緑間くんへ
 この間は突き飛ばしてしまってごめんなさい。
 あれは、緑間くんが嫌だったんじゃなくて、本当にただ驚いただけでした。
 緑間くんにはたくさん助けてもらってます。
 同級生の男の子に呼び出された時も、ついて来てくれて…助けてくれて嬉しかったです。
 あんなことがあった後では信じてもらえないかも知れないけれど、私は緑間くんに触れられることは嫌じゃないです。
 何ともないっていうのではなくて、とっても緊張してしまって、どうすればいいか分かりません。
 けれど一つだけ、今のまま、緑間くんとすれ違ったままでいるのはとても辛いです。
 前みたいに緑間くんの家で一緒にご飯を食べたいし、話もしたいし、学校でも前みたいにおしゃべりしたいです。
 言い訳がましいけれど、あれは、緑間くんだから緊張して突き飛ばしてしまいました。
 本当にごめんなさい。

 



 たったこれだけのために随分と時間をかけてしまった。時計を見ればもうすぐ日付も変わる頃だ。緑間くんはもう寝てしまっているだろうか。足音を立てないように階段を上り、二階の一番奥の部屋を目指す。部屋の中からは何の音もせず、ドアの隙間からは電気の光も漏れて来ていない。
 紙袋に入れた手紙をドアノブに吊り下げ、どうか呼んでくれますように、と手を握り締めた。手紙に書いたことは全て本心だ。緑間くんを前にすると、どうすればいいか分からなくなってしまうこと、緊張して上手く話せないこと、けれど本当はもっともっとたくさん話して、緑間くんのことを知りたいこと。本当は全部、自分の声で伝えたい。けれど今はそれができない。

(もっと私に勇気があったら…)

 初めての恋に臆病になる。嫌われたらどうしよう、気持ち悪いって思われたら、鬱陶しいって思われたら―――マイナスな仮定ばかりが次から次へと浮かんで来て、身動きが取れなくなる。高尾くんは「ぶつかって行ったらいいじゃん!」と言ってくれたけれど、緑間くんは私にぶつかられたら迷惑なんじゃないだろうか、とか。
 だから、精一杯の思いを手紙に込めた。嘘偽りない気持ちを一枚の便箋に綴った。
 読んでくれますように、どうか読んでくれますように。神さまに祈るように両手を組んで、私はそっと緑間くんの部屋の前を離れた。



***



 朝、部屋を出ようとドアノブを回すと、外で何かが落ちる物音がした。不審に思ってそっとドアを開けてみれば、廊下に落ちていたのは白い紙袋だ。一体誰が、と思い拾い上げると、中に入っていたのはたった一通の手紙。封筒の宛名面には丁寧な字で「緑間くんへ」と書かれている。もしかしなくてもだ。裏面には予想通り、小さな字で「」と書かれている。一体今更何を、と部屋に再び入って中身を広げる。

「この間は突き飛ばしてしまって…」

 別にそのことを怒っていた訳ではない、と書き出しに苛ついた。しかし、読み進めると共に、彼女に冷たくしたことを後悔した。
 を突き放すようなことを言ったのは、身勝手な嫉妬心からだった。が男子生徒に呼び出された時に彼女を庇ったのは俺だったのにだとか、先に出会っていたのは、一緒に住んでいるのは俺なのにだとか、そういう、子供じみた愚かな嫉妬だ。の気持ちなど考えずに、俺はこの数日間を無視し続けていた。
 きっと俺は、が思っている以上にと色々な事を話したい。のことをもっと知りたいとも思うし、に近付きたいとも思う。高尾だったら女子との接し方も上手く、もっとスマートにできただろう。だが俺は高尾じゃない。との距離の図り方や、の考えていることを察することすらできていない。

「それでも良いと言ってくれるのか、は」

 手に力を入れると、簡単にくしゃりと手紙に皺が寄る。
 どんな思いではこの手紙を書いたのだろう。彼女もまた、男性とは最低限の付き合いしかしてこなかった身。男である俺に手紙など、さぞ緊張したことだろう。このドアノブに手紙をかける時、一体何を思ったのだろう。
 謝るのはではない、俺の方だ。



***



「真ちゃーん…何書いてんのー…」
「お前には関係ない」
「開口一番“今日はお前が自転車を漕ぐのだよ”ってジャンケンもなしに」
「五月蠅い、俺は忙しいのだよ」

 そう、いつもは公平にジャンケンでチャリアカーを引く方を決めるのに、今日はそれもなしだった。いや、ジャンケンした所でいつも真ちゃんが勝つんだけどさ。
 信号待ちで止まり後ろを振り返るとバインダーに向かい何やら真剣な顔をしている真ちゃん。なにそれ、と聞けば、当然のように「今日のラッキーアイテム、真っ赤なバインダーなのだよ」と返って来る。いや、俺が聞きたかったのはそれじゃないんだけどね。
 あの真ちゃんが宿題を忘れるはずがなく、提出するプリントがあったわけでもない。部活関係の書類でもなさそうだ。とすると。

ちゃんへの返事かな…)

 こちらからはその中身は見えないが、えらく難しそうな顔をしてバインダーに向かっている所を見ると、おそらく当たりだろう。ちゃんは「早速手紙を書きます!」と意気込んでいたし、昨日の夜にでも書いて真ちゃんの目につくどこかに仕込んでおいたに違いない。それを今朝、真ちゃんが見つけたって所だろうか。
 けど、真ちゃんがまさか事の真相を教えてくれるはずがない。未だちゃんを好きなことを認めてはいないのだ。自覚したかどうかもよく分からないけれど、間違いなく真ちゃんはちゃんを好きなのである。

(あーあ、早くくっつけばいいのに…やきもきするこっちの身にもなって欲しいよなあ)

 わざとらしく溜め息をつくと、後ろから「朝から辛気臭い溜め息を聞かせるな」と不機嫌そうな声が飛んで来る。溜め息をつかせてるのは真ちゃんとちゃんなんですけどね。







  

(2014/01/07)