焦っていた。俺は非常に焦っていた。入学直後、まだ親しい友人はいない。野球部の一年を思い当たる限り聞いてみたが生憎授業がなかったり被っていたりだ。まずい、まずいと思えど、非常にも時間だけは過ぎていく。
 何があったかと簡単に言うと、リーディングの教科書を忘れたのだ。これが午後の授業だったら寮に戻って取りに帰る所だが、リーディングの授業はこのあとすぐ、二時間目なのだ。これはもう白状すべきか、いやいやいや、監督の耳に入ったらまずい。
 最後はこのクラスだけだ―――と入口を覗いてみると、

(げっ、ここ御幸のクラスか!)

 あいつに借りるのは癪だな、いやしかし背に腹は替えられない、と腹を括り教室のドアを開けようとすると、「あの」と後ろから声をかけられる。あっすんません、と言いながら振り返ると、そこには俺よりちっさい女子生徒がいた。

「教室入りたいんですけど…どなたかに用事?」
「あ、いや…」

 そう曖昧に返事をしながらその女子生徒の手元を見ると、リーディングの教科書を抱えているではないか。今、俺が喉から手が出るほど借りたいリーディングの教科書だ。

「つかぬ事をお聞きしますが…」
「はい?」
「今からリーディングっすか?」
「今終わった所です」

 よっしゃ!運は俺を見放さなかった!―――ガッツポーズを決めていると、不思議そうな顔で首を傾げながら俺を見ているこのクラスの女子。いかんいかん、喜んでいる場合ではない。がばっと頭を下げてその女子生徒に頼み込む。

「リーディングの教科書貸して下さい!」

 びくりとした彼女は一歩後ずさり、しかし小さな声で「ど、どうぞ…」と教科書を差し出す。俺には彼女が女神に見えた。

「あざっす!次の休み時間に返しに来ます!」
「あ、い、いいですよ、私が行きます」
「いやいやでも」
「ちょっとでもクラスを離れたい理由があるので…2つ隣のクラスですよね?」
「そっス」

 苦笑いしながら扉の覗き窓から中を伺う。なんだ、クラスのやつと上手く行っていないのか?馴染めていないのか?いや、まあ俺も似たようなもんだけれども。至極真面目そうなこの目の前の女神が教室にいたくない理由とは。
 まあとにもかくにも授業が先だ。もう一度女神に礼を言うと、「元気だね」と言って微笑んでみせた。おお、笑うと割と可愛い。
 そこで彼女と別れ、自分のクラスに戻り教科書の一番後ろのページをめくる。ああいうタイプの人間はちゃんと教科書の最後にクラスと出席番号、そして名前を記入しているものだ。

(ふーん…)

 名前も可愛い。けどなんだろうな、普通に可愛いけどドキっとかはしなかったな。恋愛対象にはならないやつだ。
 という訳で俺はあの女神と友達になろうと思う。他クラスに知り合いはいた方がいい。今日のようなことがあった時に頼れるし、まあそれにクラスに馴染めてなさそうな女神は放って置けまい。とりあえず、次の休み時間に彼女がうちのクラスに来てくれた時にでも宣言してみよう。友達になろうぜ、と。








(2014/06/15)