あの夜、私を助けてくれた異国の女性。魔女だと、彼女は名乗っていた。名前も聞かないままだった彼女は、いつの間にか屯所から消えていた。金色のような月のような光る髪を持ったひとだった。目は藍色とも青色とも形容しがたい、澄んだ色をしていた。それこそが彼女を異国の女性なのだと決定づけるものだったけれど、後に斎藤さんは言った。「彼女は自身の容姿を嫌っている」と。その表情に僅かに影が差したのを、私は見逃さなかった。










「彼女の居場所?」
「はい、先日助けて頂いて、お礼がまだだったので」


 恐らく彼女も監視のついた身だろうと思い、幹部である沖田さんに声をかけてみた。廊下で一度すれ違ってからずっと気になってはいたものの、自分とは何の関わりもないため聞くことができなかった。お礼を言いたいのは本当だけれど、丁度いい口実にはなったことに感謝した。しかし、真っ当な理由であればすんなり教えてもらえるかと思ったのは甘かったみたいだ。沖田さんは考え込むように腕を組んでから、「お礼なら伝えておくけど」と淡々と言った。

 その言葉から何を言わんをしているかが察せないほど馬鹿ではない。私とあのひとは関わらない方がいいんだ、てこと。「でも…」と零しても、それに続く言葉が出て来ない。それ以上は何も言えないので、私は渋々その場を後にした。完全にあのひとと接触する機会をなくしてしまった私は、沈んだ気持ちで借りている自分の部屋に戻って、ぼんやりと先日の事件のことを思い出す。

 危うく私が羅刹に襲われる所だったのを、助けられた。けれど新選組の人たちみたいに刀を使うのではなく、あのひとはあのひと自身の腕で羅刹を倒したのだ。血を使うとかなんとか言っていた気がするけど、何も知らない私は、あのひとと斎藤さんの会話を聞いているだけでは全く要領を得なかった。


(でも、強くて綺麗なひとだったな―――


 鮮やかに笑ったあのひとは、手当てもそこそこに斎藤さんに連れられて出て行った。私はあの後、そのまま斎藤さんの部屋にいる訳にも行かないから、手当てをしていた片付けだけして部屋に戻ったのだけれど。

 二人はどんな話をしたのだろう。あのひとの秘密は斎藤さんだけが知っているのだろうか、それとも幹部の皆さんは知っているのだろうか。けれどあの時飛び出して行ったのは斎藤さんの独断のように思えた。しかも、二人はやけに通じ合っているような、分かり合っているような、親しいような、そんな雰囲気だ。それが何か、胸につっかえてもやもやした。まさか、と思って首を振るけれど胸のつかえは消えてくれない。

 そうして一人、突っ立ったまま思案していると、「チヅル、今いい?」という聞き慣れない高い声が外から聞こえた。もしかして、という期待を胸に「どうぞ」と応えると、すぐに障子が開けられる。そこには、頭に思い描いた通りの人物がいた。「魔女さん!」と思わず声を上げると、彼女はにっこりと笑った。


「久しぶりだねぇ、元気だった?」
「げ、元気です!どうしたんですか?」
「ソウジからワタシを探してるって聞いたから。今必死でハジメを撒いて来たところで…」
「撒けたと思ったら大違いだ」
「げっ」


 彼女の後ろから気配もなく現れた斎藤さんは、障子に手を掛ける彼女の手を掴んで捻り上げる。「痛い痛い痛い!」と涙目になりながら叫ぶ辺り、本当に容赦なく捻り上げたのだろう。斎藤さんはそういう人だ。ある意味、平等ではあると思う。

 なおも彼女の腕を離さないまま、斎藤さんは今度は私を見て「雪村もこいつには関わるな」という。次から次へと秘密の出て来る新選組。けれどそこに触れることは許されないのだと再認識させられて、私の胸はちくりと痛んだ。

 斎藤さんはこのひととどんな話をするのだろう、どんな表情をして何をして過ごすのだろう。彼女に会ったら伝えようと思っていた言葉はいろいろあったのに、そんなものは全部吹き飛んでしまった。代わりに、焼けつくような感情が気持ちの大半を占める。彼女の腕をきつく掴む斎藤さんの手を見つめた。二人は何か言い合いをしているけれど、それも頭には入って来ない。何一つ、入って来ない。


「…ということで、夜は出歩いちゃだめだよ、チヅル。何かあったらハジメが助けてくれると思うけど」
「その何かを未然に防ぐのが俺たちの、」
「そういうリクツはどうでもいいの。チヅルだってハジメみたいな人に守られたいでしょ?ワタシ、結構やり方としては荒っぽいから」
「分かっているなら自重したらどうだ」
「それならむしろ血の飛び散らない方法をソウジにでも習うよ」
「やめておけ、痛い目を見るのはあんただ」


 ただ、さっきから斎藤さんを名前で呼んでいるのだけは気になってしまう。異国の人ってそんなに積極的なのだろうか。江戸にいる頃から一緒の幹部の皆さんだって、斎藤さんのことを名前で呼び捨てにする人はいないのに、…羨ましいと思う。そんな風に何の緊張もせず会話ができることも、雑談だと思えるようなことを平気でできることも。私にはきっと一生かかっても無理なんじゃないかって思う。口を挟む隙すらないその状況から救ってくれたのは、ちらっと話題に上がった沖田さんだった。


「あれ、二人揃って千鶴ちゃんいじめ?」
「ソウジじゃあるまいしそんなことしないよ、ワタシは。ハジメは知らないけど」
「あんたの方が疑わしいに決まっている」
「はいはい、痴話喧嘩ならよそでやってくれるかな。千鶴ちゃんも邪魔だって」
「痴話…っ!?総司、冗談も大概に―――
「チワゲンカ?」


 きょとんとする彼女に、「夫婦喧嘩のことだよ」とわざわざ説明を入れる沖田さん。斎藤さんはと言えば、真っ赤になりながら訂正を入れようとしていたが、沖田さんに軽く追い払われて結局彼女を引っ張って去って行った。

 二人が見えなくなってから、ようやく私は小さく息をつく。それを沖田さんに聞かれたらしく、隣でくすりと笑う声が聞こえた。恐る恐るそっちを向くと、いつもの何を考えているのか読めない、でも全部を見透かしているような笑みを浮かべている。何を言われるのかと、私は思わず身構えた。そんな私の反応を面白がるように一層笑って、障子に手を掛けながら身を屈めた。


「だから近付かない方がいいと思って会わせなかったのに、千鶴ちゃんも自分の首を締めるの好きだよね」
「ちが…っ」


 かあっと顔が熱くなる。何を意味しているのかは十分すぎるほど分かる。沖田さんは全部知っているのだ。斎藤さんとあのひとの関係も、私の気持ちも。

 さっきの二人をみて分かったのは、斎藤さんと彼女は単に監視する者と監視される者というだけの関係ではないと言うこと。そんな素振りは少しも見せなかったけれど、分かる。斎藤さんが彼女にかけていた言葉をよく思い直してみれば、全て彼女の身を心配してのことだった。自分の身を削るなということも、沖田さんには戦い方を教わるなということも、彼女に傷を負わせたくない気持ちから来た発言なのだろうと思う。

 刃物で切りつけられるよりも痛い気がした。きっと彼女は、私よりもずっと斎藤さんのことを知っている。私よりも後にここへ来たに違いないのに、羅刹のことも知っていた。いや、だからここで監視されているのかも知れないけれど。思えば私が彼女に助けられた夜も、終始斎藤さんは彼女の心配ばかりをしていた。あの時は私も混乱していたから気にする余裕もなかったのだけれど。


「本当、嫌になるよねあの二人」
「え…?」
「とりあえず、傷付きたくないなら近付かない方がいいよ」
「…沖田さんは」
「なに?」
「沖田さんは、いいんですか?」
「何のこと言ってるか分からないな」


 考えなしに投げかけた私の質問を軽くかわして、沖田さんも去って行く。一人残された私は、またぼうっと立ったままそこを動けなかった。もう、あの二人の話し声すら聞こえない。寂しさと切なさと痛みが入り混じって、胸が焼けつくようだ。ぎゅっと胸元を掴んで、私は唇を噛んだ。










 あれから少しして、彼女は消えた。知らされると同時に私には、彼女からだと言う文を沖田さんから渡された。なぜ、斎藤さんでも沖田さんでも、近藤さんや土方さんでもなく私に、と疑問ばかりが浮かぶ。不思議に思いながら受け取って開けてみれば、筆は慣れていないのだろう、決して綺麗とは言えない字が並んでいた。しかも全て平仮名だ。あれだけこの国の言葉を上手く操っているように見えて、随所随所で異国人が出ている。力の入れ具合が難しかったのか、所々滲んで字の大きさもまばらなそれを、沖田さんの前だと言うことも忘れて読み進めた。

 中身は、突然屯所を去ることに対する謝罪から始まり、斎藤さんのことへ移って行く。訳あって屯所にはいられないこと、自分ではもしもの時にどうしてやることもできないこと、私が斎藤さんを思っていることは知っていたこと、そして「もしもさいあくのせんたくをしないといけないときには、さいとうさんのそばにいてとめてやってください」とも書かれていた。“さいあくのせんたく”とは恐らく変若水のことを指しているのだろう。


(だったら、なんで…)


 なんであなたが傍にいて差し上げないのですか。

 そう問いかけても虚しいだけ。今ここにいればそう詰め寄ってやりたいくらいなのに、それもできない。初めて覚えた怒りにも似た嫉妬の感情の行き場所さえない。どうすることもできず、私は文が皺くちゃになるのも忘れてくしゃりと握り締めた。
























(2010/08/21)