今日が土曜日で本当に良かった。今朝見た夢のせいで最高に寝覚めが悪い。夢に現れたかの人物に会わなくて済むこの素晴らしい土曜日に私は感謝をした。

(あ…有り得ない…)

 時計を見れば昼の十一時だったことも、足を攣って目が覚めたことも、何より夢の内容も。こともあろうに、夢の中で私はまるで有り触れた少女漫画のヒロインのように、「青峰くんが好きなの…!」などと顔を真っ赤にして告白していたのだ。有り得ない、有り得ない、と顔を真っ青にして私は頭を抱えた。こんな夢を見るのも最近の青峰くんのせいだ。いきなり頬に触れたり、笑ってみせたり、私を困惑させることばかりする。

(出掛けたい…出掛けたくない…)

 妙な罪悪感で気分はすっかり重いのに、今日は買いそびれた新書を買いに行く予定だった。けだるい体を叩き起こして洗面台で鏡を見れば、まるで長距離走でもしたかのような疲労の滲んだ私がいた。しかしこんなみっともない顔で外出する訳にも行かない。冷たい水でまだ半分睡眠に足を突っ込んでいる頭を覚ました。
 朝昼ご飯となってしまった食事をとりながらテレビをつけても、休日のこの時間帯に面白い番組は一つもない。流し聞きして身支度を整え、多少気分の回復した私は部屋を出る。歩いて行けない距離ではないが、毎回たくさんの本を買い込んでしまうため、自転車の方が助かるのだ。
 本屋に着いて、早速新刊案内のコーナーへ向かう。残り数冊となっていた目的の文庫本を手にとり、残っていたことにほっとした。すると、その近くに積まれた一冊の本が目にとまる―――『夢占いで自分を見直す』。

(読みたいような、読みたくないような…)

 一般的に夢は記憶の整理だというし、変な夢を見たって即ちそれが自分の願望とは限らないとも聞く。それならそう、参考にしたっていいではないか―――その本に手を伸ばそうとしたその時、突然肩にぽんっと手を置かれる。

「ひぃ…っ!?」
「何してんだよ司書サン」

 低い声とその呼び方には覚えがある。しかしあまりの驚きに涙目になりながら、手にした文庫本をぎゅっと握り締めた。背後にいるのは誰だか分かってるのに、いや、分かってるからこそ振り返れない。そういえばこの間も同じようなことがあって彼を怒らせたのだったか。段々と威圧感の増す後ろからの視線に恐怖を覚えた私は、そっと振り返った。

「ひ……とちがい、」
「んなわけねぇだろ」
「だよね……と、言うよりも…」

 いつもは司書室とその外だから気付かなかった。青峰くんのこの背の高さは普通に立っていても威圧感を与えるには十分過ぎる。失礼だがお世辞にも近寄りやすい顔とは言えないし、よく知る青峰くんとはいえ私は思わず一歩下がった。

「なんだよ」
「え…いや、なんでも、ないです…」

 司書室の中から見る青峰くんは私よりも視線が下で、それが普通になっていた。青峰くんに見下ろされることに慣れていない私は、今朝の夢のこともあって彼の目を見ることができない。会いたくなかった、今日だけは会いたくなかったのに―――そう頭の中で何度も繰り返した。私の背中を変な汗が伝う。青峰くんは私の見た夢のことなんて知るはずがないのに、一方的に私が気まずさでいっぱいになる。まるで、青峰くんに疚しい感情を抱いているようではないか。早くこの場から立ち去りたい。

「何買ったんだ?」
「…本です」
「当たり前だろうが」

 本にも種類があるだろ、と溜め息をつく。私は表紙を見せながら「小説の新刊」と短く答えた。…駄目だ、いつもどおりに会話ができない。目を合わせられないし、声も上手く出ないし、この身長差を初めて実感してなんだかとても緊張している。恥ずかしい、ではないけれど、ただ熱を持つ顔に気付かれたくなくて俯いた。
 すると自然と視界には青峰くんの手が入る。この距離で見ると改めて青峰くんの手の大きさに気付いた。こんな手でバスケットボールなんて掴んだら破裂しちゃうんじゃないの、と無知な私は馬鹿なことを考えて気を紛らわそうとする。けれど、この大きな手が私の頬に触れたんだ、とか、もしこの手に頭を撫でられたら、と考えると私の心拍数はますます上がるばかり。自ら墓穴を掘ってどうするというのだ。

「司書サン一人暮らしなんだろ。そんなに本ばっか買っておいとく場所あんのか?」
「なんとか、まだ」
「借りりゃーいいじゃん」
「好きな本は手元に置いておきたいもの」
「なあ、なんでオレを見ないんだよ」
「それは、………なんでもない」
「嘘ってのは上手くつくモンだぜ」

 分かっている、今の私は失敗だ。どう考えても何かありましたって言っているようなものである。けれど咄嗟に上手い嘘をつけるほど器用ではない私は、顔にも声にも感情が出る。…こんなに緊張してしまうのは、決して夢の中で私があんなことを言ったからだけでも、もっと言えば夢のせいだけでもない。青峰くんが好きなのだと夢の中の私が言った後、夢の中の彼は私を抱きしめたのだ。しかも、丁度これくらいの身長差だったと思う。幸せな夢はすぐ忘れてしまうのに、どうしてこんな恥ずかしい夢はいつまでも覚えているのだろう。思い出すとまた顔が熱くなって来る。
 私が言葉を詰まらせてしまうと、青峰くんは睨むように私を見下ろした。

「オレがなんかしたかよ」
「青峰くんのせいじゃ…」
「じゃ、オレが夢にでも出て来たか?」
「は…っ!?」
「……なんだよ、当たりかよ」
「ちが、」
「嘘だな」

 青峰くんは一変、愉快そうに口元を歪ませると、私の顔を覗き込んだ。私はまた一歩後ずさるも、これ以上は書棚のせいで逃げ場がない。完全に包囲された、蛇に睨まれた蛙のようだ。せっかく青峰くんに会わなくて済むと思ったのに、一体どういう運の悪さなのだろう。

「で、夢の中でオレが司書サンに何言った?」
「だから、」
「何した?」
「あの、」

 一つ問う度に青峰くんの顔が近付く。ぱくぱくと魚のように口を開閉させるだけで、私はまともに息すらできない。そしてとうとう、耳元で問われる。

「オレと司書サン、何してた?」
「な……っ!」

 我慢が限界を超えた。私は思いっ切り青峰くんを押し返して無理矢理距離をとった。これ以上こんなに青峰くんの近くにいたら爆発してしまいそう。頭のてっぺんから爪先までまるでお湯を被ったみたいに熱い。こんな顔を見られたら、青峰くんに見透かされてしまう。青峰くんを見れないのは青峰くんのせいだけではない、私が意識してしまうのも青峰くんのせいだけではないのだ。間違いなく、出会った頃とは私の気持ちこそが変わってしまっている。だめなのに、と青峰くんに聞こえないくらいの、殆ど息だけで呟く。

「そ……」
「そ?」
「そ、そんな雑誌読む子には何も教えてあげませんっ!!」

 青峰くんが右手に持つ雑誌を指差して涙目になりながら叫んだ。雑誌の表紙には、水着姿の胸の大きなお姉さんが載っている。…青峰くんに問い詰められたり、夢に出て来たことを当てられたり、自分の胸元を見てショックを受けたり、混乱した私は青峰くんを子ども扱いするだけしてその場を走り去った。散々だ、あんな夢を見た時から今日はこんな日になると決まっていたのだ。こんなことなら外出などせず大人しく部屋で過ごしていればよかった。
 酷い顔のままレジで支払いを済ませた私は、まだ耳元で何かを言われているような感覚に陥りながら、全速力で自転車をこいで部屋へと戻った。もちろん、新しい本の内容走り去っ頭に入らないどころか、何もする気が起こらなかったのは言うまでもない。








  

(2012/08/31)