自分だけのものにしたい。











『ルシウス』

 私を呼ぶの声が好きだった。私を見る彼女の目が好きだった。彼女にだけは自分を誤魔化かすことも作ることもできなかった。そして彼女だけが虚像ではない私を見てくれた。だから私はめいいっぱい、私のあらん限りの思いを彼女に注いだ。

 何が決め手だっただとか、何が気に入っただとか、それを言葉にするのは難しい。ただ、言うなれば偶然などではなく必然であったのだろう。そして、私の隣にがいて、いつも笑っている日々は、いつしか当たり前になっていた。そしてそれは卒業してからも変わらないものと思っていた。けれどどうやらそう思っていたのは私だけだったらしい。彼女の方がずっと現実を観ていたのだと、最後の日に思い知らされた。まさか、彼女の方から別れを告げられるだなんて誰が想像しただろう。

 ほどなくして、彼女は消えた。親しい友人や家族にすら何も言わず、忽然と姿を消したのだ。私はを探した。彼女に別れを告げられたことは、死を宣告されたも同じ。その時、初めて私はこんなにも一つのものに執着する自分を知ったのだ。入り込めば入り込むほど恋愛というのは面倒だということを私は知っている。それゆえ、これまで浅い関係しか保って来なかったというのに、だけはそう行かなかった。彼女にだけは、そんなことができなかったのだ。だからこそ、彼女に告げられた別れの言葉を今でも鮮明に覚えている。一切の表情を消しては言った。「これでさよならよ」と。

「私の好意は迷惑か?」
「当たり前でしょう…!」

 自分の将来のことなど見えていると思っていた。レールを引いたかのように用意された道を行く、それは自然なことなのだと。現実が見えているはずだったのに、そうでなかったらしい。私よりも彼女の方がよほど現実を見据えていたのだ。それゆえ卒業と共に別れを告げたのだろう。

(本来なら私がすべきことを彼女にさせたというのか)

 それを分かっていながら、の決意を踏みにじるようなことをする私は残酷以外の何物でもない。彼女もそんな私を許しはしないはず――――案の定、彼女は泣きそうな顔で私に平手打ちを喰らわせた。そういう気の強い所も気に入っていたのだ、こうなることは予想の範疇である。

「二ヶ月かかった!それが何よ!たった二カ月じゃない!」
「終わりが来ないかと思った」
「私は一年悩んだわ!未来永劫悩み続けなければならないかと思った…っ!」

 知っている。最後の一年、はどこか上の空でいることが多かった。すっかり彼女しか見えなくなっていた私がそれに気付かないはずがない。何か良からぬ気配を感じながら、その度に誤魔化すみたいに彼女を抱きしめたのだ。別れの予感などでは決してあって欲しくないという私の願望だったのかも知れない。わざと気付かないふりをしていることが、余計に彼女を追い詰めていたことも察しながら、どうか違って欲しいのだと。

 急速に熱を持った頬に触れ、自嘲気味に笑った。

「もう一度聞く。私の好意は迷惑か」
「……ええ」

 迷っている時に服の裾を掴むのはの癖だ。皺のできるほどブラウスの裾を握り締め、搾り出すような声で是と答える。強そうに見えて、実はそうではない。本当ならば今すぐにでも抱き締めて攫ってしまいたい。今度こそ彼女が擦り抜けて行かないよう、傍に置いておきたい。私だけのでいて欲しい。笑っているが何より好きだ、けれど他の人間にその笑顔を見せれば、嫉妬してしまう程に私は独占欲が強い。誰にも渡したくない唯一の人、それがなのだ。

 けれど、抱き締めた所でまた拒まれるに違いない。こんなにも思う相手に全身全霊で二度も拒まれてしまうのはさすがに堪える。だから、手を伸ばし髪に触れることさえ我慢をする。コートを翻しながら彼女に背を向けて、最後に一言残す。

「また明日来る」
「もう来ないで…っ」

 涙まじりに聞こえたの声。泣きたいのを必死に堪えているのだろう。姿くらましでその場を去るその瞬間まで、それでもまだを連れ去ってしまえる方法はないかと、そればかりを考えていた。





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(2012/4/19)