雪の降り出しそうな分厚い雲を窓の向こうに見ながら、私は溜め息をついた。今日の分の仕事はもう殆ど終わってしまった。ゆっくりと新刊リストを見ながら、再来月図書館に入れる新刊をセレクトしているのだ。時計はもうそろそろ17時を指そうとしており、外も随分暗くなって来た。冬至も過ぎ、あとはゆっくりと陽は長くなるだけだが、さすがにそうすぐには明るい時間が伸びはしない。
 冬休みに入った今、いつもならばもう退勤の準備をし始めるのだが、今日はまだ帰れずにいた。

(遅いなあ、青峰くん…)

 私が帰れないのには理由があった。昨日、青峰くんに引きとめられていたのだ。自分が来るまでは帰らないように、と。
 今日はせっかくのクリスマス。近くのケーキ屋さんでケーキでも買って帰ろうと思ったのに、あまりに遅いと売り切れてしまうのではないだろうか。それを思うと時計を気にしてしまう。いや、本当は売り切れること自体を気にしているのではない。ケーキでも買って、一時間でも、いや、ほんの三十分でも青峰くんと過ごしたいと思っていたのだ。それなのに、とうの本人が現れない。私は、何度目か分からない溜め息をついた。
 もしかして、自分で約束を取り付けておいて忘れてしまった、なんてことはないだろうか。いくら青峰くんでもそれはないだろうか。午後になって「なんか炭酸買っておけよ」なんてエラソーなメールをしておいて、今更すっぽかすなど。まあ、その炭酸もすっかり温くなってしまった訳だが。

「時間にルーズな男は見放されるぞー…」

 机に突っ伏して文句をこぼす。すると、心細さから視界がじわりと滲んで来た。冬休みの夕方にもなれば、利用する生徒もいない。誰の声もない図書室は酷く寂しい。司書室に籠っていても、外や廊下から生徒たちの声は響く。それがない今は、図書室が随分と広く感じた。
 もう流石にこの時間から訪れる生徒はいないだろうと、図書室の入口のドアプレートを“閉館中”へと裏返す。あと少し待って青峰くんが来なかったら、施錠して帰ろう。そう思ってもう一度図書室に入ろうとすると、図書室のすぐ傍にある昇降口の方からバタバタと騒がしい足音が聞こえて来た。もしかして、と思い振り返ると同時に、「おい!」という叫び声が飛んで来る。

「何閉めようとしてんだよ!」

 そのままの勢いで突っ込んで来た彼は、半ば体当たりのように私を抱き締める。私が彼の大きな身体を受け止められるはずもなく、そのまま図書室に文字通り転がり込んだ。彼の腕の中に抱え込まれたまま、図書館の絨毯の上をごろごろと転がる。勢いよく転がった割には、上手く青峰くんが抱いてくれたお陰で、さほど頭も背中も痛くない。それよりも、また驚きの登場の仕方をした彼に、私はどきどきしていた。
 フロアの電気は消しており、外もすっかり日は落ちてしまったため、図書館内は外の街灯の明かりと、司書室からの明かりだけが頼りだ。青峰くんは、まだ私を抱き締めたまま離さない。何も言わないまま、私を抱き締めていた。
私も彼の背中に手を回すとジャケットは冷たく、私の頬に触れる彼の頬もまた同じようにひんやりとしている。それらは、この寒空の下、彼が長いこと外を走り回っていたことを表していた。

「待ってろって言ったじゃねぇか」
「帰ろうとした訳じゃないよ」
「それでも、んな紛らわしいことすんな」
「横暴だなあ…」

 私の耳元で舌打ちをする。すると、ようやく彼の身体が私から離れた。そして勢いよく私の腕を引っ張って起こしてくれたが、その勢いがよすぎてまた青峰くんに倒れ込んでしまった。

「力ねーのな、司書サン」
「あ、青峰くんと比べないで下さい…!」

 反論する私をよそに、「あ」と思いだしたかのような声を上げる青峰くん。再び私の身体を離すと、慌てて図書室の入口にまで飛んで行っている白いビニール袋を拾いに行ってしまった。
 青峰くんの体温が離れて寒さを感じ、さっきまで抱きすくめられていた感覚を思い出すと、何か急に恥ずかしくなってしまった。あそこまで強く抱き締められたことなどなく、かあっと顔が熱くなる。両手で顔に触れてみるけれど、指先まで一気に温かくなっており、熱さましにはならない。さっきまで、あんなにも冷えていたのに。

「おい司書サン」
「なっなに!?」
「…なにびびってんだよ」
「いや、そんなんじゃ…」
「んなことより、悪ィ」

 突然謝る青峰くんに、首を傾げながら近寄る。コンビニ袋の中身を見て顔を顰める青峰くん。私もその小さな袋の中身を覗いて、彼の曇った表情の理由を理解した。袋の中では、箱に入った小さなイチゴのショートケーキがぐちゃぐちゃに潰れてしまっていたのだ。

「買って来てくれたの?」
「…この辺のコンビニ、昼過ぎたらロクなモン売ってねえ」
「それで、これを?」
「ケーキ屋なんて柄じゃねーし入れるわけ…って何がおかしいんだよ!」
「い、いえ…っ、このために青峰くんがコンビニ梯子したのかと思うとおもしろ…っ」
「誰もコンビニ巡りしたなんて言ってねえ!」
「はいはい、そうですね」
「あークソむかつく司書サンだな…」

 へしゃげてイチゴがクリームまみれになっている残念なショートケーキ。けれどこれは、私のために彼が買って来てくれたたった一つのケーキなのだ。口ではああ言っても、さっき触れた冷たい頬が、このたった一つのためにあちこち駆け回ってくれた何よりの証拠だ。そう思うと、嬉しくて、幸せで、彼がとても愛しい。

「青峰くん」
「今度は何だよ」

 不貞腐れてそっぽむいている青峰くん。チャンスだ。私は、絨毯に手をついて身を乗り出すと、一瞬で彼の頬に唇で触れた。

「な…っ!?」
「メリークリスマス、青峰くん。ケーキ食べましょう、二人で」

 私が口づけた頬を押さえながら、まだ口をぱくぱくさせている青峰くんを置いて、私は司書室の中へ向かう。そう言えばもう炭酸ジュースは温くなってしまっていたのだった。それなら今度は私が走って外の自販機に買いに行くしかない。大分待たされたのだから、少しくらい彼を待たせても怒られはしないだろう。










(2013/12/25 メリークリスマス!)