「離せ!離せシラヌイ!!」 「今こいつを殺しても計画自体は止められねぇんだよ!冷静に考えろ魔女!」 「冷静になんか…っ!」 私の代わりにアマギリがコウドウを捕らえる。それでも尚、コウドウを殺そうと掴み掛りかねない、いや、掴み掛ろうとしている私をシラヌイに止められる。最早、目の前の人物は、両親を殺したハジメよりも憎い存在だった。 思えば私は、両親を殺されてからというもの、ずっと誰かを殺すために生きて来た。最初は両親の仇を、次は羅刹を、そして今は目の前の男。それは新選組の彼らよりも悪であることは明らかだ。彼らは各々の信念だとか、大義だとか、何かを背負ってやっている。人を殺すことに変わりはないと言われればそれまでだが、私怨に塗れた私とは何もかもが違った。 きっと、それもあったのかも知れない。ハジメが両親の仇だと知られたくなかった理由は。ハジメが私情で誰かを斬るとは思えない。任務だったのだとすれば、命を下した人物がいる。その人物こそが本来の仇であって、ハジメは任務を全うしたに過ぎない。じゃあハジメに憎悪を抱かないかと言われればそれはまた別だが、任務で両親を殺したハジメと私怨でハジメを殺そうとする私では、確実に違った。ハジメだけを恨むのは違う気がしたのだ。 「殺してやる…二度とこの世に舞い戻って来れぬよう、私が地獄に落としてやるわ!」 「面白い!これまで散々羅刹狩りをして来た貴女が私を裁くと言うのですか!」 「羅刹を生み出しておきながら楽に死ねると思うな!魔女の血の味を冥土の土産にしてくれる…!」 「ほお…それは楽しみですな…!」 先程の戦闘の疲れがもう出て来ており、更にシラヌイの腕を掴む力が強いため、これ以上動けそうにない。コウドウはアマギリに捕縛され、カザマも共に茂みの向こうへ消えた。その瞬間、一気に全身の力が抜けてその場に膝をつく。だから言っただろうが、と呆れたシラヌイの声が頭上から降って来た。そうだったわね、と自嘲気味に返すと、今度はあからさまな溜め息をつかれてしまった。 「チヅル、血」 「え…?」 「そこまで発作が出てたらもう薬は効かない。アナタの血をあげる方が早い」 「は、はい…っ」 二人の方を振り向かなかったのはわざとだ。露呈した事実と、醜い姿を晒しておいて、振り向くだけの勇気がなかった。本当は声をかけるべきかどうかも迷ったけれど、あれではハジメがもっと苦しむだけ。血を飲むなんてしたくないだろうけど、苦痛を長く感じているよりはましなはずだ。 そう思っていても、実際ハジメが他の女の血を飲む所なんて見たくもない。だからと言って私の毒された血を与える訳にもいかない。私はシラヌイに手を借りて立ち上がり、すぐにその場を去ろうとした。これ以上ここに長居したって、話すことだってないのだから。けれど、「待て」という声が後ろからかかる。…思わず足を止めてしまった。 「あんたに、聞きたいことがある」 「ワタシはない」 「ま、魔女さん!私からもお願いします!」 ずきん、と胸が痛む。屯所を出た夜、私は全て終わらせたつもりだった。ソウジとも、ヒジカタさんとも、チヅルとも、ハジメとも。二度と会うつもりはなかったし、話すつもりもなかった。けれど今回はそれ以上に、ハジメに命の危機があったから飛び出してしまっただけ。そして今度こそ、死んでも関わるつもりはなかった。 それなのに、私の決意の弱さと来たら、嫌になる。 「…発作が治まる頃に来る」 引き留められた声を振り払うことができなかった。けれどそんな私にシラヌイは驚きもしなければ止めもしない。ただ黙って一旦その場を後にする私について来てくれたのだった。そして声や物音も聞えないだろい所にまで移動して来ると、「ひやひやした」とシラヌイはまた大きな溜め息をついた。どうやら私は彼の頭痛の種らしい。 「あはは、ごめんごめん」 「笑い事じゃねぇよ。帰ったら風間の機嫌取りどうすんだ、お前」 「まあ、適当に…」 「計画性もないと来た」 カザマとアマギリはどこかへ消えたけれど、その後どこで落ち合うかは決まっているらしく、シラヌイに焦る様子は見られなかった。もっと怒られるかと思ったがそうでもないらしい。見てくれは物騒でも、意外と柔軟な奴だと思う。だからか、この三人に捕まってからも無茶をしたり、計画にないようなことをしでかしたりしたことがあったが、特にお咎めはなかった。この三人は何かの組織でなければ、厳格な規則はないため、動きやすさに関して言えば新選組にいた頃とは比べ物にならない。 疲れた、と言って座り込むと、彼も適当にその辺に腰を落ち着ける。緑の生い茂った中に座ると、つん、と草の匂いが鼻をついた。膝に顔を埋めると今にも眠ってしまいそうだ。羅刹狩りを一人でしていた頃は、長く野宿をしたこともあるから、こういう環境には慣れている。むしろ懐かしいと思うほどだ。だからか、私はどこでも簡単に寝付いてしまう。けれど、なぜか今眠ってしまえばもう起きられないような気がした。恐らく久しぶりに激しい戦いをして疲れが大きいからだ。まだそこまで命の危機を感じることはないし、きっと私の死に際なんて、もっと人に見せられないほど酷く苦しみ、醜くのたうち回るのだろう。魔女の終わりはそのように碌でもないものだと、既に契約時に聞いている。 「斎藤を殺すのか?」 唐突なその問いに、私は一瞬呼吸を忘れる。そうだ、私はこれまで羅刹とあれば構わずこの血で以て殺して来た。芽は若い内に摘んでおく方がいいと、暴走しているいないに拘らず、隊務中の新撰組の羅刹を殺したことだって何度もある。ハジメだって、今や羅刹だ。今後いつ暴走し、人間を襲うかは分からない。それなら殺さなければならない、私はこれまでの私に従って、ハジメを殺さなければならない。…それとも、私はハジメだけを見逃すというのだろうか。 「…分からない」 今はそんなこと考えられない。でも決断しないといけないのだ。だって、もうあと少しもすればさっきの場所へ戻り、ハジメとまた向き合わなければならないのだから。 いろいろな思いが交錯する。どう説明すれば――けれどきっと何を言った所でどれも言い訳にしかならない。隠していたのか、と言われれば隠していたのだし、ではなぜ、と言われれば身勝手な言い訳しかない。理由なんて言っていいものじゃない、ただの良い訳だ。ハジメを傷付けないため、と言いながら、結局は自分のためだった。羅刹狩りを忘れそうになるほど、魔女である意味を放棄しそうになるほどに、私がハジメの近くにいたかった。 「でも、一緒にはいられないから」 「…そうだな」 じゃあ言って来るね、と言ってシラヌイに背を向ける。彼は「急がねえからゆっくり話して来いよ」と言ってくれたけど、ゆっくり話せば話すほどに傷が深くなりそうで嫌だった。 そうだ、いつだって私は自分が可愛かった。魔女だ何だって言いながら、私はいつだって臆病な卑怯者だ。冷酷さを盾に、本当は傷付きたくないだけの弱者。だって、きっと強かったらこんなにもハジメの前に出ることに躊躇しない。私の仇はアナタです、なんて簡単に言えただろう。そもそも、こんなにも想ってしまう前に屯所を脱走していたはずだ。全ては自分の気持ちを優先したが故に招いた結果、自業自得でしかない。 ガサガサと葉の擦れ合う音と共に、私は二人の前に出る。二人は私を見て、少し緊張したようだった。できるだけ平静を装って「久しぶり」と言うと、ハジメは「ああ」とそっけなく返した。 「あ、あの、私ちょっと違う所に行ってます!」 「ここにいて」 「そうしてくれ」 「……ハジメ」 「俺はあんたと話さないといけないことがある」 「チヅルに聞かれちゃ困ることなわけ?」 「ああ、そうだ」 強く言い切る。これは妥協してくれなさそうだ。私は息をつくと、チヅルの方を向いて、「ごめんね」とだけ言う。察しのいい彼女はすぐに私の出て来た方へ早足で去って行った。…彼女を一人にしていいのだろうか。彼女にここにいてくれるように言ったのは、その心配もあったからだ。一人で野宿もしたことがなさそうな子を、こんな所で一人にするなんて、何かあったら責任問題だろう。 それでも、それ以上にハジメは私と話さないといけないらしく、チヅルを目で追うことすらしない。…ほんの少しだけ感じた優越感も醜悪な感情なのだと気付いて、すぐに自己嫌悪に変わった。 「綱道氏の言葉は本当なのか」 「いろいろ言ってたけど」 「とぼけるな」 「わざわざ私の口から言わせたい?ワタシのお父様とお母様を殺したのはハジメだって」 「…あんたは知っていたのだな」 「知ってたよ」 「いつから…!」 いつからだったっけ。ハジメの叫びにも似た言葉を聞きながら、屯所に軟禁されていた頃のことを思い返す。明確な日など覚えていない。けれど私がハジメに惹かれ始めた、その後だったように思う。弾かれたように思い出して、ハジメと距離をおこうとして、でもできなかった。きっと、チヅルと出会った辺りではなかっただろうか。彼女を見て、自分が魔女であることを嫌でも思い出させられた。私は人間ではない、と。 それから私が元々魔女になった理由だとか、魔女である意味だとか、魔女である私にしかできないことを考え直したんだ。そして屯所を出て行くことを決意した。これまで自分を監視とは言え、食事を出してくれたり、魔女の血を使う機会を与えてくれたり、少しでも信用してくれた彼らを裏切って、私は私のためにあそこを飛び出した。 「ハジメはそれを知ってどうするつもりだった?はいすみませんでしたって言って腹を切る?私の血でも飲む?…無理でしょ」 「それ、は…」 「私のお父様とお母様を殺しておいて、早死になんて許さない。私がハジメに望むことはただ一つ。どれだけ罪深くても、醜くても、狡猾でも、生きて生きて生き延びて」 「…………」 「生に貪欲になって。生きることに、執着してよ…っ」 泣かないって決めていたのに、いざ彼を前にこんなことを言うと涙が出て止まらなかった。今すぐこの手で殺したいほど憎い、どんなに卑怯でも最後まで生きて欲しい、その二つの気持ちが私の中でせめぎ合う。任務とはいえ、実際に両親に手を下したのは彼だ。その彼を許すわけにはいかないし、きっと未来永劫許せる日は来ない。けれどこれから先、彼がどうやって生きて行くのか、誰と添い遂げるのか、どうであれ幸せを掴んで欲しいという思いもある。きっと私はもう長くないから、ハジメを最後まで見届けることはできないけれど。 でもどうせなら、私のことを覚えていて欲しい。私からの憎しみも、恨みも、想っていたことも、全て脳裏に焼き付けて忘れないで欲しい。私の目を、声を、手の温度を、記憶と身体に刻み込んでおいて欲しい。私にとってはたった一度の恋だったから。正しさも過ちも、思慕も憎悪も、全て含まれた初めての、そして最後の恋だったから。 そして、いつだって私への罪悪感を持って生きてくれれば良い。 「俺は、生きる」 「…うん」 「だからあんたも諦めるな。命が尽きるまで、魔女らしく生きろ」 「分かった」 もう触れない。どれだけこの右手をハジメに伸ばしたくても、もう伸ばしてはいけない。もうここに残っているのは私の未練だけだ。ハジメは全てを割り切った目をしているから、それを再び揺るがせるような真似はしてはいけない。 ぐっと堪えて、着物の袖で涙を拭った。そして以前のように笑う。 「さよなら」 「ああ」 ハジメも微かに笑ったような気がした。最後に彼のそんな表情を見られて私は幸せだったと思う。私の知るハジメはいつも難しい顔をして、眉間にしわを寄せて、何を考えているかよく分からなかった。…あんな表情もするようになったんだ。それならもう、何も思い残すことはない。きっとハジメなら約束を守ってくれる。最後まで生き抜いてくれるから。私のこともきっと忘れないでいてくれる。あの目を見て、何の確証もなくそう思った。 元来た道を進んでいると、心配になったのかこちらへ向かって来るチヅルに会った。暗い表情で私を窺い、「あの…」と控え目に切り出す。私はそれを遮るように「大丈夫だよ」と言った。 「私はハジメとは行かない。…ハジメのことよろしくね、チヅル」 「でも、魔女さんは…!」 「私じゃハジメは救えない。そう、文にも書いたでしょ?」 「そんなことない、だって斎藤さんは!斎藤さんも、魔女さん、も…っ!」 「チヅルならできる。ハジメを救う人になれるわ」 だから、ずっとずっと傍にいて。最期の最期まで、きっと。そう伝えると、チヅルの大きな目から次々と涙が溢れ出した。それをそっと拭ってやっても、なかなか止まらない。 チヅルの言いたいことは分かる。彼女は彼女で、私の代わりにハジメの傍にいるだなんて嫌なはずだ。チヅルにあって私になかったもの、私にあってチヅルになかったもの。それらを埋めることは容易くはない。一生かけても埋められないものきっとある。それでも、チヅルには何より時間がある。時間があれば埋められる数々のものを、きっとチヅルなら上手く補って行けるはずだ。 そこに私は必要ない。 「」 「え…?」 「私の名前。ハジメには絶対ヒミツね?厄介事おしつけちゃうから、何の足しにもならないだろうけど教えてあげる」 「さん…」 真っ赤になった目のチヅルの髪を撫でる。私も欲しかった、黒い髪。お母様譲りで好きだったけれど、この国でこの容姿は少し生き辛いものがあった。この黒い髪も私の羨んだものの一つだ。私にはないものねだりが多かった。あれが欲しい、これが欲しい、でも結局手に入れられない。これまで生きてきた中で最も強く欲した魔女の力でさえ、諸刃の剣だ。生粋の魔女ではないから仕方ないのは分かっている。それでも欲したのが私だから。 その代わりに、時間も、誰かを救う力もなくした。それでいい。愚行を繰り返した私に安穏とした人生は似合わない。 「素敵な、名前ですね」 「でしょう?私のお父様とお母様がくれた名前だもの」 そう言うと、やっと彼女も笑ってくれた。私も笑って返す。もしもの話は無意味だけれど、きっと出会った世界が違ったならば、チヅルとも良い友人になれていたのではないだろうか。最後に彼女とぎゅっと抱き合って、そして別れた。 (2010/9/26) ← ◇ → |