「意味わかんねー」

 司書を辞めると告げた私にそう返事をすると、青峰くんは私に噛みつくようにキスをした。逃げようともがいても振りほどけず、上から覆い被さられるような体勢は息だけでなく身体も苦しい。一度顔を逸らして制止の声をかけようとしても、その前に再び唇を塞がれ、深く口づけられる。足が震え、後ずさるとそのまま司書室のテーブルの上に押し倒された。

「い…った…、」
「どういうことだよ、ここ辞めるって」
「それは、」
「本が好きなんじゃねーのかよ、司書の仕事好きなんじゃねーのかよ!」

 だから、と説明しようとしても、私の弁解など聞きたくないとでも言うように今度は手のひらで口を覆われる。
 怒らせるつもりなんてさらさらなかったし、そんな話ではなかった。多分、青峰くんはいろいろ誤解しているのだろう。ここでの仕事を辞めても司書をするあてはある。青峰くんとの縁を切るつもりもない。むしろ、これからも関係を続けるための決断なのに、青峰くんは怒ったまま私を離そうとしない。
 机に乗り上げた私の足は宙ぶらりんで、スリッパが今にも脱げそうだ。そんなどうでもいいことを考えている暇などないのに、反論のしようがない私は足元を気にするほかなかった。青峰くんは私の話を聞こうともせず、私の口元から手のひらを退けると、肩を机に押し付けた。私なんかでは敵わない力に、思わず顔を顰めた。

「き…聞きなさいってば!!」
「ッてェ!」

 唯一フリーだったのは足。膝で青峰くんの鳩尾を蹴り上げると、思いの外威力があったらしく、お腹を抱えて蹲った。…正直、自業自得だと思う。興奮すると人の話を聞かないのは青峰くんの悪い所である。彼が力を行使して来たなら、こちらも相応の力で対抗するのみ。今回ばかりは“やられっぱなしの司書サン”では駄目なのだ。いつかはぶつかると思っていた問題から、目を背けてはいけない。

「公立図書館で働いてる友達が退職するの。一つ司書に空きが出るからそっちに行こうと思っているだけ」
「は…」
「私がここに勤めていたら、不都合な事もいろいろあるし…生活のことも、青峰くんのことも考えて出した答えなの。それを詳しく聞きもしないで…!」
「お、おい、泣くなよ…」
「誰が!泣かしてると思ってるんですか!」

 悲しい訳じゃないのに、辛い訳じゃないのに。腹が立って泣けて来るなんて初めてだった。青峰くんはあほです、ばかです、わからんちんです、ありったけの罵倒の言葉を浴びせてやれば、「悪かった」と言って今度は優しく抱き寄せられる。
 私は間違っているのだろうか。だとしたら、どこから間違ったのだろうか。青峰くんと関係を続けたいがためにここを辞めることか。青峰くんとの関係を絶たないことか。それとも、もっとずっと前、青峰くんを初めてこの部屋に招き入れた所からか。多分、言い出したらきりがないのだろうと思う。あちこちに間違いがちらばっていて、今更後悔した所でもう遅い。けれど、後悔以上に青峰くんと出会えて良かったと思うことが多過ぎるのだ。それをみすみす手放せるほど、大人になり切れていないのは私だ。

「誰かにばれてしまったら…そんな不安はいつもある。いつまでも隠しとおせる訳がないのよ」
「ああ」
「次の図書館もここからそう遠くはないし、アパートだって今のまま。だったら、ここに勤め続けるのとどっちが良いかなんて、決まってる」
「けどそれじゃあ」
「会えなくなる訳じゃない」

 青峰くんの年齢と私の年齢、その差を考えた時、別れることだって考えた。退職はいい機会だから、と。青峰くんにとっては高校時代の一時のことかも知れないし、次があるかも知れない。まだまだこれから未来を考える今の彼の隣にいるのが、私で良いのかとも思った。迷いもした。けれど、もしここで私が別れを切り出したら、私はきっと大きな後悔をする。今以上にもっと、忘れられない後悔をしてしまう。もういい、と青峰くんに言われるまでは、彼に恋をしていたいと思ったのだ。

「青峰くんと離れるために辞めるんじゃない。まだ青峰くんと一緒にいたいから辞めるの」

 並んで街中を堂々と歩くこともできない。禁忌を犯した関係は、スリルがあるけれど危険を伴う。何より、誰にも知られてはならないのだ。最初は秘密で良いかもしれないけれど、きっとその秘密が苦しくなる時が来る。恋人がいると言えないことに、辛さを感じるようになる日がきっと来る。大好きな人がいるのに、大切な人がいるのに、その現実が辛くなるなんてことは絶対に嫌だ。
 青峰くんは青峰くんで、想像以上に色んな事を考えているのだと思う。部活のこと、これからのこと、考えることは山ほどある。もしかすると私以上にたくさんの何かを。だからか、私の出した結論に言葉を詰まらせていた。沈黙が続き、やがて青峰くんはぼそりと言った。

「もう決めたんだな」
「はい」

 迷いなく返事をする。青峰くんは苦々しげな顔をして、「大人はずりーな」とだけ言って司書室を出て行った。








  

(2014/04/23)