家に帰ると、奥の方から微かにピアノの音がした。うちには防音室と、その中にグランドピアノがある。母がこの家に嫁に来る時に実家から持って来たピアノらしい。母はリビングにいるし、父はピアノは弾かない。となると、弾いているのはか。

ちゃん、ピアノ弾けるんですって!なんでも、ちゃんも音大に行きたいそうよ」
「音大に…?」

 も、というのには訳がある。そういう母も音大出身なのだ。そう言えば、の通っていた白羽女子は音楽科があったはず。普通科に転入して来たものだから、てっきり普通科にいたのかと思ったが、音楽科出身なのだろうか。母もよくクラシックを聴いているため分かるが、聴こえて来る曲は難易度が高いものだ。母と趣味が合いそうである。
 待て、これはチャンスではないのか。今、母はテレビに夢中。父は風呂だ。落ち着いてに声をかけられるのは今しかない。…俺は、緊張しながら防音室へと足を進めた。

、失礼する」
「へ、わ、あぁっ!?」
「おい…っ!」

 は振り向いた瞬間、またバランスを崩して椅子から後ろへ崩れ落ちる。「危ない!」そう叫んで手を伸ばす。床で頭を打つ前になんとか受け止めたが、滑り込んだため二人して床へ転がる。しかもを抱きとめたままだ。慌てて起き上がり、肩を掴んでを確認した。

「だ…大丈夫か!」
「ひ、ぃ…っ!」

 かちんこちんに固まったは口をぱくぱくと金魚のように動かすだけだ。耳だけでなく首まで真っ赤になり、固まっている。これは、つまりの拒絶だ。口で言えない代わりに身体が反応を示す、十分な拒絶反応だった。
 震える肩から手を離し、と距離をとる。俺は駄目なのだと、そう言われたような気分だ。どれだけ気にかけようと、心配してみようと、距離をつめてみようと試みても、それはこちらの一方通行で、はかたく扉を閉ざしたきり。けれど高尾のようにその扉を開ける相手もいる。何が違うのだ、俺になくて高尾にあるものは何だ。
 ぎり、と奥歯を噛み、立ち上がる。そのまま部屋を出ようとした。拒絶されているなら、嫌がることを無理矢理する必要はない。高尾はああ言ったが、俺の言葉など力になりなどしないのだ。

「わ、わたしだめなの…!」
「それは分かっている」
「そうじゃなくて、緑間くんが、だめなの、私、高尾くんは、」
「いい、もう言うな」

 わざわざ追い討ちをかけられなくても良い。高尾はあの通りの性格だ、表も裏もないしも安心できるのだろう。の男性恐怖症がどこから来たものかは知らないが、それならもう高尾に任せればいいではないか。同じ家に住んでいるとはいえ、朝起きる時間も学校へ行く時間も違えば、帰る時間も違う。顔を合わせるのは家よりも学校の方がずっと多い。学校にいればも友人がおり、俺と接する時間なんてあるかないかだ。俺が必死になる必要もないのではないか。
 の言葉を遮って、俺は部屋を出た。







  

(2013/06/27)