季節が過ぎるのはあっという間だ。秋には遠足があり、そのお土産にと何か訳の分からないキャラクターのキーホルダーを渡された。正直、とんでもなく可愛くない。けれどそれをも愛しいと思えるのは惚れた弱みと言うやつなのか。部活はと言うと、行っているような行っていないような、けれどそこはもう私の口出しすることではないので、一切言わずに黙っていた。定期テストに関しては、これもまた青峰くんとは思えぬ健闘で、赤点は一つもなかった。曰く、追試が面倒くさいらしい。とはいえ、結果を見せてもらえばどれも31点やら32点やら、ギリギリでも合格だ。中でも最高得点が40点と言うのは随分とお粗末である。これは、本当にバスケで結果を残さないと進学先も就職先もなくなってしまう。早くも私は三年後の青峰くんが非常に心配になった。
 そして、冬。どうやらバスケには大きな大会が夏と冬にあるらしい。最近力をつけて来たらしいうちの高校も、そのウィンターカップとやらに出場するのだとかなんだとか。

「中学でレギュラーだった奴らの学校がみんな出るんだと」
「すごいじゃないですか。でも、当たるんですか?トーナメントですよね」
「おー」
「へえ…。大阪でしたっけ、遠いですね」

 珍しく部活の話を青峰くんから振って来たため、それに返事をしながら次の新刊発注リストを作る。
雑誌の類は毎月のことなので定期購読という形でとっているが、それ以外の新刊はさほど量がない。品番を間違えないように映しながら、ちらりと青峰くんの方を見ると、今日は持ち込みのバスケ雑誌を読んでいた。いつになく真剣なその表情に、不謹慎ながらもどきりとする。バスケのこととなるとあんな顔をするのだろうか。試合中の彼を見たことがない私は、想像することしかできない。

「なあ司書サン」
「なんですか」
「冬の試合、観に来いよ」
「え?」

 これもまた意外だ。青峰くんから試合観戦を誘われるだなんて。私には口を挟む隙すらないような領域に、踏み込ませて来たのは初めてだ。少々戸惑い、返事に困っていると青峰くんは私の顔を覗き込む。

「これまで見たことない俺が見られるぜ?」
「ひ…っ!」
「これくらいで真っ赤になってたら先が思いやられるな、本当」
「あ、あおみ…っ」

 黙らせるかのように押しつけられた唇。こう言う時の、青峰くんの常とう手段だ。NOと私に言わせないための。ここまでされてしまうと首を縦に振る以外の選択肢は私にはなく、こっちの都合なんてお構いなしだ。大阪までの旅費、日帰りは難しいだろうし宿泊費と、あと―――なんて私の頭は即座にフル回転し始める。
 けれど、少し興味はあった。青峰くんがバスケをしている姿、試合に出ている姿、それらは青峰くんが言うように私が見たことのない青峰くんだ。体育館に縁のない司書の私は、体育館を覗くことすら憚られる(そもそも、練習に行っているのか疑問だが)。貴重なお誘いをむげにする訳にもいかない。冬休み中だと言うし、それならもう、行くしかないのではないだろうか。ちょっと節約すれば旅費なら何とかなる。

「じゃあ、観に行きます」
「楽しみにしとけよ」



***



 そんな話をしたのは、もう一カ月も前の話。私は約束通りウィンターカップとやらを観に来た。ルールもよく知らないし、ボールを目で追うのがいっぱいいっぱいだった。けれど青峰くんが私に言った通り、コート上には私の見たことのない青峰くんがいた。その時の気持ちを、何と言えば良いのか私には分からない。点を抜かれる度にはらはらし、リードする度にほっとし、ぎゅっと両手を握って試合の行く末を見つめるしかない。がんばって、と心の中で応援し続けるしかない。相手の高校は青峰くんの元チームメイトのいる学校らしい。同じ東京同士で当たると言うのは、なんだか嫌な感じだ。
 私はスポーツに関してはド素人で、コートの中で何が起こっているのかさっぱり分からないくらい。ああ、今点が入ったんだ、とか、その程度のもので。周りの人たちが歓声を挙げても何がすごいのかよく分からない。基本的なルールくらいは、と図書室でルールブックを見付けて読んではみたけれど、それも参考にならないくらい試合展開が速い。
 そして最後の最後、試合終了時、僅かな点差で桐皇は負けた。コート上で立ちつくす青峰くんに、私は思わず立ち上がる。けれど、何やら相手チームの選手と話し、拳を突き合わせると、どこかすっきりしたような顔をして出て行った。

(声、かけた方がいいのかな…)

 負けた試合の後、どう声をかけて良いのか分からない。運動部とは無縁だった私は、勝ちとか負けとかもよく分からない。そんな私が、今の青峰くんと会ってもいいものなのか。そもそも、関係者ではないから控室には行けない。メールを送ったり電話をしたりする勇気も出ない。今日はこのまま宿泊予定のホテルに向かった方が無難だろうか。青峰くんの方から連絡をくれるのを待ちながら。
 重い足取りで体育館を出る。例えばこれが少女漫画や恋愛小説だったら、体育館を出た所で彼が待っている、なんてシチュエーションはよくある。王道であり、テンプレートだ。けれど現実はそうは行かない。多くの人が体育館出て行く中を、私も一人で出て行く。

(やば……)

 なんだか分からないけれど、涙が出て来た。試合を観ていたって何にも分からないし、なにがすごいのかも分からない。ルールが分からなければボールの行方を追うだけで必死だった。次々と加算されて行く点数を見てはひやりとしたりほっとしたりで、面白いか面白くないかと言われれば、その中間だ。
 けれど、あんな必死な青峰くんを初めて見た。あれが本当の青峰くんの姿なんだと思った。いつも何に関してもだるそうにして、怠惰な姿勢を見せ続け、HRはよくサぼるし、司書室に入り浸って何をするでもなく帰って行く。その癖、急にがっついて来ることもある。けれどそんなのは青峰くんのほんの一部で、私が見て来たのは本当の青峰くんじゃなかったのかも知れない。
 自分で自分の感情が分からない。悲しいのか、辛いのか、苦しいのか、悔しいのか。試合の勝ち負けに関してじゃない、青峰くんただ一人のことを思い浮かべたら、涙が止まらなかった。あんなすごい人だったんだ、私は何も知らなかったんだ、と。普通、好きな人の知らなかった一面を知れば嬉しいはずなのに、なんでか全然嬉しくない。知らない部分が多すぎる。いつだったか、青峰くんの中学時代に何があったかを聞かされそうになった時、私は相手にストップをかけた。それは青峰くんの口から聞くべきことだと。それを後悔している訳じゃない。聞かなくて良かったのだと今でも思っている。

(でも違う、そうじゃなくて…)

 遠い人なのだと思った。ずっと一番近くにいるのだと思っていた青峰くんは、本当はずっとずっと遠い所にいる人なのだと、初めて思った。それが苦しくて、悲しかった。やっぱり退職と共に別れを切り出すべきなのだろうか。多分、青峰くんはこれからもどんどん成長して行く人だ。私の手なんて簡単にすり抜けて、どこか遠くへ行ってしまうほど。でも、そんなの嫌だと思う自分がいる。私だけの青峰くんでいて欲しいと言う独占欲が渦巻く。今日、あの試合中の青峰くんを見てから更に。でも、周りの反応に私でも分かった。青峰くんは期待されている人なのだと。私一人の恋人にはなり得ないのだと。

「う…っ、く……っ、」

 いつの間にか、一人になる。もう周りには誰もおらず、体育館を出てすぐの所で一人立ちすくむ。足が動かない。
 青峰くん青峰くん青峰くん―――何度も心の中で叫んだ。試合中もずっとそうだった。届かない声で名前を呼んだ。今も、まだ叫び続けている。声に出さないと伝わらないのに、電話やメールの一つでもしないとここにいることは伝わらないのに。けれど、できない。

「こんな所で何してんだよ、葉純」

 そんな私を、突然後ろから抱き締める腕。少し疲れて掠れた声。私が今日一日、飽きる程に呼んだ名前の人物。

「青峰、くん…」
「メールの一つくらい寄越せよ。これでも待ってたのによ」

 泣きたいのは私じゃない。私じゃないはずなのに。どうしようもなく苦しくて涙がまた溢れて来る。私の独り善がりな感情が詰まった涙なのに、青峰くんは咎めることをしない。私が泣きやむのを待っていてくれる。きっと、青峰くんが思っているような綺麗な涙なんかじゃないのに。
 本当は、恋愛漫画や恋愛小説のような展開を期待していた。ずっとここで泣いていたら、来てくれるんじゃないかって思っていた。心の片隅で、青峰くんの優しさに甘えようとしていた。私はずるい。ずるい大人だ。こんなにも青峰くんを独占したくて、私だけの青峰くんでいて欲しくて、それなのに青峰くんを置いてもうあと数ヵ月後には退職する。私の方から青峰くんを置いて行く、離れて行く。矛盾も甚だしい。

「ごめん、青峰くん…っ」
「別に葉純が謝ることなんて一つもねぇだろ」
「ごめん…ごめん、なさい…っ!」

 今はただ、それしか言えない。多分、青峰くんは訳が分からないだろう。同じ言葉を繰り返す私に、困惑していた。けれどどれだけ考えても「ごめんなさい」しか出て来なくて、青峰くんを困らせることしかできなかった。
 お疲れ様、とか、かっこよかったよ、とか、惚れ直した、とか、大好きです、とか。そんな、可愛らしい言葉は私の口からは何一つ出て来なかったのだ。








  

(2014/06/26)