どうかこの手の届く場所へ。











…?さて、聞いたことがないね」

 翌朝、の働いていた店へ足を運んで驚いた。なんとそこには彼女はいなかったのだ。は自身のいた形跡を全て消し、彼女自身もまたどこかへ消えた―――忘却術により、彼女の周りの人間の記憶を消してしまっていた。そう言えば彼女は学生時代、特に呪文学が得意だったことを覚えている。卒業してブランクはあれど、その腕は未だ落ちていないのだろう。

 不思議そうな顔で首を傾げる店長を前に、小さく舌打ちをすると礼を言いその場を去った。彼女のことを覚えていない人間にいつまでも問い詰めたって無駄だ。それなら少しでも早くに本人を見つけなければ。彼女ほどの腕であれば、どこかに必ずその魔法の痕跡がほんの欠片でも残っているはずだ。しかし意地になれば強いあの相手だ、流石に自分一人では何年かかるか分からない。この際、恥も何も関係ない、使えるものは使う。…私は邸に戻るとすぐに、信頼のできる我が家に仕える人間を呼んだ。

「ヘンリー」
「はい、ルシウス様」
という名の女の行方を探れ」
「…しかし」
「これは命令だ」
「承知いたしました」

 短く返事をするとヘンリーはすぐに姿を消す。もちろん自分でも何もしない訳ではない。けれど自分にはどうしても家を背負うという義務がある。当主としての顔がある。けれどと一族、どちらか選べと迫られてどちらかを捨てられるほど欲のない人間ではない。私はそのどちらも手に入れたいのだ。欲しいと思えばどちらも手に入れなければ済まない人間なのだ。

 は入学当初から変わった生徒だった。多くの生徒がホグワーツ行きの汽車に乗っている内から友人づくりというものを始める中、彼女は一人、堂々とコンパートメントを占領し居眠りしていたのだ。私は面倒な輩―――私の家に取り入ろうとする生徒たちを上手く追い払うのに疲れていたため、この際静かであれば誰がいようと構わなかった。そのコンパートメントに入ると彼女はすぐに起きたが、非常に眠そうにゆっくりとした口調で挨拶をした。「初めまして、です。あなたは?」「…ルシウス・マルフォイだ」「そう、お互い何もなければ七年間よろしく」…そうしてまた眠ってしまった。余りにも拍子抜けしたと共に、なんて警戒心のない人間なのだと思ったことを今でも覚えている。荷物を盗られないか、何か悪戯でもされないか、そのような心配は微塵にもしていない。もっと何か言いたいこともあるだろうに、彼女は結局、ホグワーツに着くまで眠り続けた。

 もしや世間離れしたどこかの令嬢かと思ったが、という姓に心当たりはなく、どうやら良家の箱入り娘というではない。遠慮がなければ、容赦がない。相手が誰であるか、あまり家の名前などには興味がないようだ。彼女は誰にでもそう(・・)なのだと知ったのは、入学して少し経ってからだった。







 合同授業でも、ペアで実習などをすることは多い。生徒の数が奇数だと、必然的に誰かは他寮の生徒と組むことになるが、その日は運が悪くグリフィンドールとの合同授業だった上、生徒の数がまさに奇数だった。誰が犠牲になるか、誰に押し付けるか、声に出さずとも考えていることはどちらも同じ。次々とペアを作って行き、徐々に残り者が露呈して行くという嫌な空気が流れる中、既に友人と組んでいたが、グリフィンドールの残り者らしい女子生徒に声をかけた。

「ねえ、私でよければ組んでくれない?」
「え、あの、私…」
「足は引っ張らないようにするわ。私、割と魔法薬学が得意なの」
「え……と、じゃあ…お願いしようかしら…」

 スリザリンの癖に何を、と零す人間はスリザリンにもグリフィンドールにもいた。そのため、結局彼女らがその授業で最も優秀な実習結果を残した所で、それがますます周りの反感を買うことになってしまった(もちろんそれはただの妬みに過ぎないが)。それをきっかけに、だけは変わっているだの、裏切り者だの言われ続ける羽目になったのだ。私も彼女と入学初日に出会ってなければそう思っていただろう。ただし、やはり分かる者には分かるようで、その時に組んだグリフィンドールの女子生徒とはその後も交流があったようだ。

 は、誤解されやすさから損をしている人間だ。教師や先輩から頼みごとをされれば嫌な顔一つせず引き受けるため、取り入っていると思われる。どの寮の生徒か、どの家の生徒かに拘らないため、他寮からは薄情だと言われ、スリザリン生からは裏切り者・恥知らずと罵られる。しかし関わってみれば分かる。彼女は決して、誰かを悪く言うことをしない。そして、一度関わればその相手をどこまでも大切にする。がいつも共に行動している生徒も、入学前からの付き合いなのだと言う。同室者にも親切だという話を聞いた。ただ、積極的に周りに声をかけて行く人間ではないため、彼女の本質を周りが見抜きにくいのだろう。

「勿体無いと思わないのか、君は本当は価値のある人間だ」
「それはただの買い被りよ。マルフォイでも見当違いなことを言うことってあるのね」
「本当のことを言っただけだが」
「お世辞でも嬉しいわ」

 こちらを見て控え目に笑い、そしてまたすぐに読んでいた本に目を戻す。偶然図書館で遭遇し、向かいの席に座り、けれど殆ど会話のなかった時間。私語を慎まなければならないのは当然ではあるが、ぽつりぽつりと時折零れる会話は、私を酷く緊張させた。私の家目当てで近付く連中が多い中、そこに何の興味も示さず遠慮のない言葉をぶつけて来るが新鮮であり、私の興味を引く存在となっていたのだ。…会話の止まった私と。自分一人だけが感じているであろう気まずさに耐えかね、しかしそのような気持ちを感じ取られないよう、平静を装って私は言った。

「当てて見せよう」
「何を?」
「君は誰かが傷付くことが嫌いなのだろう」
「…そうね、そうだわ」

 困ったように笑い、読んでいた本を閉じる。不躾とも言える私の言い方にも嫌な顔一つせず認めてしまった彼女に、逆にこちらが面食らってしまった。そして彼女は徐にぱらぱらと本をめくり、あるページで手を止めた。

「だから、誰かを好きになんてなりたくないのかも知れない」







 他者に冷たく見えて、実は誰よりも他人を大切にする。その裏にある、誰も傷付けたくないという気持ちは、優しくもあり悲しくもあった。人間というのは生きている以上、自分以外の誰かを傷付けずにはいられない生き物だ。もそれを分かっていたはず。その上でなお、彼女はあのような言葉を口にした。それは間違いなく、彼女の心の純粋さを表していたのだろう。人と関わりながら、人を大切にしながら、どこか一線を引いているように見えたのは、誰かを傷付けることが怖かったからなのだ。

 だから、は私が初めて彼女に好意を告げた時、酷く戸惑っていた。私を受け入れれば影で泣く者がいる、しかし私を拒絶すれば私が傷付くと。彼女は悩んだ結果、私の手を取った。自身の心の最奥に従ったのだ。が恐れていた通り、泣きながら訴えて来た女子生徒は何人もいたらしい。それをひた隠しにしたのもまた、彼女の残酷な優しさゆえ。

 の優しさは、間違えば私の心ひとつ潰すことなど簡単なのだ。それを思えば、はっきりと「迷惑だ」と言われたことは、まだ傷は浅いのかも知れない。

(私はそう簡単に諦める男ではない。もそれはよく知っているはずだ…)

 密やかに、足音も立てず彼女を追い掛ける。彼女が逃げるなら、捕まえるまでどこまでも追い掛けるだけ。しかしこれはゲームなどではない。私は今、本気でを欲しているのだ。彼女が意地でも逃げるなら、私も意地でも探すのみ。ただもう一度、この腕に彼女を抱きたい。その先に待っているのが最後の別れだとしても、終止符を打つことができなかったあの頃の私たちを終わらせるためには、もう一度彼女と対峙する必要がある、

 そう、本当は分かっているのだ。もう二度と彼女とはあの頃のような関係には戻れないことを。





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(2012/7/3)