はホグワーツで教員をする前は、僻地の魔法生物・魔法薬研究所で研究員をしていた。学生時代から研究というものが好きだったは研究所から声がかかった時には二つ返事で研究所への就職を決めたのだ。しかし、若いのに余りにも研究所に引きこもりがちなことを気にしたのは、研究所の所長、それにダンブルドアだった。そういった経緯では母校の教員に着任したのだが、研究員としても良い成果を出していたため、一部の研究や研究発表は未だ引き継いで行っている。二足の草鞋といったところか。 そんなに、研究所からお呼び出しが来た。どうも明後日から一週間預かる魔法生物の扱いに困っているらしいのだ。魔法生物・魔法薬研究所とはいえ、のいた支部は魔法薬の方面に長けた研究員の方が多く、魔法生物に関することは多くがに任されていた。所長の頼みとなれば断る訳にも行かず、ダンブルドアに許可を取り、は一週間の出張扱いとなった。 「一週間?」 「はい。支部では扱ったことのない生物らしく、困っているようなんです」 「へぇ…それでにお呼びがかかった訳だ」 幸い、は魔法生物飼育学の講義担当のため、実践担当のハグリッドと講義を入れ替えてもらうことが可能だった。授業進行には支障はなさそうだ。ただ、随分と早くから予習をしてくれる生徒も中に入るため、その生徒には申し訳ないが。…とはいえ、研究所は滅多に見られない魔法生物が来るらしいのだ、の気持ちは既に研究所に向いていた。自他共に認める魔法生物好きのにとって、こういうことほど嬉しいことはない。しかしとは逆にリーマスは僅かに声のトーンを低くする。よく聞かないと分からないような些細な変化のため、用意に追われるはそれに気付かなかった。 「楽しみかい?」 「はいっ!ここでもハグリッドに色々な動物を見せてもらえますけど、やっぱり研究所ほど珍しい動物には出会えないので」 「その内夜中に禁じられた森に一人で侵入しないか私は心配だよ」 「そんな命知らずなことはしませんよ、子どもじゃあるまいし…」 いや、先生の好奇心は子ども並みだ、とおかしそうに笑うリーマスに、は口を尖らせた。そんな彼を無視し、不機嫌を顕わにして準備を続ける。忙しなく部屋の中を動き回るを、目を細めて見つめるリーマス。 一週間―――そう、たったの一週間だ。二人が教員として母校に着任するまでは一年に一、二回しか会えない関係だった。それを思えば一週間会えないくらいで大した問題ではない。ましてや重いの通じ合った今、何か心配する必要などないのだ。例えば、知らない内に恋人ができている、なんてことも有り得ない。けれど、着任してからこっち、毎日顔を合わせるのが日常となってしまったため、大袈裟だが一週間なしで過ごせるのかどうか少々自信がない。嬉しそうなを見て若干の寂しさを感じたのは決して気のせいではない。恋人となったから余計だろうか。傍に居るのが当たり前となってしまえば、ほんの少しの別れがこんなにも惜しい。先程の楽しみかという問いに即答されてしまったのも、実は少しばかりショックだった。 「…少しは寂しがってくれると思ったんだけどね」 「何か仰いました?」 「いや、有意義な一週間になるといいね」 にこりと笑っての言葉に返す。しかし、は不思議そうな顔をして荷作りの手を止めた。彼女も荷作りには慣れているらしく、杖を一振りすれば衣服や本をトランクに詰めてくれる。しかし杖を下ろし、作業を止めて壁に凭れて大人しくを見ていたリーマスに近付いて来る。 「何か、怒ってますか?」 「そう見える?」 「…機嫌が良いようには、見えないです」 は基本的には鋭い。人の心の機微を汲み取ることができる人間だ。些細な表情の変化を逃さない。先程の声のトーンの変化にしても、他に集中していることがなかったとしたら間違いなくキャッチしていただろう。まだ少女の頃の面影をどこかに残しながらも、大人の女性へと羽化する途中にあるは、困った顔をしてリーマスの顔を覗き込む。或いは、自分が何かしてしまったかという心配をその顔に滲ませながら。 しかしに指摘されたそれを素直に認めるのも年上として情けない。リーマスは目の前の恋人の顔を両手で包むと、額に唇を落とす。するとたちまち顔を上気させるを可愛らしいと思いながら、腕の中に彼女を閉じ込める。そろそろと控えめに背中へと回された彼女の腕は細く頼りない。この手が、この華奢な身体があの重そうなトランクを引いて一人、遠方へ向かうのかと思うと心配で仕方がない。自分も過保護になったものだと内心苦笑しながら、一週間離れてしまう彼女の体温を忘れないようにきつく抱き締める。 「ルーピン先生、あの、本当にどうかしたのですか?」 「時々…」 「え?」 「時々、君はどこかへ飛んで行きそうだと思ってね」 蝶のようにひらひらと。頼りなさげな羽で、足取りで、どこか自分も知らない遠くへ。十と言う年齢差に悩んでいるのは何もだけではない。若気の至りという言葉がある通り、若さゆえにどこへでも行ける力がある。大人になればなるほど嫌な方向へ慎重になるものなのだ。それでもを捕まえたのもまた自分。なかなかの冒険だと自分を抑えようとした時もあった。もっと彼女に合う良い相手がいるだろうと、同じ未来を見て歩める相手に出会えるチャンスがあるだろうと、諦めようともした。しかし、あろうことか自分の方が彼女を手離せなくなっていた。彼女の優しさに救われ、いつしか縋るほどになっていた。まさか十も年下の少女に、だ。本来、自分が彼女の手を引き、導いて行かなければならないと言うのに、結局は持ちつ持たれつ、同じ歩幅で同じ場所に立っていた。 けれどそれだっていつ違えるか分からない。が手を離し、自由に飛び立っていくかも知れない。道が二手に分かれないとは限らないのだ。“きっと”とか、“絶対”とか、そういった言葉を若いほどに使いたがる。不確かな未来を確かなものにするために、どうしてもそういった言葉で保証を得たがるものだ。けれどそういった約束ほど違われやすいものはない。結局どんな言葉で約束した所で、明日さえ不確かなことに変わりはないのだ。 「…私はいろんなことに興味があります」 「そうだね」 「来年、再来年、教員をしているかなんて分からないし、ずっと魔法生物や魔法薬学が好きかどうかも分かりません」 「うん」 「でも、どこかへ飛び出して行ってもルーピン先生の所に帰って来ます」 「…どうかな」 それこそが不確かだと言うのに、まだ大人になりきれていない頃と言うのは本当に怖いもの知らずだ。自分もあと五年だけでもと年が近ければ素直に頷けていたかも知れない。いつまでも、と誓った友情でさえ散り散りになるのは突然だった。それが、今まさに全力疾走中のであれば尚更だ。こんな歯痒ささえ共有できないのかと、僅かな苛立ちから突き放すような冷たい声を発してしまった。はっとしてを引き剥がせば、相変わらず苦笑いをしてリーマスを見上げている。そこに軽蔑するような表情は微塵もない。 「幸せが突然崩れるものだというのは、私も知っています」 「…そうだったね」 「でも思っているだけでなく、言葉に出すことは大切なことだと思うんです。ね、だから私はきっと帰って来る。どこへ行っても最後は貴方の元へ帰って来ます」 「…」 「先生がここで待っていてくれると信じているから、一週間だってここを離れられる」 リーマスの右手をの小さな両手がそっと包み込む。女性特有の柔らかい手は温かく、ささくれ立った気持ちごと包み込み、温めてくれるようにも感じる。少女だ子どもだと思っていた彼女がいつの間にか大人の表情を見せるようになっていたことに軽く面食らいながら、やはり彼女の言葉に救われる。普段はからかえば面白いほど大袈裟なリアクションを見せたり、キス一つに困惑することもあるというのに、こういう時の彼女は強かだ。リーマスが遠回しに零した不安でさえ拾い上げ、彼女なりに拭い去って行く。は最近、振り回されないようにと必死になっているようだが、実の所振り回されているのは自分の方なのではないかとリーマスは思う。ころころと表情の色を変える彼女はさながら季節の移り変わりのようだ。大人はどっちか、時々分からなくなる。 「には敵わないな…」 「私だっていつまでも子どもじゃありませんから」 ね、と首を傾げて微笑む。つられてリーマスも笑えば、は一層嬉しそうに笑う。…も喪失の不安を背負いながら過ごしているのだ。傷を舐め合う訳ではなく、手を取って歩くための不安の吐露。それを受け止めてここで待っていよう。が安心してここへ帰って来られるように。帰る場所がある幸せをようやく手にした自分たちだから、何の不安もなく帰って来られるように。 細い腰を引き寄せて頬に唇を寄せると、「擽ったいわ」と言っては身を捩る。くすくすと笑うにどうしようもない愛しさを感じながら、取り敢えず一週間分は彼女に触れておこうと決めたのだった。 Back 手を繋いで背伸び。 Next (2011/10/16) |