雷が遠ざかり、雨も止んだ。依然部屋は薄暗いままだけれど、さっきまでの雷雨は嘘のようだ。そしてようやく、落ち着いた私は大輝くんと離れた。瞼が腫れぼったい。随分と泣き過ぎたみたいだ。

「…
「ん…」

 私のそんな不細工な顔を見て、大輝くんは眉根を寄せると目元をそっと撫でる。さっきまで冷えていた大輝くんの手が今は温かい。私を安心させる温度を持った大きな手が、私の顔を包んだ。また視界がじわりと滲んで、益々大輝くんは困った顔をする。
 大輝くんは、私を拒絶しなかった。抱きついた私を突き離すことをせず、寧ろ抱き締め返してくれた。それが何よりの答えだった。大輝くんが抱き締め返してくれた時に私も気付いてしまった。例え他に何を失おうとも、大輝くんとでなければ生きて行けないと。私の幸せは、大輝くんの傍で生きることなのだと。それは大輝くんも同じなのだと分かった、分かってしまった。だからもう離れられない。

「大輝くん、私、大輝くんの傍にいたい」
「ああ」
「…言ってる意味、分かってる?」
「分かってる」

 私が疑うように聞くと、即答する大輝くん。笑おうとしても、上手く笑えない。通じ合ったはずなのに、本当だったら幸せで仕方ないはずなのに、こんなにも胸の奥が痛い。罪悪感、背徳感、色々な負の感情がせめぎ合っている。大輝くんもそれは同じらしく、険しい顔のままだ。
 いけないことをしている自覚は苦しいほどにある。私と大輝くんが思い合っている、その事実をお父さんとお母さんが知ればどう思うか―――考えるだけで怖い。兄妹でいなくてはならなかったのに、兄妹ではいられなくなってしまった。こんなにも大輝くんが好きで、傍にいたくて、触れ合いたくて、でもそれは決して家族の情ではないのだ。下心だらけの汚い恋愛感情だ。こんなことになるために両親は私を引き取ったのではなく、育てたのでもない。けれど、私と大輝くんだって好きでこうなった訳じゃない。自分の気持ちには逆らえなかった。自分に暗示をかけることも、言い聞かせることももう限界だった。大切な兄に恋心を抱いたことをなかったことにするつもりはない、嘘だと言うつもりもない。けれど、心のどこかではちゃんと後悔している。自分を責めてもいる。私も、大輝くんも。

「もうただの兄と妹には戻れねぇってことだろ」

 ごめんな―――掠れた声でそう言うと、大輝くんは私をもう一度抱き締める。これで、私と大輝くんは共犯だ。両親を騙し続ける、その共犯。どこまで行けるのか分からない、どこまで落ちるのかも分からない。私たちが思い合っている限りは、ずっと嘘をつきとおさないと行けない。ちゃんと兄妹をしているのだと、仲の良い兄妹なのだと。今度こそ上手く演じなければならない。時が来れば離れなければならない。永遠に一緒にいられるとは思っていない。ずっと傍にいたいと思っても、ずっと傍にいようと約束しても、それはいずれは破られるものだ。兄妹として歩き始めた頃から、それは変えることのできない、いわゆる運命なのだ。
 だから今だけだ。数か月かも知れない、一年かも知れない、もしかしたら数年続くのかも知れない。けれど終わりが来る。真冬に雪が降り、春が来て全てが溶けてなくなるように、私と大輝くんにも終わりが来る。せめてそれまでは、雪の中で抱き合っていたい。他の誰にも干渉されず、二人だけの気持ちを二人で抱えて生きたい。

「俺もが好きだ」

 一生の内、たったひと時でもこんな幸せな瞬間があったのだと、いつか思い出す時が来るのだろう。大好きな人に抱き締められて、名前を呼ばれ、好きだと囁かれる。これ以上はもう何も望まない。けれど、誰にどんなたくさんの愛の言葉を送られるよりも、このたった一言で私はどれだけでも強くなれると思った。終わりが来るその時も、泣かずにいられるだろうと。その先も家族でいられるのなら、きっと。



***



「やーっとくっついたんスか、あのキョーダイ」
「お疲れさまでした、黄瀬くん」

 後日、青峰くんとちゃん、それぞれから別々に報告を受けた僕は、すぐに黄瀬くんに連絡を入れた。彼は今回の影の功労者だ。いつまでもダラダラと兄妹ごっこをしている二人をくっつけるために、協力してもらったのだ。と言っても、青峰くんには何の許可もとっていないし、ちゃんももちろん何も知らない。知っているのは見事な当て馬役をしてくれた黄瀬くんと、二人の幼馴染である桃井さん、そして僕の三人だけだ。
 黄瀬くんは俳優にジョブ転換できるのではないかと言うほど見事だった。ただ、ちゃんをあれだけ泣かせてしまった辺り、やり過ぎた感じも否めなくはないが、ちゃんから渾身の平手打ちを食らったと言うので五分五分だろう。しかし、まさか飽くまでモデルの顔に一撃を喰らわすとは思っておらず、そういう所は青峰くんに似たのだな、と思った。

「黒子っちが気にかけるのも無理はないっスけど、もどかし過ぎっスよ!頑固っス!」
「当然です、数年間膠着状態だったんですから」
「なんでもっと早くなんとかしなかったんスかー…」
「さあ…なんででしょう」
「黒子っちー…」

 多分、僕も迷っていたからだ。当事者である二人の本意でないことに第三者が介入し、無理に押し進めることに、迷いがあった。今回のことも、迷わなかった訳ではない。二人が押し留めていたことの堰を取り払うだけ取り払って、後のことは本人たちに任せるなんて、無責任だ。二人も、桃井さんも、僕も、本当は分かっている。今ああして纏まったとしても、いずれは別れが来ることを。いつかはまた兄妹に戻らなければならないことを。それはきっと、ちゃんが大人になる時だ。それまでの猶予期間、彼女には青峰くんが必要なのだ。

「いつまで続くっスかね」
「それは、きっと…」
「きっと?」
「雪が溶けるまで、ですかね」

 青峰くんもちゃんも、僕から「いつまで」と聞く前に、同じようなことを言っていた。今は冷たい冬だから、春が来たらそこが終わりなのだと。二人の恋愛は言わば雪だ。確かにそこにあるはずなのに、触れれば簡単に消えてしまう。人目に触れないからこそ綺麗な形を保っていられる。誰も踏み込んではいけない、新雪の降り積もった場所。その真ん中で二人は立っている。言葉を交わす訳でもなく、抱き合う訳でもなく、ただ手を繋ぎながら。雪が止み、寒い冬が終わり、春が来る頃、二人は手を離すのだろう。

「終わりが来るのに結ばれるのと、結ばれずにただの兄妹に戻るのと、どっちが幸せなんスかねぇ」
「それは二人にしか分かりません」

 春が来たその時、二人は笑っているのだろうか。すっと手を離し、別々の方向へ歩いて行けるのだろうか。そんなこともあったと、何年も経ってから僕たちに話してくれる日が訪れるのだろうか。
 これから見て見ぬふりをしなければならない僕たちは、せめて冬の中にも温かさが残るよう祈るしかない。雪の中にも幸せは存在したのだと二人が感じられることを、願うしかないのだ。







Fin.



(2013/08/01)