自分が口にした言葉を頭の中で繰り返す。自分が彼だけのものになっても、彼は自分だけのものにはならない。それは紛れもなく、の独占欲を表していた。後ろから抱き締められているせいでルシウスの顔は見えない。どんな顔をして今の言葉を聞いたのだろうか。それはの本心だった。本来ならば口にすることは許されない思い、伝えることなど決してないはずだった気持ち。焦りと動揺での頭は真っ白になる。今すぐ逃げ出してしまいたい、それなのに身体は震えるばかりで言うことを聞かない。けれどそれも全て包むかのように、ルシウスはを抱き締める力を強くする。呼吸すら止めんとする程の腕の力のせいか、色々な気持ちでいっぱいになったせいか、胸が苦しい。唇を噛み締めて、はルシウスの言葉を待った。


「は、い」
「今の言葉に嘘偽りは?」
「…………」
、返事は」
「あ…ありま、せん……」

 分かった、といつものように耳元で低く囁くと、そっとの身体を離す。急に人の体温の離れた身体に寒さと寂しさを感じながら、自らの腕で自分をぎゅっと抱き締める。けれど、爪の跡が付くほど自分を抱いても、さっきのような胸の苦しさは一つもなかった。









 ずっと、ルシウスの言葉の意味を考えていた。どういう意味での言葉に嘘偽りがないかと確認したのだろうか。あまり意味はないのだろうか。自分に嘘をつくなと念を押しているだけなのだろうか。考えても考えても、元より考えの読めない人間相手だ、答えなど出るはずがない。けれど、どうしても何か裏があるような気がしてならない。悪い方向に転ばなければいいのだが――――そのようなことを考えては一日を過ごした。ただでさえここ最近は何をしていても身に入らなかったというのに、日増しにおかしくなっていくを見て、が不審がらない訳がなかった。

 そろそろ話すべきなのだろうと思う。にとってここまで心を許せる友人は彼女だけである。自分でも収拾のつかないこの気持ちを、彼女に話すことで多少は整理できるかも知れない。そう思いながら、「夕食が終わったら聞いて欲しいことがあるの」と唐突に彼女に告げた。当然、何をいきなり改まって、と驚いて見せたが、強張った表情のを見て事情を察してくれたようだった。

「楽しみにしているわ」
「楽しい話ではないけどね」
の顔見てたら分かる」

 飽くまで明るく振る舞う彼女に、は心底救われていた。しかしほっとしたのも束の間、大広間に足を運ぶとその空気の重さには固まった。いつもであれば生徒たちの喋り声でにぎやかなはずの大広間は、随分と静かである。その異様な空間に、思わず足を踏み入れることを躊躇ってしまった。何があったのか分からない二人は入り口で立ち止まったまま、大広間を見渡す。教員席はいつも通りである所を見ると、何か学校側からショッキングな報告があった訳ではないのだろう。第一、そういった報告であれば全生徒が呼ばれるはずだ。

 はスリザリンの席をじっと見渡す。その中に、一つ異変があることに気付いた。ルシウスの姿がないのだ。もう夕食を終えて寮に戻ったのだろうか。いや、それにしては早すぎる。不思議に思うも、いつまでも入り口で突っ立っている訳にはいかない。を促して席に着こうとした。しかしそれは後ろから呼びかけられた声によって遮られる。



 よく知った声で名を呼ばれる、しかもこのような大勢の生徒が居る前で。周囲からすれば何の接点もない二人。けれど契約通りにしなければならない。はい、と返事をしては振り返らなければならない。何でしょうか、と応えなければならない。振り返ればそこには、間違いなくアイスブルーの瞳を持つかの人物が立っているのだ。重く暗い空気の中で彼の声が響いた時、一瞬大広間に緊張が走った。それは一重に、ここの空気と彼に関係があることを示しているに他ならない。…はこんなにも契約を恨んだことはない。これ程までに返事をし、振り返ることに気が重くなったことはない。

 それ以上後ろから促すような声はしないが、隣に立っている友人は焦った表情での腕を突く。分かっている、分かっているのだ。ここで無視する訳にはいかないと。皆が注目する中、は生唾を飲み込むと、慎重に後ろを振り返った。

「…はい、何でしょ……」

 よく見知った顔なのに、そうではなかった。予想した通りの人物、ルシウスの顔を見ては大きく目を見開く。彼はその整い過ぎた顔にはまるで似合わない、痛々しく赤く腫れた左頬をしていた。…重い空気、遅れて来たルシウス、赤く腫れた左頬、大勢の前でを呼ぶ声。密やかであったはず関係が、明るみに出る瞬間。それが一体何を意味するか分からないほど、は愚かではなかった。

「遅くなってすまない、少し寄り道をしていた」
「ちょ…ちょっと待って下さい!どういうことですか!」
「どうもこうも、私はを選んだ。それだけだが?」

 途端、「ひぃ…!」という甲高い悲鳴が上がる。悲鳴を上げたいのはの方だった。誰もが注目する中、彼はの手を取り、そこへ口接けたのだ。と同じく、もそれを見て固まる。ひそひそと嫌な噂話をする声が飛び交う中、ただ一つ、グリフィンドールの席からは大きな冷やかしの声が上がる。けれどもう何も耳に入って来ず、周りを気にしている余裕などない。

 は目眩がした。これまで、地味だ根暗だと蔑まれることはあっても、自分の領域を守り、それなりに平穏に過ごして来たはずだった。確かにルシウスと関係を持ってしまってからはただ平穏とは言えなくなっていたが、それでも周りの人間関係が崩れたり、悪目立ちするようなことは何もなかったのだ。これまでのルシウスとの密約は、自分の領域だけでおさめることのできる問題だった。それを暴かれてしまった今、もうこれまでのではいられない。静かに、ひっそりと過ごすことはできなくなってしまったのだ。

「わ…たし、寮に戻ります…」
「顔が真っ青だ、気分でも悪いのか?では送って行こう」
「け、結構です!一人で戻れる、」
「君…と言ったね。後で適当に食べ物を持って来てやってくれ」
「は、はあ…」
!」
「行くぞ、

 静まり返る大広間で少しも他の生徒を見ることなく、だけを見ての手を引いて出て行くルシウス。その歩幅の差に躓きそうになりながらも必死でついて行く。待って、止まって、と何度その背に呼び掛けてもルシウスは止まる素振りを見せない。とうとう呼び掛けることも諦めて、寮の前まで辿り着き立ち止まる頃にはの息も上がっていた。ようやくを振り返ったルシウスは、いつもその顔に浮かべている笑みを消し、を見下ろす。

「本気ですか」
「君を選ぶと言ったことか?」
「そうです。まさか、だって…」
、君は自分の言葉に嘘偽りはないと言った。私はそれに応えたまでだ」
「それは義務?」
「…用心深いのは結構だが、それではこの頬をなんと証明する?」

 攫うようにの腰を引き寄せ、真っ直ぐな目で射抜かれる。そうなればもう、彼には嘘も偽りも何もないと信じる外ない。まるで賭けでもしているような気分になる。騙すか、騙されるか。引っ掛けるか、引っ掛けられるか。

 ルシウスを信じたい。けれどもしこの真っ直ぐな眼さえ嘘だったとしたら、自分を弄んでいるだけだとしたら――――そんな不安は消えてはくれない。どうしても頭の中に警鐘が響く。この男は危険だ、と。いや、それ以前に、彼がこれまでの他の女子生徒との関係を一切絶つほどの価値が自分にあると思えないのだ。あんな我儘な一言を、そのまま彼がなぞるとは思えない。そこまでする必要が、自分と彼との密約の間にはあっただろうか。

(だから、駄目だったのに…)

 信じてしまう。受け入れてしまう。これまでのことなど全て洗い流し、彼とのこれからを夢見てしまう。は、とっくに彼に毒されていたのだとようやく気付く。ここまで彼は計算していたのだろうか。が深みにはまりこんで行くと見越していたのだろうか。けれどもう考えることすら疎い。心の殆どはもう、ルシウスに侵食された後だったのだ。

「先輩を、信じます」





Back   The poison of the strelitzia   Next

(2011/12/23)