『甘いものは好きか』
『好きだけど…どうしたの?』
『菓子をもらったんだが、生憎俺は甘いものが苦手だ。だからあんたにやる』










「………夢…」


 うっすらと目を空けると、未だ慣れない旅籠の天井が目に映った。面倒だからと布団も敷かなかったせいか、やけに腰が痛い。いや、背中も痛い。つまるところ、体中が痛い。

 最近はずっとハジメの夢を見る。それは実際にあったことを夢でなぞっているのか、単に願望が夢として現れているのか、夢と過去の区別さえつかなくなって来てもいる。息苦しさを伴う痛みは恐らくそんな気持ちが原因だ。まだ大丈夫、まだ私は動ける。いや、動けなければならないのだ。

 気だるく重い身体を起こして外を見れば、もう日は高い。最近はこんな日の繰り返しだ。基本的に羅刹は夜しか動けないため、私もそれに合わせて夜に行動していた。最初こそいくら無茶しても朝にはちゃんと起きることができていたのに、最近はそうも行かない。きっと疲れのせいだ。新選組に捕らえられていた間は、当然ながら毎日外に出るなんてことはなかった。だから身体が鈍ってしまったのだろう。間違っても身体にガタが来ているとは思いたくなかった。


「魔女!起きてっか!」


 襖の向こうからシラヌイの叫ぶ声が聞こえた。「起きてるけど」と返せば、その瞬間に勢いよく襖が開く。酷く焦った様子でずかずかと部屋に入って来たかと思えば、私の肩をがしっと掴んだ。痛い、と抗議の声を挙げる前に、言葉を被せられる。


「昼間に動ける羅刹が現れた」
「……は?」
「綱道の野郎、羅刹の改良をしてやがったんだ!」
「………」
「悠長に寝てる暇はねえよ魔女、一刻も早く綱道を止めねえと…」
「分かってる」


 綱道さえ止めれば羅刹の研究は止まる。綱道を捕らえると共に資料も全て抹消するのだ。幸い綱道も血は薄かれど鬼だという。それなら簡単だ、私の血を飲ませてやればいい。早く、早く止めなければ。

 そう思いすぐに立ち上がる。しかし、その瞬間身体が傾いだ。ぐらりと景色が揺らぐ。ふっと身体から力が抜けたが、両手でなんとか身体を支えると、シラヌイは焦って私の顔を覗き込んだ。真っ青じゃねえか、と怒鳴る声がすぐ傍で、けれどどこか遠くで聞えたような気がする。大丈夫だといつものように笑って押し返すけど、腑に落ちないような顔をするシラヌイ。ここまで来て彼らに止められては新選組から逃げて来た意味がないではないか。

 自分の身体に鞭を打って、再度立ち上がる。するとシラヌイは私に肩を貸してくれた。


「今魔女に倒れられたら風間に何言われるか分からねえからな」
「はは、敵の大将にトドメ刺すのはワタシって?」
「さあな。雑魚を魔女に相手させて自分は大将目指すんじゃねぇか」
「もしそうだったらワタシ、カザマを恨むよ。血飲ませちゃうかも」
「おう、そうしろ」


 ずるずると引きずられるようにして旅籠の前まで出て来ると、カザマとアマギリが既にそこで待っていた。遅い、と言わんばかりの鋭い視線を向けられたが無視して「どうも」とだけ挨拶する。カザマも何か言いたそうだったけれど、すぐに私に背を向けたかと思えば、どういう風の吹き回しか、「天霧、負ぶってやれ」とアマギリに指示した。私は思わず目を丸くしたのに、アマギリもシラヌイも驚いた素振り一つ見せない。


「どうぞ」
「ああ、うん、ありがとう…」


 道行く人からの視線が痛いけれど、つべこべ言っている暇はない。とりあえず真意の知れない厚意に甘えつつ、今の内に体調を整えなければ。羅刹が昼間も動けるとなると、こちらだけでなくあちらの動きもよくなる。しかも私の調子が悪い分、今までのようには行かない。そういった点では、三人に拾われたことは運が良かったのかも知れない。一人ではもしかすると無茶だっただろう。今日みたいな新しい情報だって入らないし、それについては感謝したい。

 少しだけはっきりして来た頭でそんなことを思いながら、負ぶられた私は早くも意識が薄らいで行く。そんな中で、また夢か過去か、声が聞こえた。










『もっと自分を大事にしろ』





『ワタシの血に触ったりしたら死ぬかもよ?』
『口にしなければ大丈夫だ』





『あんたは、そうして守ってばかりだ』





『苦しいなら言えば良い。誰もあんたに一人で生きろなど言ってはいないだろう』





『信じろ。俺ではなくあんた自身をだ。それができないなら、すぐにでも俺があんたを殺す』










 ハジメの声だ。そうやって、私を気遣う言葉をたくさん私にくれた。本当に変な人だ。私を気遣った所で返せるものなんて何もないのに、それでも良いってハジメは言った。私がハジメを抱き締める、たったそれだけで良いって言ったんだ。私に人間の心なんてもうないと思っていたのに、ハジメの言葉が私に心を戻してくれた。いや、戻してくれたというより、新しく作ってくれた。

 だから、彼が私の両親を斬った人間なんだと知って、私は酷く揺れた。両親の仇を見つけたら、必ずや殺してやろうと思っていた。そのつもりでいたのに、なんの計算もなく、見返りも求めず、何も知らないハジメは私に優しかった。初めてワタシを人間扱いしてくれた人だった。





『あんたは、人間だ』





「甘いのは、ワタシだ…」
「あぁ?」
「…何でもない」
「じゃあ寝てろ。どうせ後でたっぷりこき使われるんだからよ」
「こき使うのは、ワタシの、でしょ…」


 いよいよ私の意識が遠退く。まだ何かシラヌイが言っていた気がするけど、もう何も聞こえない。けれど、どうせ少しすればまたハジメの声が聞こえて来るんだ。それは強い痛みを伴うものだった。

 もう夢なんて見られなければ良いのに。これから先、きっと会えないであろう人を夢に見るなんて、恋しくなるだけだ。誰かが恋しくて辛い、なんて思うのも初めてで、どうすればいいか分からない。それこそ、無茶苦茶でも羅刹狩りをしていないと気を紛らわせることすらできない。

 こんなにも遠くなって初めて気付く、ハジメの言葉にこんなにも支えられていたという事実。戻りたい、戻れない。会いたい、会えない。愛したい、愛せない。思いと現実に手を引かれながら、私は現実を選んだ。そうしないと、ハジメを守れないと思ったから。危険にさらされたままの彼の傍にいるか、離れてしまっても彼の生きられる確率を伸ばすか、どちらか一つしかとれないなら、私は絶対に彼に生きて欲しかった。私の両親を斬ったのなら責任持って生きて欲しいと思ったし、ただ純粋に私が彼を思ってしまったが故に芽生えた気持ちでもあった。だから、甘いのは私。彼を赦した私の方だ。





『俺は、あんたに血を流して欲しくなかった』





 ごめんね、それでも私はこれしか誰かを守る方法を知らない。ハジメを守るためだったら痛くもなんともないから、だからあと少し。あと少しだけ私の身体に時間を下さい。
























(2010/9/12)