き止めたはずだ。 「…あんまり見られると穴開きそう」 「すみません」 「怒ってるよね、まだ」 「怒ってないとは言いません」 「京介くんも素直だなあ」 さんはまた苦笑いを見せる。砂糖とミルク出して、と言われて、棚の中を探る。結局後でついて来たさんにほとんど全部させてしまった。 「京介くんこの後バイトでしょ?おにぎり冷蔵庫に入れておいたから持って行くなり食べるなりしてね」 「…ありがとうございます」 いつもそうだった。玉狛にいる頃からさんはこっそり冷蔵庫に差し入れを置いて行ってくれる。バイトを掛け持ちしていることを知った時は、説教されたこともあった。いつも、誰よりも心配してくれたのはさんで、応援してくれたのもさんだった。俺より少し先に玉狛にいたさんは、思えば俺が来た頃には既に戦闘員を辞めるつもりだったのかも知れない。今になって見れば思い当たる節がいくつかある。けれど当時は、さんの発言からそれを察することはできなかった。 素直にお礼を言うと、「無理しちゃだめだよ」と言って、自分より背の高い俺の頭を撫でに来る。本当にこの人は、俺を弟くらいにしか思っていないんだろうなあ、と思った。 |