起きろ、と揺すられて目を開けると、私たち四人は茂みに身を潜めていた。ごしごしと目を擦ってアマギリの背中から降りて状況を確認する。三人の視線の先を私も目で追うと、坊主の男が一人、こちらに背中を向けて誰かと話している。しかしその相手は私たちではない。男は私たちに気付いていないようだ。では一体誰と――、しかし相手が誰であるかは丁度男が邪魔になって見えない。いまいちどういった状況なのかが分からず、私は小さな声で隣にいるカザマに声をかけた。 「何、どういうこと」 「どうもこうも、あれが綱道だ」 「な…!」 「相手の姿も知らんと言うのに殺そうとしていたのか、魔女も大概浅知恵だな」 「…それはどうも」 鼻で笑うカザマに適当な返事をして、また視線を前へ戻す。話している内容はよく聞こえないが、コウドウは悪者らしい高笑いをした。そして、コウドウの話している相手の後ろには昼間も動けると言う羅刹だろうか、異様な雰囲気の男たちが刀を構えて相手を囲んでいる。そのせいもあって、中心にいる人物が分からない。三人に説明を乞おうとも、隠れているからには気付かれる訳にはいかず、私はただ黙って息をするにも気を遣った。 けれど、予感がする。何の確証もない直感だ。ただの勘。あの中心にいるのは、私もよく知る人物のような気がする。なんとなくだが、知っている気配が混じっているのだ。静かにしていなければならないと分かっていつつも、鼓動が速くなると共に呼吸も苦しくなる。 「魔女?」 「なんでも、ない…」 「勝手に飛び出すなよ、さもないと…」 シラヌイの忠告など耳に入らなかった。コウドウが手を上げたと共に、数人の羅刹は刀を振り上げて一斉に襲い掛かる。その瞬間に見えた刀の閃き。たった一閃で羅刹を斬り捨てるその強さ。あれは、 「斎藤でしたか…」 「…………」 アマギリの冷静な声に、私は一層身を固くした。次々と羅刹を斬り伏せて行くけれど、様子がおかしい。確かにハジメは強いけれど、それでもあの数の羅刹を一人で相手にできる訳がない。だからと言って、今ここで私が飛び出すだなんて勝手な動きをする訳にも行かない。血が滲むほど拳を握り締め、奥歯を噛み締めた。やがて、不快な高笑いと共にハジメは膝から崩れ落ちた。そんな彼に、コウドウは尚も攻撃するよう命令を下す。 (…私が、) 私が守るって、言ったのに。 「よせ、魔女!」 シラヌイの叫ぶ声と、アマギリの伸ばした手を振り払って、私は懐から剣を出しながら飛び出した。コウドウをも押しのけ、今まさにハジメに襲いかかろうとする羅刹に逆に攻撃を浴びせる。私の剣の腕なんてタカが知れているし、どの道こんな短剣じゃ長刀を振るう羅刹に勝てやしない。…だから、私には魔女の血がある。この身体に流れる毒薬があるんだ。 「バケモノの相手はバケモノ、ってね!」 「う、ぐあ…っ!!」 少しでも私の血を口にした羅刹は、すぐに目を見開いて息絶える。どうやらこの血の毒も段々と濃くなって行っているらしい。以前は効くまで少し時間がかかったと言うんのに、今や口にした途端これだ。どんどん人間から離れて行ってる自分の身を思うと、笑いが込み上げて来た。 突然の乱入者に主犯は動揺しているらしく、羅刹に命令を下すこともしない。今の内だと思い、私は次々に羅刹へ自らの血を呑ませた。最早羅刹はハジメなど見ていない。動かぬ獲物に興味はないとでも言うように、私にばかり集中的に襲い掛かって来る。けれど右腕だろうと左腕だろうと、この血さえ飲んでしまえば私の勝ち。両腕が塞がっているなら足がある。両腕に噛みついたまま二匹の羅刹が固まっていると、新たに羅刹が襲って来たが、今度は右足を振り上げて横に薙ぐように下腿で口を狙った。 「勝手なことしてんじゃねぇよ魔女!」 「今出て行かなくて、いつ出て行く、のよ…っ!」 シラヌイは舌打ちしながらも、私のすぐ背後に迫っていた羅刹を撃ち抜いた。私は両腕と右足の羅刹を振り払い、頬に付着した自らの血を手の甲で拭うと、刀を支えに立ち上がろうとするハジメを見た。すると、羅刹に集中しすぎて気付いていなかったが、そこにはハジメだけでなくチヅルもいた。ヒジカタさん率いる隊は皆、更に北へ向かったと言うのに、なぜこの二人だけこんな所に留まっているのだろうか。 チヅルは怯えたような目で私を見ている。それもそうか、彼女には私が何であるかなど一切話したことがなかったのだから。いきなりこんなグロテスクな戦い方を見せられても、恐怖以外の何でもないだろう。私は何か言おうと口を開きかけ、けれどその瞬間、思わず呼吸が止まった。 「なん…で…」 「それは、こっちの、台詞だ…っ」 ハジメの髪が、白く変色する。そして血のような赤い目で私を見上げた。 その瞬間、私はシラヌイの制止の声も聞かず、まっすぐコウドウの方へ向かった。怯えて後退するその男の胸倉を掴み、締め上げる。この男さえいなければ、誰も羅刹になど振り回されなかった。こんな不幸も起こらなかった。そう思うと、誰よりもこの男を憎まずにはいられない。睨みつけながらも、涙が溢れて止まらなかった。 なぜハジメが羅刹になっているの、なぜ変若水なんかに手を出したの、なぜ――そんな思いばかりが浮かんでは消え、浮かんでは消える。そして全て、目の前の男への憎悪へと変わって行く。これまでこの手で葬って来た誰よりも残酷に殺してやらなければ気が済まない。そんなことを考える自分に嫌気が刺しつつ、そうでもしないと私の気が狂いそうだった。いや、或いはもう狂っているのかも知れない。血の毒が強くなればなるほど、私の身体も心も、共に侵されて行っていたのかも知れない。 「く…っ、なんだ、お前は…!」 「答える義理などないわ!貴様は私が殺してやる…!」 「落ち着け魔女!綱道からはまだ聞くことが、」 「魔女、だと…?」 シラヌイの言葉を受けて、途端にコウドウは表情を変え、面白そうに笑いだした。そして依然私に胸倉を掴まれたまま「ああ、貴女でしたか」と面白そうに笑みを浮かべる。なんだ、この男は。一体、私の何を知っている。けれど離すわけにはいかない。こいつも鬼だと聞いている。ともすれば逃げかねない相手を、いくら驚いたからと言って易々と手を離してはならないのだ。 「異国の女との間に子を儲けた馬鹿な男の娘と言うのは」 「黙れ!!」 「しかしやはり蛙の子は蛙―――う…っ!」 「黙れというのが分からんか…!!」 首ごと絞め上げると、ようやく黙った。いや、黙らせたと言うのが正しいのだけれど、そんなことどうでもいい。私のお父様もお母様も、こんな男に侮辱されていいような人間ではない。私のことはまだいい、自分で選んだことなのだから。その罪の大きさも、何をやって来たかも、それが許されないことだと言うこともちゃんと分かっている。けれど、ハジメをあんな目に遭わせた上、両親を侮辱するだなんて許されていいことではない。 冷静さを欠いた私を見て、命を握られているにも拘らずまだその顔に笑みを浮かべる。本当に癪に障る笑い方だ。魔女の血で二度と感じることができない何にも代えがたい苦痛で殺してやろうか、このまま首を絞めてじわじわと苦しめて追いつめて行ってやろうか、二つに一つだ。しかしまだ私を揺さぶる情報でも持っているのか、気持ち悪い笑いを消さない。 「…何がおかしい」 「貴女の殺すべき相手は、私ではないのではないですか?」 「何を、」 「貴女の両親を殺したのは外でもない、あの男でしょう!」 私の後ろを指差す。一瞬、何を言われたか分からなかった。思いもよらない言葉に訳が分からず、けれど次の瞬間はっとする。――ハジメは、この事実を知らない。失念していたのだ。私は知っていても、私以外は知らないこと。私が隠していたこと、知られたくなかったこと、誰よりも知って欲しくなかったこと。きっと知れば自分を責めるだろう、私に殺されても仕方ないと思うのだろう。いつか知ってしまう日が来るのかも知れないと思いつつ、私の口から告げる勇気はなかった。何より、自分の愚かしさゆえに言うことができなかった。 震えを抑えながら振り向けば、苦しそうな表情は一変、ハジメの顔は驚きと動揺に染まっていた。 (2010/9/23) ← ◇ → |