「酷い顔」 「そうでしょ」 魔女は自嘲した。 あれだけ一君に張り付いて仕方なかった彼女が、一人でふらふらするようになったのはここ二、三日のことだ。何があったか知らないけど、彼女に興味を持っている僕からすれば、この子に近付く絶好の機会というわけだ。今日はまたぼんやり部屋の中で閉じ篭っている彼女は、けれど僕の方を見ようとしない。 「血が、止まらないの」 「見たところ怪我なんてしてないみたいだけど」 「そうだね、ワタシの間違いだわ」 「感傷に浸るなんて君らしくないね」 「そうかも」 小窓の淵に肘をついて、無表情に外を見つめる。天気もよく抜けそうなほど空の青い日だと言うのに、この部屋の中は曇天のように空気が重い。 きっと一君と何かあったのだろう。一君はいつもどおりだけど、彼女のこんな様子を見れば、二人の間に何かあったのは火を見るよりも明らか。彼女をここまでさせる存在があることは、僕に嫉妬心を抱かせるには十分だった。正直にそんなことを言えば彼女には「馬鹿じゃないの」と一蹴されそうだから言わないけど。 僕は一向にこっちを向かない彼女に近付き、腰を下ろすとゆっくり後ろから抱き寄せた。 「慰めてくれてンの?」 「僕がそんな優しい奴じゃないことは君が一番よく知ってると思うんだけど」 「じゃ、なあに?」 「傷心らしい君に付け込もうとしてる」 「ふふ、ソウジらしいねぇ…」 弱々しく笑う。それが余りに痛々しくて、抱き寄せる腕の力を強めた。 「ほだされそう」 「嘘だね」 「付け込む気でも、ワタシにとって今のソウジは優しく感じる」 「じゃあもっと付け込もうかな」 「へぇ、どうやって?」 腕の中でごそごそと動いて、金色の髪を持つ魔女は僕と向かい合う。僕の腕に手を這わせると、小首を傾げて問うた。その顔にはいつもの笑みはなく、表情すらない。 僕は一君ほど彼女と過ごした時間がある訳ではない。新選組に害を為すなら、殺してしまえば良いと今でも思う。けどそれとは違う意味で、同じくらい彼女を欲しいと思うし、自分が壊してやりたいと思う。彼女が一君に最期を頼んだ瞬間、すぐにでも僕が攫って壊してやりたかった。殺す訳じゃない、もっとそれよりも醜悪で激烈な、私欲のためにだ。 「こうやって」 いつもは緩く結わえている髪が、今日は抵抗なく流れる。その髪に指を通しながら、彼女の赤い唇を塞いだ。その赤をなんと例えようか。紅葉よりも、彼岸花よりも鮮やかな赤。ああそうだ、それは血の色に似ている。一度だけ見たことのある彼女の中に流れる血、それと同じに赤い。 深く深く口付けても抵抗一つしない彼女。舌を絡ませ追随しても、くぐもった声を喉の奥から漏らしながら、寧ろ応えようと必死になっているようだった。ぎゅっと袖を掴んで来る手を握って、ゆっくりと畳の上に華奢な身体を横たえる。ぼうっとした潤んだ瞳で真っ直ぐ見上げてくる彼女に、どうしようもなく惹きつけられて止まない。再度唇を押し付け、呼吸を塞いだ。角度を変え、確かめるように何度も繰り返す行為に、何故か先に手を出した僕の方が目眩を覚える。 「素敵ね」 「そうでしょう」 「ねぇ、でもこれは遊び?本気?」 「遊びに見えるなら魔女の目は節穴だね」 「そうかもね」 「本気は嫌?」 「ワタシが本気じゃないこと、ソウジがイヤでしょ?」 年下の癖に、本当に嫌なことばかり言う子だなあ。そんなこと聞かなくても分かっているはずなのに、わざわざ僕に言わせる気? 髪を除けて露出した耳に舌を這わせると、びくりと彼女の肩が跳ねる。表情を窺ってみれば、眉根を寄せて何かに堪えるように下唇を噛んでいた。そんな可愛らしい反応をしてくれた彼女の額に口付けて、白い首筋を覆うように触れた。 「そんな顔、一君にもしたの?」 「何でハジメが出て来るのよ」 「僕に押し倒されながら、君は一君のことを考えてる」 「思い込みだね」 「あれ、結構当たってると思うんだけど」 一君にはどこまで許した?どんな話をして、どんな顔を見せた?どこに触れさせて、何を思った? 醜いことは分かっている。それでも僕は、目の前で弱っている彼女を慰めてやるほど出来た人間じゃない。もしかすれば今なら、なんて考えている。慰めるよりも無理矢理振り向かせる方法ばかりを考えているのだ。多分、彼女だってそんな僕の考えは見抜いているのだろう。欲したがままに唇を奪って、今またそれ以上を彼女に求めようとしている。 「やめておいた方が良いよ」 「今更だね。どうして?」 「ソウジが後悔する。今ワタシを抱いたとして、きっとソウジが後悔するよ」 「君が逃げたい口実じゃないの?」 「お願い、分かって」 年下の癖に。 二度目、そう思った。諭すように「分かって」なんて、君にそう言われたら退くしかないことくらい、きっと分かっているだろうに、本当に狡い子だ。 仕方なく体を離すと、彼女もゆっくりと起き上がる。手櫛で乱れた髪を直す彼女に、三度目の口づけをする。それが最後だ。ようやく驚いた表情をしてくれた彼女に満足感を覚え、今度は正面から抱きしめる。 「ソウジ、」 「でも出て行くとは言ってない。もう少し付け込む隙を見極めることにするよ」 それはこの場に留まるための下手な口実。困ったように彼女も息を吐き出すと、そのまま僕に体を預けた。 「休んで良いよ。疲れたんだよね」 (2010/5/30) ← ◇ → |