「魔女が消えただと?」


 新八が心底苛立たしげに聞き返した。保護した時から彼女をよく思っていなかった上、今回の失踪となると、新八からすれば“そんなことだろうと思った”という所だろう。およその幹部と交流を図っていた彼女だが、その努力も虚しく、どうしても新八とだけは相容れなかったようだ。

 彼女が屯所から消えたことを俺に知らせに来たのは総司だった。いつもなら俺より後に起きて来る総司が、珍しく早朝から部屋を訪ねて来たので不思議には思ったのだ。そして殆ど無表情で、だがいつもと変わらない調子で言った。


『あの子、いなくなったよ』


 その時、自分でも意外なほど俺は冷静で、その報告への返事も「そうか」とただ一言だけだった。それはどこか予感がしていたからかも知れない。じきに彼女はここを去ると、是が非でも出て行くつもりなのだと、そんな気はしていた。余りにも突然であっても、彼女のことだから予想の範疇ではある。淡泊と言われるかもしれないが、俺の彼女に対する評価はそれで妥当だと思っている。


「外出許可を貰った矢先に飛び出して行くなんて、やっぱりヤバイ奴だったんじゃねぇの?」
「その点は調べがついている。どっかの間者ってわけじゃねぇだろうよ」


 様々な憶測が飛び交う中、俺は彼女の消えた現実を既に受け入れ始めていた。彼女はもう戻らない、ここにはいない。真相は彼女しか知らない以上、時が経てばそれ以前の生活に戻るだけだ。結局彼女のことをよく知ることもできないまま、消えた理由も知ることのないまま、彼女の現れる以前へと戻って行くだけ。それを拒む気持ちも少しだってない。

 それに彼女がここを出て行くことも、一人で思い悩み、考え抜いた結果なのだろう。普段はああでも、だからといって楽観的なわけでも、思慮の浅い人物でもなかった。周りが思う以上に様々な考えで以って動いていたのだ。羅刹狩りにも彼女なりの理由はあったのだから、理性をなくし、狂気に任せて刀を振るう羅刹とは違う。人と人ならざる者の狭間で、彼女はいつも揺れていた。思えばそれは人間らしかったのかも知れない。


「とりあえずこの件は山崎くんに任せてある」
「まあ俺は元々あの女に関わりたくなかったしよ。見つけたら今度こそ斬るしかねぇな」


 そう吐き捨てると早々に新八は部屋を出て行く。保護当初ならいざ知らず、今となっては新八の言葉に頷く者はいなかった。

 副長は頭が痛いとでも言いたげに溜め息をつくと、静かに解散を告げる。そしてその場に残ったのは俺と総司だけになった。互いに何も言わないが、言いたいことはきっと同じだ。俺も総司も彼女について思う所があり、互いしか知らない事実を持っている。口に出さずともそれは容易に想像できた。俺の知らない彼女を総司は知り、総司の知らない彼女を俺は知っている。そこに対抗心を生み出す気もなければ、しかし教えるつもりもない。…結局は意地を張っているのかも知れない。だがそんな中、先に口を開いたのは総司だった。


「あの子を最後に見たのは僕だよ」
「では何故彼女を逃がした」
「一君と同じかな」


 彼女に思うように生きて欲しい。何より願うのはそれだ。総司が彼女のことをどこまで知っているかは知らない。それでも思うことは同じらしい。

 恐らく彼女と時間を共にしたのが一番多いのは俺か総司だ。だから今、驚きはしないがどこか穴の空いたような気持ちになる。思うように生きて欲しいと願いつつも、本当は戻って来て欲しい。矛盾する思考の中で、俺はどうするべきか迷った。当てもないのに探すべきか、待つか、忘れるか。その三つだ。

 総司の答えは出ているらしく、毅然とした態度でいた。だが不意にこちらを向くと、「でも」と切り出す。


「僕じゃなかったら、或いは思い止まっていたかもね。一君なら止めた?」
「…いや」
「だよね」
「彼女は命を賭しても為すべきことがあると言った。むしろそれを曲げるようなことをするのであれば、俺は彼女を見切るだろう」
「…そういう所は一君らしいと思うよ」


 何が言いたいのか、最後にそう言うと総司も部屋を後にした。広間には俺一人が残される。けれどもう、慌ただしい足音で追い掛けて来る彼女はいない。月の色をした髪も、海を映したような色の目も、流暢ながらもどこか独特の話し方をする声も、もう屯所のどこを探しても彼女はいないのだ。

 この京のどこかにいるのだろうか。また一人、血を流して渡り歩いているのだろうか。あの細い足で、腕で、身体で、たった一人で。そして雨を凌ぐ場所などあるのだろうか。

 聞こえ始めた雨音に、そんなことを思った。
























(2010/07/29)
(2010/8/3 加筆修正)