生まれながらに決められた人生。決められた道。親に言われたとおりにたくさんの習い事をし、ホグワーツ入学前からたくさんの勉強をして来た。期待に添いたい、ただその一心で。シリウスの家と並ぶスリザリンを多く輩出する純血の一族、家。その長女、は未来の死喰い人―――いつしか、洗脳されたかのようにヴォルデモートに傾倒するようになった両親は、私にそんな期待を抱くようにさえなっていた。

 けれどそれを初めて逸れたのはホグワーツに入学した時だ。私はシリウスと同じく、グリフィンドールに寮分けされた。それを聞いた両親は酷く絶望し、以来私は勘当されたも同然の扱いを受けている。私は一族の恥だと、いないものとして扱われている。当然、次の当主としての話など白紙だ。体裁というものもあり、学費や必要経費は出してくれているものの、卒業後に家に戻ることは許されないことだった。

 それを知るのは私とほぼ同じ境遇で幼馴染のシリウスくらいだ。彼には以前から度々相談に乗ってもらっていた。家のことや、それ以外のこと―――例えば、密かに恋をしているリーマスのことも。リーマスとは特にインパクトのある出会いをした訳ではない。むしろ、下級生の頃は意識したことすらなかったのだ。それが、恋だなんだと意識し始める学年になると例に漏れず私も恋をした。

 深い関わりなど何もなく三年、四年とホグワーツでの生活を送り、五年目の秋だっただろうか。図書館の本棚の高い場所にある本をとろうと必死で背伸びしていた所を、助けてくれたのがリーマスだった。目当ての本をいとも簡単に取り出し、私に手渡してくれた時の笑みを私は今も忘れられない。単純なものなのだ、恋なんて、














 ふと目が覚めると、また私は医務室にいた。呆れたような溜め息が横から聞こえ、そちらへ首を巡らせれば思った通りの人物、シリウスがいた。これで何度目か、彼に運ばれて来たらしい。

「それ、やめておけよ」
「それはできないわ」
家の慣習なんて魔法界の人間だったらおよそ知ってるだろ」
「…そうね」

 季節は夏。長袖のシャツは一番目のボタンまで閉めており、ローブを羽織り、首をストールできっちりと巻いている。また暑さにやられたのだ。ここまできちんと着込むのもちゃんとした理由がある。…家は十五歳を迎える冬に、体のどこかに家の紋章を刻む。私の場合は右の首から鎖骨にかけて家の紋章が刻まれているのだ。それを隠すためだけに、夏でもこのような格好をしている。そのせいでこの夏は何度もこうして脱水だ何だで医務室に運ばれている。

 今日も気分が悪くなり、涼しい場所を探してうろうろしていた。けれど途中でついに我慢できなくなってしまい、ストールと制服の襟元を緩め、人の寄りつかないような庭で一人休んでいたのだ。途中、誰かに名前を呼ばれたような気がするが、意識も朦朧としていたため確かではない。もしかしたら半分夢に足を突っ込んでいたのかも知れない。

 ゆっくりと起き上がり、まだ鈍痛の響くこめかみを押さえる。すると、ぬっと腕が伸びる。露の滴るガラスコップに注がれているのは冷たい水だった。お礼を言って受け取り、半分ほど一気に飲み干すと、乾燥した身体が潤いを取り戻して行くのを感じる。

「私が家の人間だって言うことも」
「違う、そういう意味じゃない」
「勘当同然の扱いを受けてる名ばかりの次期当主だって言うことも」
「聞け
「それでもこの首には家の紋章があることも」
!」

 家に帰って来るなと言いながら、私の首にはの首輪をはめる。何度も爪を立てたこの首には、赤い引っ掻き痕が絶えない。ひりひりと痛む首を押さえると、どくんどくんと脈打つのを感じた。この拍動一つでさえも、ずっとのものなのだろうか。これから先も家の所有物として生きなければならないのだろうか。一生を共に過ごす相手すら自分で選ぶことはできないのだろうか。自由に恋をすることも、誰かを思うことも。

「思うだけなら自由かも知れない」
「ああ」
「けど、彼は、リーマスはきっと嫌がるわ。思われることさえ」
「そんなやつじゃないことは俺やジェームズが一番よく知ってるだろ」
「…そう、だけど」

 実際は分からないではないか。信じたいけれど、事実、私が家から勘当されたも同然なのだと知り、離れて行った人間は何人もいた。近くに残ったのは極僅か。シリウスはいずれ家を出ると言っているけれど、私は同じことができるのだろうか。外聞も何もかもを捨て、自分の生きたいように生きることができるのだろうか。死喰い人となる未来を消し去り、普通の女の子のように自由に恋をし、自由に生きることが。当たり前のように周りのみんなが持っているものが私も欲しい。誰を好きになっても後ろめたさを抱かずに済めば、どんなに良いことだろう。

 何度も機会はあった。触れられるのではないかと思うことは何度もあった。図書館で転寝をしているのを見かけた時、授業で偶然隣の席になった時、時折包帯の巻かれている彼の手に、触れようと思えば触れることはできた。けれどそうすればきっと諦めがつかなくなる。だから必死で自分を引き止めた。触れては駄目なのだと。あの制服の袖から伸びる私よりずっと大きな手を、その温度を知ってしまえば戻れなくなる。

「リーマスは私が触れて良い人じゃない。私とは違ってとても心がきれいだわ。私は心も身体も汚れてる」
の紋章なんか関係ないだろ。だ」
「シリウス、これがある限り私はどこへも行けないの」

 まるで放し飼い。最早、の家は私を娘として扱っていない。ただ利用するだけの都合のいい駒だ。家を出るだなんて、家の言う通りにしないなんて、そんなことをしたらその先、私を待つのは勘当などでは済まない。未来も全て握られている私に残されている希望なんてほんの僅かなのだ。リーマスが数少ないその内の一つだった。

 視線が合えば柔らかく微笑むリーマス、ただそれだけで私の胸は呼吸が上手く出来なくなるほど締めつけられる感覚に陥る。それなのに、もし触れてしまえば。大きな手のその先にある手首は。私にも笑い掛けてくれるあの頬は。もし、もしもあの背中に抱きついたとすれば、彼はどんな温度を持っているのだろう。

「でもね、それでも私はリーマスが好きだわ。分かっているのに」
「触れたいか?」
「ずっと願ってる。きっとこれからも」

 卒業すればもう本当に自由なんてなくなる。だから今はできるだけリーマスと関わりたい。触れることが叶わなくても、彼の視界に入りたい。彼に笑い掛けられたい。彼に声を掛けられたい。それで心を満たして行くしかないのだ。リーマスを好きなのだと自覚すればするほど空虚を覚えて行く心。それを埋めるために、果たして本当にそれだけで足りるのか私にも分からない。リーマスに触れたいと思う気持ちは日に日に大きくなって行くと言うのに、最後の最後で触れられない。

 優しいリーマス。家から見放されているにも拘らず家の紋章を彫り、心ない噂が広まった時にも、リーマスは決してその話題には触れずいつも通りに接してくれた。真夏にもストールを巻き、制服をきっちり着込んでいた時も、何も聞かずにいてくれた。彼だけだった、少しも変わらず私に接してくれたのは彼だけだったのだ。大丈夫かと聞かれることすら億劫で隠れていた私に、「夕飯がなくなってしまうよ」と何でもないことのように声をかけてくれたのはリーマスだけだった。

 あの時、泣いてしまった。リーマスが余りにも優しいから、泣いてしまった。何が悲しい訳でも、苦しい訳でもない、ただ儘ならない現実を前にどうしようもない絶望を見てしまい、言葉にならない気持ちが溢れた。突然泣き出した私にさえ、何も聞かず傍にいてくれた。私に触れることなく、ただずっと、隣に座って私が泣きやむまで待っていてくれた。私の好きなあの優しい笑みをその顔に湛えながら。

「…似たもの同士だろ」
「え?」
「いや、何でもねぇよ。ただ、触れたいなら触れれば良いだろ。そこで分かることもあるんじゃないのか?」

 そうして分かってしまうことが怖いのだと、それ以上は言うことができなかった。そのつもりはないのだろうけど、シリウスの言葉はささやかな誘惑。その言葉に従ってリーマスに触れてしまったら、私はきっと彼の温度を忘れることができない。そうして、もう二度と触れることのない彼の手を思い出しながら生きて行くのかと思うと、触れても居ないと言うのにそれは果てのない拷問のようだと、真っ暗な未来を想像した。





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(2012/3/15)