斎藤一という人間は、はっきり言って変な人だった。私が自分の血液で羅刹を殺すところを見たって私を人間だって言うし、敵である私を心配したり庇ったり、まず人として甘い。やってることは残忍な癖に、私と比べた時にどちらがより悪人かと言われれば、間違いなく私だ。


「異人の…ッ、女の癖に生意気な…!」
「それって関係ないよねぇ。少なくともシンセングミはワタシをそんなことで差別しなかったもの」


 毒が回り始めたか、息も絶え絶えに言葉を吐き出す足元の人間。ちょっと怪我を負わせればぎゃあぎゃあ騒いだ癖に、命が危なくなったらぺらぺらと要らないことまで喋ってくれた。そして今は悪態をついた所だ。長州だか薩摩だか知らないけれど、羅刹に関する重要な情報はもう十分に得た。もう彼は用済み。あと数分もすれば息耐えるだろう。まあ、そのあと数分が苦しいのだけれど。

 しゃがんで男の顔を覗き込み、にっこりと笑う。すると男は「ひぃ!」と叫び、まるで悪魔でも見たかのように真っ青になった。まあ悪魔も魔女もあまり変わらないか、と小さく息をつく。どちらも悪であることに差異はない。言っておくが、私は別に悪であることに酔っているとか、悪である私が好きだとか、そういう訳ではない。私のすべきことを成し遂げるには、悪に徹さなければならないのだ。


「男だろうと女だろうと、異人であろうと異人でなかろうと、生きる者は生きる、死ぬ者は死ぬ。そして悪は悪、善は善。お分かり?」
「だっ黙れ!」
「アナタも悪なんだろうけど、じゃあ悪を喰らうワタシはもっと悪だね」
「寄るな…く、来るな!!」


 どこにそんな力が残っているのか、ずるずると右手右足だけで後ずさる男。左はもう殆ど力が入らないらしい。その指先は少しずつ砂と化していた。それをちらっと見たけれど、男は私への恐怖のあまり、自分の体が砂になりかけていることなど気付いていない。

 くすりと笑って立ち上がる。私はこの男の最期に興味なんてない。あとはどう死のうと関係ないのだから。勝った者が生き、負けた者が消える。それはここだろうとどこだろうと同じ。そう、あの新選組だって同じなのだ。


「もしアナタの最期に同志が間に合ったら言っておいてね?あんまり悪戯してたら魔女が食べに来るよ、って」


 て、もう聞こえてないか。息の根の止まった男を一瞥してから、私はやっとその場を後にした。この男にくれてやる祈りの言葉などない。だってこいつは羅刹じゃないから。


「…で、いつまでボウカンシャしてるの?助けてくれればいいじゃない」
「貴様一人でできることに首を突っ込む必要はない」
「あ、そ。で?もういいでしょ、ワタシ、アナタを邪魔する気はないの」


 鬼だと名乗った男が三人、私の前に現れたのは一週間ほど前だ。西の鬼の頭だと言うカザマ、その部下と言う訳ではないが、付き従っているらしいシラヌイとアマギリ。彼らに羅刹(今度は新選組の羅刹ではなく長州が生み出したらしい)を殺している所を偶然目撃されて、ワタシはまた軟禁状態になっていたのだ。新選組から抜け出せたと思えば、また新たな集団に捕まるなんて、私はつくづくついていないのだと思う。

 それでも新選組にいた時とは違って、こうして自分のターゲットを好きに狙いに行けるんだから、あそこよりは自由はある。私のやっていることを非難しないし、止めもしない。監視はするけど文句も口出しも手出しもしない。ずっとそうしたかったはずなのに、それなのに、どこか足りないような、虚しいような、そんな気がする。


(過保護に慣れちゃったかなあ…)


 あれだけ鬱陶しいと思ってたはずなのに、自分で自分に呆れる。そんな私の胸中などまるで知らないカザマは口元を歪めて堂々と「だがその力は大いに利用できる」などと言った。


「利用されるつもりはないんだけど」
「その血で長州の人間を殺せるのであれば、新選組の人間もまた殺せるのだろう?」
「…やったことないから分かんない」


 また新選組か。彼らも本当に敵が多い。人間ばかりでなく、こんな、とんちんかんな奴まで敵に回しているなんて。この国もこの国だ、人間以外が跋扈し過ぎている。人間が作った国なら人間が動かせばいいんだ。本当なら魔女である私だって人間に手を下していい訳じゃないというのに、人間だけじゃ収拾のつかないようなことを、なぜしたがるのだろう。


「綱道を殺すとかでけぇ口叩いておいて自信なさげだなあ、おい」
「自信がない訳じゃない。確実じゃないなら力の無駄遣いはしたくないだけ」
「魔女、貴女は新選組に未練があるのですか」
「は?」
「会った当初から思っていましたが、貴女は新選組の話題を酷く避けたがる。それは思う所がある証拠でしょう」


  私が、いつ話題を避けた。言及されることは好まないけれど、聞かれたことは嘘偽りなく全部答えた。これ以上は私の個人的な問題、話す義理だってないのに。アマギリが聞いているのはまさにそこだろう。私と新選組の間に個人的な何かがあったと、そう踏んでいる。いっそカザマみたいに魔女の血にだけ興味を持っていてくれるのならいいものを、アマギリみたいに踏み込まれては私だって嫌だ。

 けれど、思う所があるのは確か。図星を指されて少なからず動揺している私は、それを悟られないよう慎重に言葉を選んだ。


「だとしたら、何?」
「貴女の成し遂げたいことの妨げになるでしょう」
「まさか。もう縁は切ったわ」
「それならいいのですが」


 まだどこか私を疑うような目で見て来る。過保護とは違う鬱陶しさだ。この三人に見張られているのと、新選組で縛られていた時と、一体どっちがましなのだろう。…いや、比べるだけ無駄だ。そもそも比べるようなことじゃない。彼らは彼ら、こいつらはこいつら。そして私は私。どこにいたって、誰といたって、私のすることは変わらないんだから、現状を過去と比べても意味のないことなのだ。

 あのまま新選組にお世話になってやろうかと考えたこともあった。私を思ってくれる人はいたし、心配してくれる人もいた。煙たがっていたにも拘らず、会話だってしてくれた。心地よかったんだ。その心地好さにこそ酔っていた。当初の目的を忘れかけてしまうほど、あそこは居心地が良かったんだ。

 でも自分の命の期限を悟り、彼が――ハジメが新選組のためなら変若水だって飲むと言い切り、あそこにいてはいけないと思った。もう新選組の誰ひとり変若水を飲まずに済むように、変若水だとか羅刹だとかに頼らなくていいように、まずはその根源を断ちきる。私が、私の血で以て。きっとそのために魔女になったんだ。復讐でもなく、怨恨でもなく、掬って行くために。魔女である私が救うだなんて傲慢もいい所。けれど、悪を掬って取り除くくらいなら、私にだって許されるだろう。その他の何も許されなくていい、許してはいけないけど、ただそれだけなら。


「…妨げなんかにはならない」
「何?」
「ワタシは彼らを守るためにやってるって言ってんの」


 憎んではだめ、とお母様は言った。誰かを生かすために生きなさい、とお父様は言った。きっと私は二人の言った通りには生きられない。お父様とお母様を殺した国を、人を、憎まないわけがない。誰かを守るために誰かを殺してもいる。元いた場所を追われてもなお、この国を憎まなかった二人のようには、きっとなれない。二人が誇りに思うような娘にもなれない。それは魔女になった時に覚悟していたこと。

 でも、私なりにやっているんだ。生まれて初めて家族以外を愛した。生まれて初めて命を削っても守りたいと思う人ができた。お母様がお父様を愛したように、お父様がお母様を守ったように、ほんのひと時でも私も同じような時間を経験できた。だから魔女であり続けることに決心がついたんだ。


「滑稽な女だ」
「何とでもどうぞ」


 だから、もう私は立ち止まらない。
























(2010/9/5)