見た?見た見た、何でも学生時代の同級生なんですって!通りで親しげに話していたはずだわ!…女子生徒たちが嬉しそうに噂話をしながら通り過ぎていく。どうやら今、ホグワーツには有名な人物が訪問して来ているらしい。今年、最も期待を受けて魔法省に入職した職員―――エルバート・マクレーン。年齢からして噂になっている相手は恐らく…。


「ほらあそこ、まだ先生と話してらっしゃるわ」
「お似合いよねえ」


 今年、リーマスと共にこの学校の教員に着任しただ。かつて彼女が課外研修に来た折にリーマスが担当した学生であり、今は同僚、そして恋人でもある。もちろん最後の項目を知る者はこの学校には極僅かしかおらず(一部勘の良い人間には知られているかも知れないが)、よって彼女とエルバート・マクレーンがこういった噂話で持ち上がって来ても仕方がない。しかしそれを我慢できるかできないかはまた別の話なのである。

 自分はよりも十も年上である。このような些細なことで腹を立てるというのは大人気ないが、面白くないものは面白くない。彼女は十と言う年の差に焦りを感じているようだが、それはリーマスも同じ。いや、リーマスの場合は焦りと言うよりも後ろめたさと言った方が近いだろうか。彼女にはもっと、同世代で良い相手が居るのではないだろうかと考えてしまうことは度々ある。そこへこのような噂話が回って来たともなれば尚更。


「面白くないなあ、て顔してますよ、ルーピン教授」
「そんなことないよ」
は私のものなのに、て顔に書いてありますよ、ルーピン教授」
「それは面白い、鏡を見て来ようか」


 突如として現れたレベッカに皮肉で返せば、「どうぞどうぞ」と言いながら怪しい笑みを残して去って行った。相変わらず目線は少し先にいるとエルバート・マクレーンに固定されたままだ。距離があるため何を話しているのかは分からないが、楽しそうにしている二人から目を離すことができない。…何か話があった訳ではない。用事があった訳でもない。だが、気付けば足が二人の方へ向かっていた。程近くまで来ると、がリーマスの姿に気付く。すると、エルバート・マクレーンとの話を止め、リーマスにどこかほっとしたような笑みを見せた。「もうすぐ次の授業があるんじゃなかったかな、先生」もちろんそのような授業などない。一瞬も不思議そうな顔をするが、リーマスの意図を汲み取ったらしい彼女は、「ええ、そう、そうなんです」と話を合わせる。


「悪かったな。それじゃあ例の件、考えておいてくれよ。良い返事を期待してる」
「そうね、考えておくわ」


 ちらりとリーマスを一瞥し、にこっと笑い会釈をするとエルバート・マクレーンは去って行く。彼が声も届かないような場所にまで離れてから、ようやくリーマスはと向き合った。どこか気まずそうに目線を逸らす。耐えられなくなり、彼女の細い手首を掴んで人目のつかない場所へと移動する。最初の二、三歩こそ抵抗はあったものの、やがてそれもなくなり大人しくは引かれるがまま足を進めた。「先生?」やがて立ち止まると、恐る恐るといった様子で彼女は口を開く。何も言えず、ただ彼女を抱き寄せる。一瞬強張った肩、そしてゆっくりと応えるように背に回される腕。…そうだ、はあの男のものではない。レベッカの言った言葉がふと頭を過る。面白くない、は自分のものだ、と。


「助かりました、ルーピン先生」
「助かった?」
「少ししつこく、勧誘を受けていて…。私は魔法省なんて向いていないのに」
「随分楽しそうに見えたが…」
「まさか、愛想笑いですよ」


 それも分からないなんて、ルーピン先生の目は節穴ですか?僅かに不機嫌さを滲ませながら腕の中で問う。「すまない」素直に謝れば、「許します」とまだむくれたままで返事が来た。

 生徒たちの賑やかな声が遠くに響く。次は互いに空き時間だが、いつまでもこうしている訳にはいかない。生徒に見つからないとも限らないのだから。そうは思えど離せない腕。額、目元、頬、首筋と唇を落として行けば、擽ったいとは身体を捩った。僅かに頬を赤く染め、目が合えばはにかむ。どうしようもなく愛しさを感じもう一度抱き締めると、鼻腔を擽るのは彼女の香り。香水は苦手だと言っていたから、恐らく彼女の使っているシャンプーの香りなのだろう。


「先生」
「何かな」
「私には先生だけです」


 そっとリーマスを押し返すと、指先を絡めて微笑む。繋がった指先からまるで気持ちが流れ込んで来るようだ。優しい温度が指先を、手のひらを、そして心をも温めて行く。

 エルバート・マクレーンがを勧誘したのは何も彼女が有能だからというだけではない。彼のを見る目には下心があった。彼もまたを好いているのだろう。魔法省に入れば、将来の安定は約束されたも同然だ。エルバート・マクレーンが将来を約束した恋人だったならば尚更である。しかしリーマスは違う。将来のことなど何も分からないのだ。地位も名誉も財もない。世間から弾かれることには慣れているような人生だ。そこへまだ若い彼女を引き込んでいいのか、やはり一歩躊躇する。

 で自分の生まれに悩んでいることも勿論知っている。なかなか人を信用できず過ごした学生時代のことも、卒後の進路に僻地の研究施設を選んだことも、リーマスは知っている。今更リーマスの素性を気にするような女性ではないことだって、誰よりも理解してるつもりだ。なぜならは優しい。優しいからこそ言い出せないのではないか。…疑心暗鬼は自分の方だ。


「…例えばの話ですけど」
「ああ」
「ルーピン先生が北へ行くと言うなら私も北へ行きます。西へ行くと言うなら西へ行きますし、留まるのならば留まります」
「それでは君が私に振り回されてばかりの人生じゃないか」
「時々我儘を聞いてもらうから構いませんよ。それに、好きでやることは振り回されたとは言いません」


 ね、と首を傾けて笑う。どこまでもリーマスを救おうとする彼女に、申し訳なさと有り難さと愛しさが溢れて来る。の言葉は麻薬か何かか。もう彼女の言葉も、彼女もなしでは生きられないのではないかと錯覚するほどに、黒い考えを浄化して行く。彼女にここまでして貰うほどの者ではないというのに、なぜ彼女はここまで惜しみなく優しさを分け与えてくれるのだろうか。

 合わさった手のひらを握り、ありがとう、と呟く。どうしようもない自分を見捨てずにいてくれてありがとう、と。ごめんと言えば怒るだろうから言えなかった。きっともうを離してやることはできない、ごめん、と心の中でそっと告げる。


「…それにしても、魔法省の件はなんて言おうかしら」
「簡単なことさ、返事なんてしなければいい」
「スルーしろってこと?先生もなかなか極端ですね…」
「今に始まったことじゃないさ、特にのことなら」
「せ、先生、あまりからかわないで下さい…」
「…君は大胆なのかそうじゃないのか分からないよ」


 プロポーズまがいのことを言っておきながら、リーマスの言葉に頬を染めるを、これから先どうやって手離せようか。





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(2011/9/12)