職場恋愛は暗黙の了解だ。まず生徒の前でいかにもな雰囲気を醸し出すことはタブー。とはいえ、恋愛経験というものが皆無に等しいにとっては、平常心でリーマスに接すること自体が第一の課題だろう。二つ目は生徒の前で名前を呼ばないこと。これに関しては二人で居る時ですら名前で呼ぶことはないので難なくクリアだろう。リーマスとかの薬学教授のような元同級生であったり、ダンブルドア校長とマクゴナガル女史のように校長・副校長ともなれば問題ないのだろうが、一見何の接点も見当たらないとリーマスが名前で呼び合っていたとなれば(しかもは新任同士だ)、何かあるのでは、と勘繰る生徒も出て来ないとは限らない。そう言う訳で、はおよそスリリングな恋愛をしている。初めての男女交際でこれはなかなかハードルの高いものであると、リーマスに好意を持った過去の自分を後悔した。が、それも彼を前にすれば綺麗に消えて行くのだ。彼を好きになったことは決して間違ってはいなかったのだと。 とはいえ、恋愛というのは一人でできるものではない。は常に生徒たちの囁く彼に関する噂にも耳を欹てている。何か自分と彼のことが漏れてはいないかということは勿論、噂の中から新たな彼の情報を得ることが稀にあるのだ。自分一人では知ることのできないリーマスの嗜好であったり、授業中の彼はどんな感じなのか、どんな授業をしているのか、など。些かストーカーのようではあるが、同じ城内にいても授業の関係で顔を合わせることは少なく、隠れて会うしかないとなると彼のことを知る機会も限定されてしまうのだ。…そう言う訳で、今もまたリーマスが二人の女子生徒と話している所を目撃し、なぜか柱の陰に隠れてしまった。 (悪いことしている訳じゃないのに、悪いことをしている気分だわ…) 今日の授業で分からないことがあったらしい生徒数人が、リーマスを捕まえ質問しているらしい。なんてことない、教師と生徒の会話だ。けれど上級生になればなるほど上手く策略を考える女子生徒が出て来る。授業に関する質問ついでにプライベートなことを聞き出し、近付こうとするのはいつの時代も同じ。リーマスに関してはその身なりから着任当初こそ嫌い・興味がないという生徒が大半を占めていたが、授業を受け、接する内にその人となりに惹かれた生徒は増えて来たようなのだ。教師として、大人として憧れるのは男子・女子生徒共に同じ。ただ、厄介なのは女子生徒。憧れから恋心に変わる瞬間が困るのだ。何も生徒相手に対抗心を燃やすことはないのだが、そこはそれ、もなかなかに大人になり切れない部分が未だある。生徒と年が近い分、やきもきすることも多い。 「―――ところでルーピン先生、授業以外で聞きたいことがあるんですけど」 ああほら、やっぱり。は苦笑いを浮かべて教科書を持つ手に手からを込めた。こんな風に生徒が切り出せば、質問する内容の相場は恋愛絡みだと決まっている。今日は一体何を聞かれるのだろうか。ここまで来ると盗み聞きは悪いと思いつつ、完全に素通りするタイミングを失ったは、只管息を潜めて会話が終わるのを待つしかない。の存在になど気付くはずもなく、リーマスはいつもの優しい声音で「私に答えられることなら良いんだけど…」と生徒に応えたのだった。きっと今、女子生徒の心臓は早鐘を打っていることだろう。もまた、当事者でないにも拘らず、まるで自分のことのように緊張した。 「先生はどんな女性が好みですか?」 「また、授業の話から大きく方向変換したね。…なんでまた、私にそのようなことを?」 「秘密にしてくれます、先生?まだこの子しか知らないことなんですけど、実は私、年上の男の人を好きになってしまって…ルーピン先生くらいの大人の人なら、どんな女性が好きなのかなって思ったんです。ほら、ホグワーツには他に聞けそうな人、いないでしょう?」 上手いこと言っているような、言っていないような。この女子生徒の狙いは十中八九リーマスだろうに、大胆なことをする。はおかしくて噴き出しそうになったのを堪えつつ、リーマスがどう答えるのか耳を澄ませた。上手にかわすのか、真面目に答えるのか。自身も彼にぶつけたことのない質問故、興味はある。一応は自分は恋人のはずだが、彼の答えに当てはまっていなかったらどうしようか。そもそも真っ当に返すのかどうかも疑問だが、とりあえずリーマスの答えなど予測がつかない。頭の中で何かのカウントダウンが聞こえる気がした。 「可愛い人……かな」 「それは見た目ですか?性格ですか?」 「どちらもだよ。それに見た目の良し悪しではなくてね、仕草や表情が可愛いと思える人がいいね」 頭を鉄で殴られたような衝撃を受けた。可愛い、それは自分とは随分とかけ離れた単語ではないだろうか。ショックに打ちひしがれるが、女子生徒は逆にリーマスの返事に食いついて行く。性格が可愛いってどういう感じですか、可愛いと思う仕草や表情ってどんなものですか、など、その声からも知りたくて知りたくて仕方がないということが伝わって来た。よほど彼女はリーマスを好きなのだろう、必死さは分かる。けれどはそれどころではない。最早彼女の更なる質問への答えよりも、自分がリーマスの理想に当てはまっていないことの方が重大な問題なのであった。 可愛い、などとは一度も言われたことがない。出会った当時はまだ十五で、しかもリーマスの職場の研修生だったため、違う意味で“可愛い研修生”だったかも知れない。けれど今リーマスの言った“可愛い”はそういう意味ではないのだ。女性的な魅力のある可愛さなのだ。自分はその真逆を行っているような人間、要は中身から何から可愛くなどないのだ。目立って整った容姿でもなく、中身はまだまだ子どものまま。対等に並ぶ事などできやしない。仕草、表情、自分のそれらを思い浮かべてみるものの、人を引き付けるような魅力はない。 「…でもそういうことは相手に直接聞いた方が良い。好みなんて人それぞれだからね」 「いえ、参考になりました!ありがとうございますルーピン先生」 「どういたしまして」 満足げにお礼を伝え、の隠れている柱の横を友人と共に走り去っていく女子生徒。ああ、きっと彼女はこれから彼好みの“可愛い人”になろうと昼夜努力をするのだろう。ちらっと顔が見えたが、純粋そうな可愛い子だった。…あんな風に花のように笑えたら良いのだろうか。可愛いとは、ああいった女子生徒のようなことを言うのだろうか。考えれば考えるほど、の心は鉛のように重く沈んで行く。可愛い、可愛い、可愛い、と何度も頭の中で繰り返した。一つ繰り返すたび、の元よりなかった自信がどんどんと削がれて行く。 「盗み聞きは良いとは言えないね」 「わわ、わ…!」 すっかり自分の世界に入り込んでいたはリーマスの接近に気付かず、突然現れた彼に驚いて二、三歩後ずさった。「どこから聞いていたんだい」と訊ねるリーマスに、「最初からです…」と気まずそうに目を逸らして答える。きっと何も聞いていなかったと言っても通じないのだ。それなら最初から白状しておく方が得策である。今の彼を見るに機嫌を損ねた風には見えないが、少なくとも誤魔化して痛い目に合わなかった記憶がない。 飽くまでリーマスと目を合わせないようにしているに、彼もまた苦笑いを浮かべる。訪れた沈黙に、かと言って「それでは次の授業があるので」などと言い出せる雰囲気でもなく、は固く口を引き結んだ。あまり言及されないことを祈るしかない。ぎゅっと教科書を抱えながら、リーマスの次の言葉を待つ。どうかこれ以上重い気持ちになるような言葉は告げないで、と思いながら。 「動物を前にすると目を輝かせる所」 「……え?」 「紅茶には少々うるさくて拘りを持っている所、それから一口飲んだ後の幸せそうな顔」 「あ、あの…」 「髪を梳くと嬉しそうに笑う所、手を繋ぐと赤くなりながらも躊躇いがちに握り返して来る所、キスしようとするとぎゅっと目を瞑る所、あと―――」 「あああああのっ!もう良いです分かりました!分かりましたから…!」 半分悲鳴のように言いながらリーマスの言葉を遮る。みるみる真っ赤になり、恥ずかしさから目に涙を浮かべるが、リーマスはただ優しく笑うだけ。その意図が分からず混乱していれば、廊下であるにも拘らずリーマスはを抱き締めた。 「何より、照れながらも微笑んで好きだと言ってくれる所」 「……っ」 だけに聞こえるように、耳元でそっと囁く。とうとう抵抗の言葉を失くしたは大人しくなった。こういう所が彼は狡いのだ。ほんの少しの言葉で丸めこんだり、上手いこと宥めたり、そう言う所も含めて好きになったにしろ、実際自分を上手く扱われてしまえば悔しい外ない。嵐の海のように荒れた気持ちも、曇りの日のようにどんよりした気分も、彼にかかれば一瞬にして晴れ渡ってしまうのだ。どこまでも彼のペース、彼の思うがまま、彼の手のひらの上。 くすくすと笑うリーマスに、「笑わないで下さい…」と弱々しく吐き出しても、「可愛いのだから仕方がない」などと軽く言ってのける。どうも子ども扱いされたような気がして、は拗ねて口を噤んだ。 「嘘ばっかり」 「本当だよ。ほど可愛いと思う人はいない」 「十も年下じゃ子どもも同然ですものね」 「そういう意味じゃない」 嫌味を言うには少しも機嫌を悪くした様子がない。寧ろ一層愛しそうにの髪を撫でた。不機嫌なのはの方。しかし朱の差す頬が彼に触れられて嬉しいのだということを表していた。その証拠に、リーマスが髪を梳こうと、その髪に口接けようと、何の抵抗もできないのだ。誰が通るか分からないようなこんな廊下でとも思ったが、今はそれよりリーマスに触れられる嬉しさの方が勝っていた。どうしても確かめたくなる。自分が彼の恋人に値する相手なのだと。彼の好みと今の自分はイコールで結ばれるのだと、そう言って欲しい。期待を期待で終わらせず、現実にして欲しい。 けれどそのどれも言葉にすることはできない。自分で求めることのできない臆病さに、僅かに嫌気がさした。いっそ素直に甘えられたら少しは可愛くもなるのだろうか。自信のなさから皮肉や嫌味で返してしまうことが少なくない自分は、どう考えても可愛くないのだ。 「私の言うことが信じられないかい」 「そういう意味じゃ…」 「じゃあ信じてくれるんだね。私が誰よりも君を愛しいと思っていることも」 「………………」 「?」 「……信じ、ます…」 だって、信じるしかないではないか。そんな柔らかい表情で言われてしまったら、甘い声で言われてしまったら、信じるしかないではないか。促すように唇をなぞる親指からも、腰を引き寄せる腕からも、こんなにも伝わって来てしまえば、頷くしかないのだ。ああ、またやられてしまったと唇を重ねながら目を閉じてみても、そこから伝わるのはやはり愛しさ以外の何物でもない。何度でも不安なる、何度でも疑ってしまう、けれどその度にこうして伝えてくれる彼を、もまた好きでどうしようもないことを、いずれはちゃんと言葉にして伝えたいと思った。 がその女子生徒から「ルーピン先生の好みの女性って先生ですよね?」と、悪戯っぽい笑みを浮かべながら聞かれるのはその翌日のことである。 Back 手を繋いで背伸び。 Next (2011/10/17) |