「へぇ、呪文学が苦手なんだ」
「習得までに時間がかかってしまって…。どちらかと言えば座学向きです」
「僕は逆に魔法薬学が苦手だなあ」


 昼休み、話題は学校のことになっていた。誰それ先生は元気か、この授業はどこまでやったか、ここにはこんな空き教室がある、そう言った当たり障りのない話だ。そしていつしか得手不得手の話へと移り変わっていた。

 私は、自分に魔法のセンスがないのだと感じることが多々ある。母はオールマイティに魔法に長けていたというが、私はその血を受け継がなかったらしい。中でも、呪文学や闇の魔術に対する防衛術と言った実践的なものが苦手で、最終的にテストはパスできてもそれまでに大変な苦労を要するのだ。誰もが授業以外でも練習を重ねるが、私は周りの二倍、三倍と努力が必要だった。これでは実践を重視するような職業には就けないだろう(元々就くつもりもなかったが)。それとは逆に、魔法薬学などと言ったどちらかと言えば研究色の強い授業の方が好きだ。答えはおよそ教科書にある。理論に基づいたそれらはのめり込むほどに面白かった。確かに魔法薬学のスネイプ教授は厳しい方だが、知識も豊富で素晴らしい教授なのだと言うことは授業を真面目に受けていれば分かることだった。


「意外ですね、ルーピンさんってああいう細かいこと得意そうなのに」
「そんなことないよ。僕の友人は良い成績でパスしてたけどね。鍋を、あー…爆発させたこともあったかな」


 「はは…」と恥ずかしそうに笑いながら、ルーピンさんはそんなことを暴露した。鍋を爆発させるだなんて、スネイプ教授だったら何点減点されるか分からないことだ。生憎今年は誰も爆発させはしていないが、青くなるはずの薬が赤になったり、紫になったりという生徒はいる。そんな生徒に容赦なく減点や居残りを言い渡すのだ、かの教授は。


「ああ…私も先生の花瓶を、その…」
「割ったのかい?」
「いえ、インクボトルにしてしまって」
「でも物を変化させるのは成功したんだね」
「本当は花瓶に挿してある花を蝶にするはずだったんです」


 しかも運が悪いことに、それは先生の大切にしている花瓶だったのだ。さすがにあの時は居残り指導を受けた。マクゴナガル先生が言葉を失くした所を見たのもあれが初めてだった。しかし怒られると言うよりは寧ろ、静まり返った教室で「筆記の成績は悪くないのですから、その、えー…あとは練習ですね、私が見ましょう」とフォローされたのが逆に申し訳なかった。…そんな私のエピソードを聞いたルーピンさんもまた、私の言葉を繰り返すかのように「意外だね」と言った。

 私もルーピンさんも天才型ではない。やらなければ成績は下がるし、キープしている今の成績は私なりに努力をした結果だ。ルーピンさんの友人が主席・次席だったのだというが、恐らくルーピンさんだってその友人に近い成績だったのではないだろうか。競う友人が近くにいれば後れを取らないように努力だってするものだ。彼が学生時代から真面目な人間だったのであろうことは容易に想像できる。…まあ、部分的に性格に問題はあると思うが。


「ルーピンさんって結構、……」


 私と似てる所がありますね。そう、続けようとした。けれどあれだけ言われた「君と僕は違う」という言葉を思い出し、思わず口を噤む。私が言葉を切ったのを不思議に思ったのだろう、「結構…なんだい?」と首を傾げながら笑う。私をからかう時の笑い方だ。咄嗟に「面白いエピソードをお持ちですね」という言葉を繋げた。上手く誤魔化せただろうか―――いや、誤魔化せていないだろう、何せ相手はこの人だ。嘘も誤魔化しも効かない、それはもう、心を見透かす術を持っているかのように。それでも笑っていれば、「僕の友人には敵わないけどね」とルーピンさんも笑ったのだった。




***




 昼休みが終わり、一人でデスクに戻るとメリンダさんが無言でビスケットを差し出して来た。メリンダさんは何やら書類と格闘している―――山ほどの書類にサインを書き続けているようだ。「あ、ありがとうございます…」隣の席にルーピンさんが戻っていないことを確認し、ビスケットを一枚頂く。


、あんた変わってるねぇ」
「え?」
「ルーピンに懐くなんて変わってる」
「懐いてなんていませんよ。研修担当者と会話なんて当然でしょう?」
「あんまり気を許さない方がいいよ。傷付くのは、あんたの方さ」


 彼女の言うことはいまいち要領を得ないが、彼女自身も具体的に言うことを避けているようだ。遠回しな物の言い方に何と返事を返せばいいのか分からない。…もらったビスケットを一口齧ると、メープルの味が口の中に広がる。プレーンビスケットかと思えばメープルビスケットだったらしい。「カナダの従姉妹からの贈り物よ」相変わらず私には目を向けず、書類と睨めっこをしたまま説明してくれた。甘ったるく口の中に残るメープルは嫌いじゃない。寧ろこういった甘いものは私の大好物でもある。一枚を食べ終わるともう一枚勧められたが、とりあえず丁重にお断りしておいた。


「まあそれでも懐くってんなら止めないけどね。なんであんな真面目そうな人間が正規採用じゃないか考えてみるといいさ」
「は、はあ……」


 ルーピンさんが何かを隠していることは分かっている。この一週間、特に土曜にあんなことがあってよく分かった。彼は深入りされることを望んでいない。表面上の付き合いで済ませておけ、とメリンダさんは言っているのだ。私だってできることならそうしたい。踏み込もうとして、触れようとして拒絶されるそのショックの大きさを知らない訳ではないから。この夏きりの付き合いだ、研修が終われば全部終わる。連絡を取り合うことだってない。ああそんな夏もあったのだと、いつかひっそりと思い出し、懐かしく思うのだろう。…そんな未来を信じたい。

 惹かれているのは気のせいだ―――そう自分に言い聞かせる。メリンダさんの言っていることも正しいし、大体、私と彼は十も年が違う。私くらいの年であれば、大人に憧れるのは決して少なくないことなのだから、勘違いしてはいけない。加えて、一昨日は私の体調が悪過ぎた。そこへ与えられたこともない優しさを与えられたとなれば、大きな勘違いをしてしまうものだ。だからこれは違う、これは嘘。


「あれ、さん。メリンダさんに餌付けでもされてるの?」
「あんたじゃあるまいしそんなことしないよ、ルーピン。あんたこそを餌付けしてんじゃないよ」
「ばれましたか。お菓子で釣って研修期間中は走り回ってもらおうと思ったんですけど」
「ほらね、こいつはこんな人間さ。私が研修担当になれば良かったねえ……じゃ、私もお昼を取って来るよ。ルーピンにはくれぐれも気を付けなね、優しい顔して男はみんな狼だよ
「え、え、」


 ぽん、と私の右肩を叩くと入れ替わりにメリンダさんは昼休みに向かった。「肩が凝るわねえ」などと言いながら、肩やら首やらを回している。そんな彼女のデスクには、今まさにサインが終わったばかりの書類の山。デスクを滅多に離れることのないメリンダさんは、いつも書類と格闘しながらビスケットを摘んでおり、不思議な人だ。淡々とした話し方をするが決して冷たいわけではなく、先程のルーピンさんとのやり取りも皮肉めいたものではない。二人にとっては軽口のようなものなのだろう。当然見えない火花など散っておらず、両者とも気を悪くした風でもなさそうだ。

 しかし彼女の最後に残した意味深な言葉に戸惑っていると、今度はルーピンさんが左肩を叩く。振り返れば、いつもの爽やかな笑みを浮かべながらメリンダさんのデスクを指差した。


「メリンダさんのサイン済み書類、支部長の部屋まで持って行ってね。その後でこれ、五番倉庫から持って来てくれるかな」


 いつもの調子ですらすらと仕事を言い渡すルーピンさん。走り書きされた羊皮紙の切れ端を受け取ると、じっと彼の顔を見つめた。そして次に羊皮紙の切れ端に目線を落とす。そこにはいつも通り、びっしりと五番倉庫から持って来る書類が書き留められていた。「すぐ持って来ます、ルーピンさん」「よろしく頼んだよ」彼の言葉を受け、私はメリンダさんのデスクから書類の山を持ち上げる。思ったよりもずっしりと重いが、これくらいの重さなら先週五日間で慣れてしまった。

 分からないことだらけ、隠し事だらけ、触れようとすればすり抜ける。それでも、どんなに甘いメープルシロップよりも彼の作ってくれたチョコレートドリンクがいい、そう思った。






   



(けれど、止まらない)







 

(2011/9/20)