良いと言ったにも拘らず、結局、駅のホームまで見送りをしてもらうことになってしまった。益々寂しくなってしまうというのに、私は今にも目の端から零れて来そうな涙を、ルーピンさんの見ていない隙に両手で目を煽いで乾かした。こんなに寂しいのはきっと私だけなのだから。…この夏休み中に自虐にも磨きがかかった気がする。


「忘れ物はないかい?」
「大丈夫です。…ルーピンさん、保護者みたいですよ」


 苦笑いして隣を見上げれば、「昨日今日はそのつもりだったんだけどね」と返されてしまってちくりと胸が痛む。恋の経験なんて私はこれまでしたことがないけれど、「相手にされないの」と片想いをしている友人の言っていた意味がやっと何だか分かった気がする。今私は、この人にとってそういう(・・・・)対象にはなり得ないと言うことなのだ。それとも、そんな風に見られたいと思うこと自体烏滸がましいことなのだろうか。

 ホームは段々とホグワーツへ向かう生徒たちが増えて来た。早く乗らないとコンパートメントも空きがなくなるのだが、それよりもぎりぎりまでルーピンさんと話していたかった。もしかするとこれが最後になるかも知れないのだから。ルーピンさんは勘のいい人だから、私がこの人に好意を持っていることは見抜いているのだろう。その上で今日、こうしてここまで送ってくれたと言うことは、恐らく思い出作りに付き合ってくれたと言うことだ。

 ホームの片隅にいる私たちを気に留める人は誰もいない。同じ寮の同級生でさえ全く気付かないほど、息を潜めるようにして並んで待っているのだ。すっかり会話が止まってしまい、喧騒だけが耳に入って来る。あと少しなのだから何か話したい、けれど何を話せばいいか分からない。思えばいつも会話はルーピンさんからだったのだ。…そうもやもやと悩んでいると、やはりいつも通りルーピンさんが唐突に話し始めた。


「時々、あの支部長みたく僕なんかを拾ってくれる方がいるんだ。けど大半はどこへ行っても嫌われ者でね、正規採用なんて滅多にないんだよ。それに勘の良い人にはすぐバレてしまうから、派遣先どころか職を転々とするしかない」
「…そんなの、寂しいです。せっかくそこに馴染んでもすぐにさよならだなんて…」
「僕は君が思っているような人間じゃないんだよ。だから…そう、仕方ないんだ」
「そんなことないっ!」


 仕方ないなんて嘘だ。本当は彼自身が一番、“仕方ない”なんて言葉で片付けたくないに決まっている。確かに私は、彼が何を隠しているのか終ぞ知ることがなかった。けれど分かる、それ以上に彼には価値も魅力もある人なのだと。それを全て否定するようなことを、自ら蔑むようなことを言わないで欲しい。私は夏休みという短い期間で、こんなにも彼に惹かれてしまったのだから。それに支部長だけじゃない、メリンダさんもワーズワース夫妻も、決してルーピンさんを悪く言ったことなんて一度もなかったし、彼らの会話を聞いていてもそこには信頼関係があった。ルーピンさんがあの地で努力した結果、得ることのできた信頼なのだ。それにあの地が安全と平穏を得られたのは、他の誰でもない、ルーピンさんが居たからだ。だから、悲しそうな顔で笑うルーピンさんに泣きそうになりながら訴える。そんなことはないのだと、もう一度。けれど言葉の途中で我慢できずにぽたぽたと大粒の涙が地面に落ちた。


「きっと、理解してくれる人はいるはずです!ルーピンさんの良い所を生かしてくれる場所がきっと!だからそんなこと…そんな悲しいこと言わないで…っ」
「どうしてさんが泣くんだい」


 困った顔で笑いながら、ルーピンさんは私の頭を優しく撫でる。地面にできた染みを見つめながら、自分でもなぜ泣いているのか分からないと声に出さずに答えた。いろんな感情だ。彼が余りにも自分を卑下しており、正当な評価を得られなくても仕方ないと受け止めていること。そんな彼に、私ができることなんて何もなくてその無力さが悔しいこと。もう会えないかも知れないこと。…答えない私にルーピンさんも困っているではないか。泣き止まなければ―――そう思いごしごしと袖口で目元を拭った。その乱雑さにまたルーピンさんは苦笑いする。


「君はきっと、素敵な女性になるよ」
「…何て返せばいいのか…」
「それもそうだ」


 そこでようやく、いつものように笑い合うことができた。そして、はっとして私は鞄の中から一通の手紙を取り出す。昨日、部屋で書いていた手紙だ。大したことは書いていない癖に、少し長くなってしまったそれ。膨れた封筒が「中身がきつい」と言っているようだ。「研修中、ありがとうございました」「これを僕に?」目を丸くするルーピンさん。一瞬、受け取ってもらえないのだろうかと不安になったのだが、すぐに嬉しそうに笑って受け取ってくれた。「大事に読むよ」という一言を添えて。ほっとした私の頬も緩む。

 良かった、最後に彼の笑った顔が見られて。私も笑ってさよならが言える。ふと時計を見れば、もうそろそろ汽車に乗らないといけない時間だ。ルーピンさんも少し重いトランクを持ち上げ、汽車の間際まで一緒に歩いて来てくれる。どうやら私が最後だったようだ。汽車に足を踏み入れ、けれどすぐに扉の内側で振り返る。また涙が出て来そうになったけれど、我慢。


「とても充実した夏休みでした。こんなにも夏休みが楽しかったのは初めてです」
「僕もなかなか楽しませてもらったよ。…


 突然、名前を呼ばれてどきりとする。その声で名前を呼んでもらえるなんて、夢にも見なかったのだ。初めて私の名前を口にしたルーピンさんは、優しく温かい目で私を見ていた。


「ありがとう、また会えると良いね」


 けれど返事をする間もなく、汽車の扉は良いタイミングで閉まってしまう。扉に両手をついて窓の外を追うけれど、すぐにルーピンさんの姿は見えなくなってしまった。最後の彼の表情が焼きついたまま、後悔がどっと押し寄せて来る。あれも言えば良かった、これも言えば良かった、ああすれば良かった、こうすれば良かった―――なぜ終わってから気付いてしまうのだろう。言えば良かったのだ、「また会いたいです」と。待つしかできない私、受け身にしかなれない私。最後くらい駄目元で言えば良かったのに、肝心の一言をどうして私は言えなかったのだろう。

 また一筋だけ涙が右頬を伝ったけれど、それきり、それ以上は泣けなかった。




***




 夏休みが明け、六年生最初の変身術の授業が終わった後、私は研修レポートをマクゴナガル先生に提出しに行った。それを斜め読みした先生は満足そうに頷く。今回は研修の中身よりも、研修中に関わった人たちから得たことのレポートになった。これこそが最大の収穫だと思ったからだ(まさか朝から夕まで倉庫とフロアの行き気ばかりしていたとは言えないというのもあるが。)。研修を受け入れて下さった支部長、研修中ずっと心配してくれていたメリンダさん、ステイを受け入れて下さったワーズワース夫妻、そして研修担当だったルーピンさんのことなど。全て書いていたら、指定の量を随分と越えてしまったのだが、そこは特に注意はされなかった。


「今年の研修は色々と不安もあったのですが、実りある研修になったようですね」
「はい、先生」
「あなたが熱を出したと聞いた時にはどうなるかと思いましたが」
「…それは支部長ですか?それともワーズワースさん?」


 マクゴナガル先生は眼鏡を外し、「いいえ」と首を振った。支部長やワーズワース夫妻でないなら、思い当たる人物は一人しかいない。私は顔に熱が走った。


「どうやら思い当たる人物がいるようですね、。彼も随分と心配していましたよ、そう―――リーマス・ルーピンが」


 夏休み中、ホグワーツからの連絡は何もなかったため、私が体調を崩したことなど何も伝わっていないとだと思い込んでいた。もし連絡が行くにしろ、いくらルーピンさんが研修担当とはいえ、支部長がするものではないのだろうか。一体どんな連絡を彼はマクゴナガル先生にしたのだろう。勿論、個人的なことについてまで話が行ってるとは思えないし、そのようなことをする人物ではないと思ってはいるが、一体。


「Ms.、最初あなたの受け入れを拒否したのはルーピンでした。最近まで危険地域だった場所に後輩を近付けたくはないと。けれどダンブルドア校長の強い推薦で受け入れを承諾してくれるに至ったのです」
「なぜ校長先生はそんなにもあの地を…?」
「私も詳しくは分かりませんが、恐らくルーピンと関わることに意味があったのでしょう」


 本当の所は分かりませんが。そう付け足すと、マクゴナガル先生は私のレポートを引き出しにしまった。そして代わりに一通の手紙を取り出す。宛先には、丁寧な字で私の名前が書かれていた。「Mr.ルーピンからです」「私に?」「ええ」何もマクゴナガル先生を介さなくても、と思ったが、恐らく研修担当者としての報告書を送るついでに、あの日渡した手紙の返事でも書いてくれたのだろう。少し緊張しながら、その手紙を受け取る。もう帰って良いですよ、と言われると、私はマクゴナガル先生の部屋を出てすぐに、廊下であるにも拘らず手紙の封を開けた。どうしても寮に戻るまで我慢ができなかったのだ。

 駅で別れてからも何度も頭の中で繰り返した彼の声を、今一度リピートする。封筒の字と同じく丁寧に折り畳まれた手紙を開ければ、最初に目に飛び込んで来たのは“へ”という一行。その一行を読むだけで胸が大きく鳴る。思わず手紙を元通り折り畳んでしまった。やはり彼に会いたいという気持ちを誤魔化すことなんてできない。これを読めばきっともっと会いたくなる、今すぐ飛んで行きたくなる。それでも今はルーピンさんからの言葉も欲しい。どれを選んでも何かは避けられないのだ。

 深呼吸をして、もう一度私はそっと手紙を開いた。






   



(もっと、好きになる)







FIN.

(2011/10/19)