助けるつもりで入ったわけじゃなかった。止めなきゃ、というのは既に本能的な部分で、反射のようになっていたから。きっと、助けることになる相手が誰だろうと、私は腕くらい差し出していた。 私が屯所の中を割と自由に動けるのは夜間、しかも真夜中くらいしかない。それでもずっと軟禁されているよりはましだ。そうして今日もふらっと歩き回っていると、白髪に赤い目をした異形の者が、刀を手に一つの部屋へ入って行くのが見えた。どうやら正気は失っている。またか、と思いながら私もその部屋へ飛び込んでみると、部屋の主はユキムラだった。 「あーあ、いい子は寝てなきゃダメだよ?か弱い子を襲ったりなんかせずにさぁ…」 「あ…なた…この間の……っ」 「わあ、覚えててくれて嬉しいなァ。ケガない?」 この組織じゃラセツが手に負えなくなって来ているのは明らかだった。これで何度目の脱走なんだか、私はいつものように、ラセツとラセツの狙った獲物の間に入り、自分の腕をくれてやる。するとたちまち固まるラセツ。背中では助けた相手が息を呑むのが分かった。 助けた相手というのもユキムラだ。先日廊下で一度だけすれ違ったヒジカタさんの小姓。えらく可愛らしいその子は、どう見たって女の子だとわかる。腕を引き抜いて振り返ると、私の腕を見て青ざめた。流血沙汰にはどうやら慣れていないらしい。 「う、腕…っ!」 「ん?慣れてるから平気だよ。アナタこそ大丈夫?」 「あ、はい、あの…ありがとう、ございます…?」 私とラセツの間に何があるのか理解していないようだ。けれどこの落ち着きよう、どうやら彼女もラセツの存在自体は知っている様子。しかしユキムラは幹部でなければ隊士でもない。…とすると、ラセツ絡みで保護なり何なりされていると言った所か。そうでなければわざわざ年頃の女の子が男の子の振りしてこんな所にいないだろう。まあ、恐らく私よりは扱いも良いだろうけど。 ところで、ラセツが一人逃げ出したというのに誰もやって来ない。 「おかしいな、誰も来ないねぇ。…ああ、腰抜けてンならワタシが誰か呼んで、…っ」 「きゃ…!」 彼女が小さな悲鳴を上げたのと、私の身体が傾いだのはほぼ同時。ぐらりと視界が歪んで思わずその場に膝をつく。頭の奥でがんがんと重く鐘が鳴り響くような感覚に、顔を歪めずにはいられない。 そんな私にユキムラが駆け寄ると、触れて良いものかどうか一瞬の迷いを見せた後、恐る恐る背中に手の平が触れた。躊躇いがちに「大丈夫ですか」と言われたけれど、答えられそうにない。座り込んでいても襲って来る目眩と嘔気に冷汗は止まない。荒い呼吸を繰り返す中、とうとう私はその場に倒れ込んでしまった。 「お姉さん!お姉さんしっかりして下さい!」 「どうした雪……、あんた…っ」 ユキムラの叫び声に気付いたらしく、現れたのは幸か不幸かハジメだった。私の姿を見るなり駆け寄り、少々乱暴に横抱きにされる。そこには一切の遠慮も配慮もなく、急いでいるのは分かるけれど、その振動が身体に響いた。瞬間、ラセツに噛ませた腕からだらだらと血が流れて落ちる。それを見てもまたハジメは怒ったように私を見た。 「また使ったのか」 「じゃなきゃやられてた。ワタシじゃない、その子が」 「だとしてもだ」 「干渉しないでよ」 「干渉ではない。ここにいる限りはここのやり方に従って、」 「あっあの、斎藤さん!とにかく止血を…!」 口論が続きそうな雰囲気を汲み取り、ユキムラが介入する。するとハジメも押し黙り、私を別室へと運び出す。 途中、水で傷口を流したが、思ったよりも傷は浅い。それほど痛みも感じない。慣れているからだろうか、と思った。同じ痛みを何度も繰り返せばやがて麻痺して来る。それと同じだ。違うのは私が倒れたことくらい。血が止まりにくいのは仕方がない。 そうしてされるがままハジメの部屋に辿り着く。私の部屋の方が遠いからだろう。 「血が止まりにくいのは問題だ。もう使うな」 「でもコレがなかったらワタシは自分を守れない」 「多少腕が立つのを俺が知らないとでも思ったか。何故血を使いたがる」 「血…?」 聞こえた呟きに、そちらへ首を巡らせれば、彼女は「しまった」とでも言いたそうに手で口を抑えていた。…まあ、聞かれて困る話でもない。私はにっこりと笑いかけて、手招きする意味で入口に突っ立っている彼女にひらひらと手を振った。部屋主であるハジメを気にしてか躊躇っていたが、「失礼します」と小さく断って入って来た。 「雪村、悪いがこいつの手当てを頼む。俺は副長にこのことを報告して来なければならん」 「わ、分かりました!」 私たちを残して部屋を出て行くハジメ。私だけだったらこんなことはしないだろうに、余程この子には気を許していると見える。それもそうか、と人知れず目を細めた。私のようにともすれば寝返るかも知れない、なんて危険な感じは微塵にもしない。私の腕に綺麗に包帯を巻いていく綺麗な手を見ながらそんなことを思う。 魔女になったことは、最初こそ喜んだ。けれど、ある日を境に魔女になったことを後悔しない日はない。今もまた、綺麗なこの子を前に私の中で黒い感情が渦巻いていく。羨ましい、と頭の中で私の分身が叫ぶ。 「ねぇ、ところで名前なあに?」 「千鶴です。雪村千鶴」 「チヅルか。良いねぇ、可愛い名前だよ」 「あの……」 「あ、大丈夫。お互い訳ありみたいだしねぇ」 言うと、ほっとしたのか小さく笑顔を見せた。純真無垢なその表情に、ギリギリと気持ちが軋む。自分とはまるで正反対だ。この子が悪い訳じゃない。悪いのはあの日の私。魔女になることを選んだ私なのだ。だから、この子を羨ましく思うのも、何もかも勝手な話で、この子にしてみれば良い迷惑でしかない。 「チヅル、ワタシならもう良いから部屋に戻って?」 「え?でも…」 「もう血も止まったし。ね、早く寝ないとチヅルも明日辛いでしょ?」 これ以上、この子といたくない。それが私の本音。 「それか、ワタシが部屋に戻る」 「だっ、駄目です!怪我が…!」 「ハジメと顔を合わせたくないの」 「そ…っ」 「最近見ないと思えばそれが理由か」 何か言いかけたチヅルを、戻って来たハジメが遮った。そして何も言わないまま私の前まで来ると、包帯の綺麗に巻かれた方の手首を引いて私を立ち上がらせる。走った痛みに思わず顔を歪めると、ハジメは短く溜め息をついた。その手は離さないまま部屋の外へ、そして何を思ったか屯所をも飛び出す。何度制止の声をかけようと、全て無視。男女の力の差に勝てるはずもなく、引きずられるようにして連れて来られたのは、私がハジメと最初に出会った場所だった。 (2010/06/08) ← ◇ → |