私は珍しいものを持っていた。スポーツ飲料のペットボトルだ。いつも麦茶を飲んでいる私は目もくれなかったもの。それという理由も一つしかない。先日麦茶を頂いてしまった青峰くんへのお返しだ。けれどこれを渡すのにどう切り出そうかと、私は鞄にしまったままのスポーツ飲料とにらめっこをしていた。 「何難しい顔してんだよ、司書サン」 「わっ!」 いつも通りの現れ方とは分かっていつつ、こうも突如現れるとやはり驚いてしまう。びくりと肩を震わせた私に、青峰くんは「いい加減慣れろよ」と言いながら呆れた顔をした。 「驚かさないでよ、おはよう青峰くん」 「驚かすつもりはねーよ。勝手に驚いてんだろ」 そのつもりはなくても、誰だって突然声をかけられれば驚くだろう。私はまだどきどきする心臓を抑えて、極力冷静になろうと努力した。数回深呼吸を繰り返せば、青峰くんは余計馬鹿にするような目で私を見る。それもこれも青峰くんのせいだというのに、その表情はないではないか。ただの生徒のはずなのに、幾つも年下のはずなのに、なんで私はこんなに緊張しなくてはならないのだろうか。確かに、私がただ意識し過ぎなのかも知れない。仲の良い教師と生徒なんていくらでもいる。私と青峰くんだってそのパターンのはずなのに、どうしても気になってしまうのは私の社会人歴の浅さのせいだろうか。 「そ、そういえば、この間貸した本はどう?進んでる?」 「あー…まあまあ。暇つぶしだし」 「でも面白いでしょう?」 「まだ読み始めたばっかなのに分かんねぇよ」 頭を掻きながらまた適当に答える青峰くん。悪く言わないということは印象は悪くないらしい。暇つぶしと言いながら、私が見かけるその度に読んでいることは知っている。情熱的にその本について語ると言うことはしないけれど、自分の好きなものに興味を示して貰ったり、否定されないことはやはり嬉しい。 聞けば、この高校は青峰くんの所属するバスケ部がとても強いと言うし、青峰くんも中学時代から有名な選手なのだと言う。私は運動部に関しては知識がないと言って良いほどなので、それがどれほどのレベルなのかはよく分からない。それに、私が知っているのはバスケをしている青峰くんではない。HRをサボったり、昼休みに司書室の外に寝に来たり、一応ここの職員である私に乱暴な言葉遣いをしたり、今みたいに素直じゃなかったり、どこにでもいるただの高校生なのだ。 バスケをしている所を見たくないと言えば嘘になる。けれどそれは純粋に頑張っている生徒を応援したい、という気持ちでは最早ないような気がする。最近の私は、どうしても青峰くんに対して思惑とか、疚しい気持ちがあるような気がしてならない。 「…………」 「どうしたんだよ」 やはり、このスポーツ飲料も渡すべきではないのだろう。金銭の絡んだものを、たとえ150円のものとはいえ生徒に渡す訳には行かない。職員と生徒は、学校を出てもその関係がなくなる訳ではない。卒業する以外に、ボーダーラインを越えて良い時間など一秒もない。それでも私は悪い職員だから、自分の気持ちを優先したいと思ってしまう。 「あ、青峰くん、これあげる」 「なんだこれ」 「この間の麦茶のお礼。良かったら飲んで」 「…こんな濃いモン飲めるかよ」 「ええ!」 「スポーツするヤツはこれを薄めて飲むんだよ」 「ええぇ!」 「これだからインドア人間は…」 まさかの言葉に私は脱力する。せっかく勇気を出して渡そうとしたのに、右手に握りしめたペットボトルが行き場を失くす。思いっきり空回りをしてしまった。朝からどきどきしながら自販機の前に立ったのに、この呆気ない終わりはなんなのだろう。どこか悲しくなりながら可哀想なスポーツ飲料を鞄に仕舞おうとすれば「司書サン」と呼ばれる。すると青峰くんは、私の右手からペットボトルを攫った。 「貰ってやらねえとは言ってねー」 「え…?」 「丁度喉乾いてたしな」 そういうと、ペットボトルの蓋を開け、私の前で中身を一気に半分ほど飲みほして見せた。まるで、この間の私を真似するかのように。しかしペットボトルから口を離すと、途端にまずそうな顔をして蓋をする。呆気にとられている私に、「おい司書サン」と再び声をかけて来る。今度は何を言われるのかとびくびくしながら彼の言葉を待った。突き返されるか、二度とくれるなと言われるか―――どちらにしろ既に私の心は重傷を負っているに変わりなかった。 「濃い」 「ごめんなさ、」 「でも飲めねくもねぇんだな」 「…………」 否定の言葉がないのは悪くないと言う証拠。つまり今のは、フォローの言葉なのだろうか。それに、青峰くんがほんの少し、本当に極僅か、笑った気がする。いつもは仏頂面で、呆れたり馬鹿にするばかりなのに、今、きっと少しだけ笑った。そんな青峰くんは初めて見た。一体なぜそんな表情をしたの―――もちろん、そんなことを聞けるはずもなく、私はほんの一瞬の青峰くんの表情にまた胸が締め付けられる思いをするのだ。私を揺さぶる青峰くんは、有罪だと思う。 ← ![]() (2012/8/29) |