「へぇ…綺麗なものなんだねぇ…」 ため息をつきながら彼女はぽつりとこぼした。だが何をどう見れば綺麗という感想が出るのかが不可解だ。彼女の目には好奇やら興味やら、子どもの浮かべるような色の表情が浮かんでいる。そんな彼女の感想に「そうだろうねぇ」と呑気に返すのは総司だ。 「達人級のイアイだっけ?どンなものかと思えば、へぇー…」 「でも君、正直何が起こっているか分かってないよね」 「うん。だって剣術とか全然知らないもの」 「なら、見ていても何の意味もないだろう」 彼女とは違う意味でため息をつきながら、刀を納める。 ある日、何を思ったのか彼女が突然見たいと言い出したのは居合いだった。見せ物ではないと何度も言ったのだが、それ以上にしつこく強請られ、どう追い払おうかと悩んでいた所、総司が現れた。この二人が組むと厄介なのは分かり切ったことで、結局二人の押しに負けて総司が相手をすることになった、というわけだ。 恐らく小さな子どもの好奇心と同じだ。異国の人間である彼女がこの国の剣術のことなど知るはずもなく、ただ単に見てみたいと言っただけだろう。 「ありがとうございます、参考になりました」 「参考?」 「ええ。どうせ死ぬなら上手に殺してくれる人がいいでしょう?」 「…なんの話だ」 「いやだなあ、もしもの話ですよ」 けらけら笑って足元に落ちている尖った小石を一つ、拾い上げる。それを日にかざして目を細めた。ただの小石にしか見えないそれを、彼女は次の瞬間、力いっぱいぐっと握った。何を、と思わず目を瞠る。ぱっと離せば当然小石は再び地面に落ちるが、それと一緒に彼女の掌からぼたぼたと血が落ちた。 「こんな風に汚い死に方は嫌ってことです。あと痛いのも」 「へえ、魔女って割には普通の体なんだね」 「ま、魔女にしてはちょっと特別なんですけど。傷が一瞬で治るとでも思ったんですか?」 「本当に血の毒だけなんだね」 「そういうわけです」 時折彼女はこんな風に自分を軽く扱う。初めて見た時もそうだ。わざわざ自分の腕を傷付けて相手に血を飲ませていた。そしてここへ来て幹部に尋問された時も、同じように腕を切って見せた。「飲みたい人はいませんか」と、笑いながら言ったのだ。結局その場では誰も彼女の血を口にしようなど馬鹿なことはしなかったが、俺が現場を見たということで彼女の話の信憑性が高まり、彼女は生かされることになった。重要な情報を握っているであろうことも考慮して。 総司と不毛な皮肉の言い合いを続ける彼女の手からは、まだ血が流れている。かなり強く握ったのか、傷も深いようだ。俺は首巻きの端を破り、止血のためにと彼女の手のひらに巻いた。 「ハジメ?」 「もっと自分を大事にしろ」 「別にこれくらい、いつもほどじゃないけどねぇ」 「なら、それもやめろ」 「言われなくても、ここにいる限りさせてくれないじゃない」 「当たり前だ」 ぎゅっと縛ると、少しきつくし過ぎたのか、彼女が顔を歪ませる。けれどそれくらいの方がいい。どうも見ている限り、目の前の女は血が止まりにくい気がする。 「怖くないんですか?」 「何がだ」 「ワタシの血に触ったりしたら死ぬかもよ?」 「口にしなければ大丈夫だ」 「それだって嘘かも」 「あんたは嘘をつくのが下手だ」 「ハジメは心配するのがヘタだね」 傷付けたのとは反対の手で、俺よりも背の低い彼女はめいいっぱい手を伸ばして乱暴に頭を撫でられる。…本当にこの女の行動は不可解だ。 少々強くその手を払いのけたが、まだ面白そうに口の端を持ち上げて笑う。どこか癪に障る笑い方をする。性格的にはどうも総司と気が合うらしいが、総司は総司で隙があれば斬ろうとしているだろうし、彼女も彼女で挑発するような言い方をすることが多々ある。仲が良い、というよりは同族嫌悪を含んでいるようにも思える。似ている分、反発し合うのだろうか。それでも合う部分は合うようで、会話も俺との時のように噛み合わないことはない。 「ソウジは優しくするのがドヘタだよね」 「血を飲ませてみようと寝込みを襲って来る君に言われたくないなあ」 「あれは冗談だよ、ソウジなら分かってくれると思ったんだけどねぇ」 「君の冗談は冗談に思えないね」 どっちもどっちだろう。付き合いきれないと思い、二人を置いてその場を去ろうとすると、慌てて追いかけて来る足音が一つ。それとほぼ同時に、袖を引っ張られる。 「置いてくなんてヒドイよねぇ」 「あんたの子守りをしている暇はない」 「とかなんとか言っちゃって、ヒバンはお仕事しないって聞いたよ?」 「…総司か」 「あ、でもハジメは休日も部屋に籠ってお仕事してるんだっけ?ゴメンねぇ…」 「…いや、もういい」 構って欲しいとでも言いたげな顔をされ、部屋に戻る気など失せてしまった。 彼女の存在は幹部以外知らない。なのであまり敷地内も歩きまわれず、動ける範囲は決められている。暇を持て余してしまう気も分からないでもない。彼女のとる一日の行動と言えば、部屋に籠るか、隊士も殆ど現れないこの裏庭か、幹部の誰かの部屋に居座ることだ。監視にもなるし丁度いい、と土方さんは言ったが、彼女が部屋にでも来た日には仕事が一切できなくなる。 「そ?…じゃ、ちょっとだけさっきの話の続きでもしよっか」 「何の話だ」 「もし、ワタシが変になっちゃったらハジメが斬ってね」 「……………」 「言ったよね、ワタシ、魔女の中でも特殊なんだって。ワタシはねぇ、罪を犯して魔女になったんだよ」 何でもないことのように言ってのけ、しゃがみ込む。そして目の前にある小さな池に指先を浸した。そこから水面に輪が広がって行き、やがて消えた。元の静けさを取り戻す池に、けれど次は小石を沈め、また池は波打つ。その行動の真意は、探ろうとすればするほど分からなくなる。そうしてしばらくそれを続けた。意味のないようなことばかりを繰り返すのは何もこれが初めてではない。周りから見れば意味のないことでも、何か本人には意図あってのことかと思ったが、「なんでもない」の一言で片づける彼女には、なかなか踏み込めないでいた。 やがて気が済んだのか、再び立ち上がると、ぐらりとその体が傾ぐ。慌てて肩を支えて倒れるのを防いだが、覗き込んだ彼女の顔は、見たこともないほどの無表情。 「ワタシのお父様は武士ってやつで、お母様がこの国で言うイジンだった」 「…殺されたのか」 「それはもう、ヒドイ殺され方だったよ?だからワタシ、多少の死体見ても動じないでしょう?」 「…………」 「ワタシはそいつらに復讐してやりたくて、祖国でいろんな人に聞いて回った。ワタシみたいな何の力もない女が、お父様とお母様に与えたのと同等の苦しみを与えるにはどうすればいいか、てね」 「それで手に入れたのが魔女の力か」 そうだよ、と言ってようやく彼女はへらっと笑った。いつもの癪に障る笑い方だ。首をもたげて俺に寄りかかると、またぽつりとこぼした。「大事な人を十人殺した」と。彼女が最後に辿りついたのが魔女の血を引く女の元で、言われるがままに友人、肉親、師など十人を殺し、そして彼女の得たものが魔女の血だったのだという。 「でも所詮、元はただの人間。本物には敵わない」 「どういうことだ」 「ま、ワタシもラセツみたいなものってことだね。本物の鬼にはどうしたって勝てないもの」 「それが羅刹狩りの理由か」 「さすが察しがいいねぇ。本物に殺される、なんて力の差を知る惨めなことになるくらいなら、せめて同じニセモノが殺してあげた方が救われる気がしない?」 その言葉に返事をすることはできなかった。いつもと同じように笑っているというのに、声音は酷く冷たく、何かを嘲笑っているようだ。いや、自嘲なのかも知れない。 憶測だが、彼女は魔女となったことを悔いているのではないだろうか。この国では生きにくくとも、祖国へ戻れば平穏な暮らしだって或いはあったかも知れない。母親の肉親はいたと言っており、友人も、恩師も、と言った。それなら彼らを頼っても良かったのではないだろうか。それ以上に彼女の内を憎悪が占めたということは、きっと彼女自身が周りの人間の存在に気付くのが遅かったのだ。今の彼女を見ていると、魔女になったことも、周りの人間を殺したことも、悔いているようにしか思えない。 羅刹狩りをしていたのは、羅刹となった彼らのためではない。きっと彼女自身のためだ。そまた誰かを殺すことでどんどん罪を重ねている。そうして自分に逃げ場をなくし、いつか一人で果てる気だ。寄りかかる場所も止まり木も作らず、行く先々で誰かを殺し、罪に塗れる。そうしなければ、彼女自身が大事な人たちを殺してまで魔女の血を手に入れた意味がなくなってしまう。 殺しながら、自分の罪に意味を探す。 「ワタシはどうせロクな死に方しないだろうねぇ。でも、もしそれでも駆けつけた時にまだ息があったら、最後はハジメがワタシを斬ってよ」 「そういう類の頼みは受けられん」 「えー、出し惜しみだなあ」 「そういう訳ではない」 「だって、ハジメのイアイは綺麗だったんだもの」 小さく笑って、彼女の肩を支える俺の手に、自身の手を重ねる。驚くほど冷たい指先が触れると、彼女は首を回して俺の顔を振り向いた。その表情は、全てを悟ったようなに、そしてこの先を見透かすように静かだ。 「ワガママだけど、最期くらいは綺麗なものを目に映したいって思ったんだよ」 彼女の右手に巻いた布は、もう真っ赤に染まっている。その赤が、彼女の行く末を示しているような気がしてならい。その日までに、彼女は自分の負った罪の意味を見つけることはできるのだろうか。無駄なものはないというのなら殺すことにも何か意味はあるのだろうか。…いや、なんて滑稽な疑問だろうか。当たり前のように人を斬って生きているというのに、そこに意味を見出すなど。 きっと、彼女と俺とは近いようで果てしなく遠いのだ。 (2010/5/5) ← ◇ → |