ぼんやりとした意識の中を漂う。先程まで一体何を考えていたのだったか、それすらもおぼろげだ。ただ、誰かが懸命に俺の名を呼んでいるような、俺もまた誰かを探しているような、そんな気がした。けれどそれは現実味を帯びず、瞼がやけに重い。このまま眠ってしまいたい。けれどしきりに俺を呼ぶ声は、確実に近付いて来ており、俺が放っておいてくれと思えば思うほど、現実感を増す。そしてとうとう、もやのかかったようだった遠い声が、すぐ耳元で聞こえた。 「ハジメ、ハジメ、目ぇ開けて」 ――なんだ、あんたか。 「失礼だなあ、がっかりした?私で。迎えに来たんだけど」 ――いや、待ちくたびれたくらいだ。一体何年俺を待たせたと思っている。 「えー…数えるのもメンドクサイ」 ――そういう所は変わってないな。 「変わって欲しかった?」 ――いや…安心している。 「じゃ、いいよね。行こっか……って、どこへ行くか知ってる?」 ――知っているはずがないだろう。 「その呆れ顔も久しぶりねぇ!…ワタシたちが行くのは、決して天国じゃないよ。ただの地獄」 ――覚悟はできている。 「そう?まあ、ハジメも死線越えて来た人だしねぇ…」 ――あんたは、ずっと待っていてくれたのか。俺が来るのを。 「…待ってたよ。ハジメに会いたくて会いたくて、でも待ってた。ずっと見てたんだよ、ハジメを」 ――そうか。 「ねえ、ハジメ」 ――なんだ。 「ワタシ、もう魔女じゃないの」 ――人間に、戻れたのか? 「うん。だからね、知っておいて欲しいことが一つだけあるんだ」 ――知っておいて欲しいこと? 「ワタシの名前。本当はずっと、ハジメに名前を呼んで欲しかった。出会ってから、ずっとずっとずっと」 ――俺も本当は知りたかった。あんたを名前で呼びたかった。…あんたの名前を教えてくれ。 「…だよ。ワタシのお父様とお母様が唯一ワタシに残してくれたもの」 ――、か。 「もう一回呼んで」 ――…。 「もう一回」 ――。 「もう一回」 ――いい加減にしろ、。 「…だって、嬉しくて…っ」 ――は案外、泣き虫だな。 「ふふ、知らなかった…?」 ――そんな予感はしていた。…だが、俺はこれからもっと知って行くのだろう、これまで知らなかったのことを。 「そうだね。…じゃあ、行こうか。でも本当にいいの?ワタシと来たら、ヒジカタさんやソウジ、チヅルたちにはもう会えないよ?」 ――土方さんたちとは、生きている間に十分共に生きた。これからの俺の時間は、全部のものだ。 「…ありがとう。それと、ねえ」 ――まだ何かあるのか? 「ハジメは幸せだった?」 ――あんたの…のお陰だ。最期の最期まで俺はひとりではなかった。あんたが願ってくれたから、俺は幸せだった。 「うん……そっか」 だからもう泣くな、と言うと、ようやく俺は彼女に触れる。ずっと忘れるはずのなかった温度が、今ようやくここにある。包むように両手で彼女顔を包むと、涙でぐしゃぐしゃの顔は笑顔を見せた。まだどこか片言で呼ぶ俺の名前も、月の色をした髪も、海を映したような色をした目も、何もかもが懐かしい。 ようやく出会えたんだ、もう二度と離しはしない。そう伝えて、唇をそっと重ねる。離れたその時の笑みも、これからはずっと隣で見て行くことができる。そしてそれは、彼女と離れてからずっと願っていた心からの笑顔だった。今度は俺が、彼女の幸せを叶える番だ。 |