入学式は、毎年倒れる生徒が数人いる。しかし今年は健康優良児が多いらしく、いつもよりもずっと倒れる生徒の数が少なかった。入学早々倒れるなど気の毒なものだ。倒れる大半が貧血が原因だが、そうでないこともある。最近の病気と言うのは複雑なものが多いのだ。そのため、より専門知識のある養護教員を募集していたのを見かけ、当時病院勤務をしていた私は応募したのだった。それからもう、二年が経つ。
 入学式もホームルームも終わり、保健室で休んでいた全ての新入生を送り出すと、私は電気を消して保健室の鍵を閉めた。今日は授業もないため、保健室は午前中だけで閉めることになっているのだ。本日分の保健室利用者票を持って職員室へ行くと、やや疲れた表情のエルヴィン先生とばったり出くわした。先月、担任として三年生を見送ったばかりの彼が、今年度は一年生の学年主任をするらしい。

「お疲れのようですね。一年生はやはり元気ですか」
「一年生が元気なのはいつものことだよ。いや、そうではなくてね」

 先生は珍しく、参ったとでも言いたげに頭をかいた。どうやら頭を悩ませているのは生徒のことではないらしい。「教材が足りないんだ」と溜め息混じりに言うエルヴィン先生に、私は首を傾げた。

「注文は…」
「もうしたよ。偶然知り合いが務めているから今日届けてくれるらしいんだが、これから私が出張なんだ」
「それは、新年度早々お忙しい」

 他の先生方は、と思って職員室を見渡してみたが、誰もが自分の仕事に追われているらしく、頼みごとをする隙はなさそうだ。この中で唯一余裕がありそうな職員と言えば、私くらいしかいない。私が対応しましょうか、と申し出れば、たちまち先生の表情はぱっと明るくなる。
 もうあと一時間もすれば届けてくれるらしいので、その中身の確認とサインをして欲しいとのことだった。その後、職員室に運んで来るらしい。それくらいならしがない養護教員の私にもできる仕事だ。それに、普段から何かと気にかけてくれているエルヴィン先生の役に立てるのはこういう時くらいしかない。「向こうには私から連絡をしておくよ」と言い残して、先生は職員室を出て行く。エルヴィン先生も慌てることがあるんだなあ、などとその背中を見送りながら思った。

 私の残りの仕事と言えば、新しく届いた衛生関係のポスターや広告の整理だ。新年度はこの仕事も多い。新しい資料も届くし、保健室の中だけに私の仕事があるわけではない。いろんな学会や協会からの資料もあり、私のデスクの上はいつの間にか郵便物だらけになっている。

(何も一斉に今日を狙って発送しなくていいのに…)

 椅子に座って、早速郵便物の山と闘う。すると、前の席の先生が声をかけて来た。

「エルヴィン先生に頼まれごとされたんでしょ」
「私が進んで引き受けたんですよ」
「どうやらメーカーさん、随分恐い人らしいから気を付けてね」
「ええぇ…」

 小学生じゃあるまいし、一体どういう脅し方だ。しかも営業さんが恐い人だなんて、そんなメーカー聞いたことがない。企業としてその人選はベストなのだろうか。とはいえ、私は普段教材関係の会社とさほど関わることがない。今回限りだろう。噂好きな先生の忠告は話半分に聞いておくことにして、私はデスクの整理に勤しむ。どうも、こうデスクが散らかっていると落ち着かない。周りの先生たちがテスト前にプリントの山に埋もれそうになっているのを見ると、つい手を出したくもなる。もちろんテストや提出物は個人情報なので、私が他の先生のデスク整理を手伝うなんてことはしないのだが。
 そうこうしている間に一時間が経ち、ほぼ指定された時間通りにメーカーさんが来たと連絡を受けた。職員室から玄関までは距離があるため、私は急いで向かう。すると、訪問者名簿に記帳をしているそれらしき男性がいた。彼の横には段ボールが三つほど積まれた台車があるため、エルヴィン先生の言っていた教材メーカーの人とは彼に違いないだろう。
 入館許可証を受け取った彼に、私は控えめに声をかける。

「あ、あの、エルヴィン先生の代理で教材を受け取りに…」

 私の声に、振り返った男性。その人物を見て私は声を失った。
 その人は、初めて会う人じゃない。何度も私が会っている人。夢の中に数え切れないほど現れて、私と多くの時間を過ごしている人。私を幸せにも、悲しくもさせる人。間違いない、この人は“リヴァイ兵長”だ。

…?」

 彼もまた、私の名前をとても小さな声で呟いた。







  

(2013/08/13)