黄瀬涼太にすっかり行動パターンを読まれたらしく、下校時に遭遇する確率が高くなっていた。あれ以来黄瀬アレルギーの出ていた私は、本屋に並ぶ雑誌でその姿を見るだけで拒絶反応を起こしていた。あんなことがあったというのに、それでも付き纏う黄瀬涼太の気が知れない。懲りてくれないのは本当にマスコミのようだ。無視を決め込んでもあれこれ癪に障ることを言われ、私の苛立ちのバロメーターは上がるばかり。それは大概、大輝くんに関連することなのだが。 「そいや、中学も高校も青峰っちの応援に来たりしなかったんスか?」 「…………」 「学校が違うと来にくいかも知れないっスけど、兄妹なのに」 度々、この男は“兄妹”というワードを使いたがった。私たちが血の繋がってない兄妹だと知らないのか、それとも知っていて、それを引け目に感じていることまで察してわざと使っているのか。どちらにしてもタチが悪い。私はますます黄瀬涼太への嫌悪感を募らせるばかりだ。 血が繋がっているにしろ繋がっていないにしろ、私のこの思いはタブーだ。それはこの世界で誰よりも私が理解している。本当に血の繋がった兄妹であれば、本能で恋愛感情が湧かないように人間の身体はできているのだという。私と大輝くんは、そうじゃないから惹かれてしまった。いつか絶たなければならない、決して口にすることなく終わらせなければならない、そう思いながらもずるずると引きずって来てしまった。大輝くん以上の人になんて、出会えなかったのだ。自覚したのはまだここ3、4年にしろ、私が生きて来た時間の分だけ積もった気持ちを、どうやってきれいに片付けられると言うのだろう。 そんな、誰も踏み込んだことのない、広大な土地に降り積もった新雪のような心の部屋。誰にも犯すことのできない、誰にも汚す権利などない聖域に、今まさに手を懸けようとしているのが黄瀬涼太なのだ。 「ちゃん、青峰っちのこと好きでしょ」 喧噪の中、何の前触れもなく放たれたその一言がやけに大きく聞こえ、私は足を止めた。 振り返るな、振り返れば終わりだ。私がまた突っ掛かることを狙って言った言葉に過ぎない。カマをかけているだけだ。ここで突っ掛かろうものなら黄瀬涼太の思うつぼではないか。冷静に、何でもないように、平然として対応すればいいのだ。いつものように無視をすれば良いのだ。 血が滲むほど唇を噛んで自分に言い聞かせる。けれど、心臓が速くなるのと同時に、呼吸も速まる。動揺していることは明らかだった。そんな私の反応が楽しいのか、黄瀬涼太は追い討ちをかけるかのように言葉を重ねる。 「ねえ、青峰っちのどこが良いんスか?ていうか、なんで青峰っちなの?兄妹じゃないっスか」 兄妹という単語が、私を責め立てているようだった。気付いてはいけない恋心を自覚してしまった私への罰だとでも言うのか。それなら、どうすればこの気持ちを消せるのか。全てなかったことにして、本当の兄妹になれたならどんなに幸せだろう。私が大輝くんを好きな限りはこの葛藤からは抜け出せないし、ぎこちない兄妹になってしまうかも知れない。どんどん大輝くんを避けるようになってしまうかも知れない。 この“好き”の気持ちが家族の愛情の類だったら、何も悩むことはないのに。 「だからさ、俺と付き合わないっスか?」 「……はぁ?」 「本気っスよ。本気で青峰っちから奪ってやりたい」 ふざけないで下さい、と言おうと振り返る。すると、思ったよりも至近距離に黄瀬涼太はいた。驚いて距離を撮ろうとするも、腕を掴んで引き止められる。腕をどれだけ乱暴に振っても、自分よりずっと大きな、しかもスポーツをしている男の手を振り払える訳がなく、逆に痛いほどに強く掴まれる。あまりに痛くてじわりと涙が滲んだ。 「あんた、青峰っちと幸せになれると思ってんスか?」 堪えていたものが一気に溢れ出す。我慢していたのに、抑えていたのに、自分が辛いだけだから言わないようにしていたのに。 「知ってるわよ!大輝くんと私は本当の兄妹じゃないんだから!!」 「は……?」 「茶番だって思ってんでしょ、馬鹿みたいだって思ってんでしょ、血が繋がってないからって、こんな…っ」 言いたくなかった。大輝くんとはいつだって“良い兄妹”でいたかった。大輝くんが良いお兄ちゃんでいようとしてくれていたから、私も良い妹でいようとした。本当の兄妹じゃないなんて、血が繋がってないなんて、誰かの前で一度でも口にしたことはなかった。私を受け入れてくれたお父さんとお母さんに対しても失礼だし、それを言ってしまえばこの世で私の帰る場所はなくなってしまうような気がしたからだ。お父さんもお母さんも大輝くんも、そして自分自身も傷付ける言葉に他ならない。いつだって一番に願うのは、三人と家族でいることなのだ。もしも願いが一つ叶うなら、血の繋がった家族にして欲しい―――それは幼い頃から変わらない。 そんな私の気持ちも知らないで、なぜ目の前の人間は平気で人を傷付けることをできるのだろうか。私も大輝くんも、ぎりぎりの所でいつもやり取りをしているのに。“兄妹だから”で済ませられる領域を出ないように、早まってしまわないように、いつだって境界線の見極めには慎重なのに。何も知らない人間に口出しされて黙っていられるほど、私はまだ大人になれない。 「あなたみたいなデリカシーのない人間が一番嫌い!」 早く割り切ることができるのは、私が先か、大輝くんが先なのか。もし、私が他の誰かに恋をするとして、大輝くんはどう思うだろうか。逆に、大輝くんに恋人ができた時に、私はちゃんと喜ぶことができるのだろうか。「おめでとう」って笑って言うことができるのだろうか。結婚したら、家を出て行ったら、子どもができたら―――色々な未来を、いつも考える。けれど行きつく先はただ一つ、何も浮かばないのだ。事実、今はお互いに恋人がいなくて、表には出さずに裏ではお互いのことしか見えなくて、けれどそれは決して許されることではない。それでも止められないこの気持ちを、私はいつか思い出として笑うことができるのだろうか。大輝くんと二人、「実はあの頃ね…」なんて笑って話せる日が来るのだろうか。 正しい兄妹の在り方としては、それは願うべきことなのだろう。けれど、心の底から私はそんな未来を望んでいるのだろうか。本当は、いつかどうにかして大輝くんと結ばれることを願ってはいないだろうか。大輝くんと幸せを掴む未来を、無意識の内に探してはいないだろうか。 今だけだから、と誰かに許されることを、どこかで願ってはいないだろうか。 「ちゃん!!」 手の力が緩まった一瞬の隙を突いて、私は黄瀬涼太の手をすり抜ける。私の名前を呼ぶ声なんて知らない。通い慣れた体育館とは別の方向へと私は走った。こんな顔では、大輝くんになんて会えない。 私は初めて、大輝くんに連絡を入れずに一人で帰った。 |