一人でも大丈夫だって言ったのに、土方さんが僕に魔女をつけて脱走した羅刹の処分に向かわせたことがあった。僕が魔女に惹かれたのは、きっとあの夜だ。 「土方さんも人が悪いよね」 「あ、今それワタシも思った」 同意の言葉を被せる魔女。僕は魔女と背中合わせに羅刹と対峙していた。信用のない相手に背中を向けるのは不本意だったけど、互いの向こうに標的を見付けたのだから仕方ない。互いを守ると言うよりも、自分を守るために剣を振るった。 いや、魔女の場合は少し違うか。僕は心臓を一突きだけど、魔女は自らの腕を差し出していた。その無茶苦茶なやり方に目を瞠ると共に、正直驚いた。魔女の血が武器だとは言ってはいたけど、まさかそのまま羅刹に自分の腕を噛ませるなんて、いくら僕でも予想外の展開だったのだ。魔女を発見し、捕らえ、羅刹の処分のために一度行動を共にしている一君からは何も聞いていない。僕が聞かなかったから言わなかっただけかも知れないけど。 「君は正義のつもりなわけ?」 「まさか!人殺しが正義なわけないでしょ」 「じゃあ何でそこまでするの」 「そこまでって……どこまで?」 本当に分かっていないような口調で聞き返す。どうやら魔女にとって自分の身を削ることは、さして苦痛ではないらしい。義務、責務、役目―― そう言えば響きはいいのだろう。けれど実際やっていることは僕と同じ、人斬りに過ぎない。羅刹を人と呼んでいいのかどうかは別として、だとすれば尚のこと魔女のような異国の女が身を汚してまで、羅刹狩りは成し遂げるべきことなのだろうか。 僕が答えかねていると、魔女は後ろで楽しげに声を上げて笑った。そして唐突に「ねぇ」と切り出す。振り返らずに「何?」と聞き返しながら、僕は僕で刀を鞘に収めた。 「ワタシ、アナタとは相性いいと思うのよね」 「その根拠……理由は?」 「ドウゾクケンオってやつ?」 「それは仲が悪いことだけど」 「えーと…キンシンカン」 「…親近感だね」 それそれ、と言ってけらけら笑う魔女。その後ろに羅刹の呻き苦しむ声が聞こえた。やがて断末魔の叫びを上げて灰と化した。魔女の毒の効力を、僕は今、初めて目をしている。それは思いの外、僕の目には残酷に映った。やり口ではない、魔女の存在それ自身だ。詳しく説明することはできないけれど。 確かに僕と魔女は近いものがあるかも知れない。今まさに人を殺めているというのに、僕も魔女も余所事どころか笑うことができるなんて、とんだ狂人だ。魔女もその自覚があるらしい。そうでなければ僕に対して“親近感”を抱く理由や、僕たちの間に共通点は見当たらない。ただ一つあるとすれば、魔女も何らかの信念を持ってこのようなことをしているということくらいだ。 気配の動かない魔女を不審に思い、振り返ってみれば、魔女はまるで刀を扱うかのように自身の腕を羅刹の口から引き抜き、腕を振って血を払った。腕なのに腕のように扱われていない。魔女のそれは完全に刀だった。いや、魔女自身が刀と化している、そんな錯覚にさえ陥る。その一連の所作をこの上なく綺麗だと思った。それは赤か、緋か、紅か。どう表現すればいいか分からないけれど、血の色を纏って笑う魔女の妖艶さは美しいと表した方が正しい気がした。 その瞬間、いつだったか魔女が一君の居合いを綺麗だと言ったことを思い出す。きっとあの時の魔女と今の僕は同じ気持ちなんだろうと思った。いっそ魔女の毒になら身体を侵されても構わないと思うほどに、魔女は美しかった。いや、むしろそうできるのならどれほど良いだろうか。 「ワタシ、ソウジの考えてること分かるな」 「じゃあ当ててみてよ」 「ソウジはワタシが嫌いだけど嫌いじゃない。好きだけど好きじゃない」 「言ってることめちゃくちゃだよ。日本語分かってる?」 「分かってる分かってる。ね、だからソウジは私が大好きで大嫌いでしょ」 自信満々でそんなことを言うもんだから、悔しくて「さあね」とだけ返事をする。けれどそれさえ見抜いているのか、にこにこと笑いながら魔女は血に汚れた左腕を反対側の着物の袖で拭った。 魔女は嫌いだ。思うこと考えること全てを見透かして行くし、大丈夫じゃない癖に大丈夫だと言い張るし、子どもみたいな振る舞いをすることが多々あるのに時折一人前のようなことを言う。それに、自分の弱い所を決して晒そうとしない。それはまるで、 (それは、まるで――) そう、自分を見ている気分になる。だからだ。だから僕は魔女が嫌いなんだ。自分を繕って本当の姿なんて眩ませている。目の前にいるのにいない、腕を掴んでも雲を掴むかのよう。 だとすれば魔女はどこにいる?魔女の居場所はどこだ?足取りは覚束ない癖に、誰に手を引いてもらう気でいる?支えてもらうつもりでいる?…ひとりだなんて許さない。 「君はどこへ向かうつもり?」 「ラセツを一掃したらそれで終わりだよ。魔女はそれで終わり」 「じゃあその先は?」 「…………」 その先はどうするのか、誰を選ぶのか、或いは切り捨てるのか。彼女の行き先など本当は聞かずとも分かっていた。それでも彼女自身の口から聞くまでは、一握りの希望だとしても諦めたくない。こんなにも強く“欲しい”と思ったものは他にない。彼女が初めてなのだ。思うがゆえに最期を委ねたいと思うのも、最期を与えたいと思うのも、彼女以外にいない。血に塗れながらも目的のために生きる強かさ、その美しさは儚く映る。 そうか、分かった。彼女が美しく見える訳も、彼女が残酷に見える訳も。何の疑いもなく自身を武器として扱い、笑って見せる。自分にはなんの害もなさない血が毒となる事実、身体に毒が流れているという現実、その二つを背負うには余りに細い腕。なぜ、彼女でなくてはならなかった?両親の死も、犯した罪も、たった一人抱えて生きるには純粋過ぎる。けれどそんな不条理も理不尽さも受け入れて、なお笑って闘う。その強さが美しいのだろう。そして彼女を取り巻く全てが残酷だから、彼女が残酷に見えるのだろう。 「ワタシね、名前を捨てたわけじゃないの。魔女になる時、大切な十人を殺すことと名前を人に教えないことを、魔女にしてくれるって相手に誓ったの」 「なんでそんなことを…」 「名前があるとワタシは弱くなるでしょ?怪我が治るのが早い訳でも、血を飲まないと死ぬ訳でもない。生活自体は人間の時と同じだから、人間のワタシに甘えちゃう」 「…そうだね」 「ワタシは魔女で在り続けないといけない。どんな時でも、魔女としていなければならないの。戦い続けるため、逃げないために」 強い瞳で訴える。そんなまっすぐに僕を見つめる海の色をした双眸から、静かに頬を涙が伝った。決して声を上げず、一筋流れると、ぽたりと地面に落ちる。 彼女は強い。目指す背中も隣を歩く仲間も誰もいないのに、たった一人で揺らぐことなく前を見て生きている。そう、魔女としての彼女は確かに強い。けれど垣間見る人間としての彼女は、年相応の脆さも弱さも持っている。全て彼女が一人で呑み込んで隠してしまうから分からないだけだ。彼女は間違いなく人間だ。魔女だなんて嘘だ。心は今でもまだ、いや、これからもずっと人間のままで在り続ける。彼女自身が自分の弱さを知っているから。少なくとも、僕の前では魔女なんて彼女の殻に過ぎない。 「でも僕は、君の名前を知りたい。戦い続けるには休む場所も必要だから、僕だけが知っていてあげる」 「ソウジ…」 「誰にも言わないことを約束するよ」 少し躊躇う素振りを見せる彼女。けれど、揺れた瞳で紅い唇を開く。風のうるさい中で微かに紡がれた彼女の名前を、僕は永遠に忘れないだろう。 (2010/8/8) ← ◇ → |