「え!外に出ていいの!」 「さすがにこうも部屋の中ばかりじゃ気が滅入るだろ」 「ヒジカタさん優しい!」 二人のやり取りを横目で見ながら目を伏せた。最近すっかり副長に懐いたらしい魔女は、その副長から出た外出許可に嬉々として詰め寄った。 副長がそのようなことをするからには他に理由があるのだろうが、それにしたって余り良い気はしない。日中彼女を外に出すなんて危険過ぎる。仮にも彼女は危険人物として軟禁状態にしているのだ。外出許可など出したらその意味がない。しかも見るからに異国人である彼女は街では目立つ。だとすれば一体どこへ連れて行くと言うのだろうか。 「日は追って伝える。戻っていいぞ」 「はぁい」 「斎藤はちょっと残れ」 いろいろ思う所はあるものの、副長の言葉に立ち上がりかけると、俺に対しては制止の声がかかった。それに従いその場に留まったが、魔女は「ソウジに言って来る!」などと言いながら早々に退散する。その足音が遠くなり、やがて気配が消えたのをのを確認すると、重い口調で副長は口を開いた。 「魔女は――あいつは恐らく長くねぇ」 「長くない?」 「お前なら見てて分かんだろ。あいつはそう保たない」 予想だにしなかった話に頭を殴られた気分になった。いつもと様子は何も変わらないと言うのに、そのようなこと気付くはずがない。雪村を助けた夜以来、魔女の血は使わせてはおらず、特別調子が悪いなどと聞いたことがない。調子を悪そうにしている所になど遭遇したことがない。変わったことと言えば、魔女が俺といる時間が短くなったことくらいか。いや、しかしそれだってこれまでも気まぐれだったのだ。 俺がそんな様子でいると、逆に副長も驚いていた。彼女が以前ほど俺について回ることがなくなったことは副長も知っているはずだ。だとすればそれほど驚くようなことはないだろう。俺が拾って来たとはいえ、彼女のことなら一から十まで何でも知っている訳ではない。 それにしたって余りに唐突だ。現実感を伴わない現実に、俺はただ言葉を失った。 「俺たちも無意味に魔女を保護しているわけじゃねぇ。かなり手こずったが、魔女そのものについても調査済みだ」 「お言葉ですが副長、それは信頼できる情報経路ですか」 副長を疑うつもりは更々ない。だが魔女は飽くまで異国の存在。正しい情報がこの国にいて本当に分かるものなのか。…いや、そうではない。俺はきっと、無意識に間違いであればいいと願っているのだ。そうでなければ、先のような発言をする理由がない。 (ではなぜ俺は、間違いであればいいと願っている…?) 言葉を発した後で自分へ問いかける。自分の行動の意味が、動悸が、不明瞭だった。しかし副長は暗い面持ちのまま、厳しい現実を再度突きつけた。 「…斎藤、残念だが事実だ」 「そう、ですか…」 まるで背中に重く石がのしかかった気分だ。長くない、それは一体どれほどの期間のことなのか。一月か、二月か、半年か、一年か。或いは、一月と保たないか。もう明日、明後日と数えるほどしかないのか。 副長の部屋を出た後も、俺は彼女のことばかり考えていた。そしてかける言葉もない癖に、屯所内に必死に彼女の姿を探す。何を言えば、何を話せばいいのかなど分からない。ただ衝動的なまでに彼女を探した。ずっとそこにいるのだろうと疑いもなく思っていた存在。それが手の内からすり抜けて行く感覚を苦痛と思う。手の届かない所へ行くのだという現実に焦燥を感じる。今すぐ会いたい。ほんの僅かでもいい。近い未来、失うのだと思い知った途端に惜しくなる。 本当はずっと、欲しかったはずだった。 「ハジメ?慌ててどうしたの?ヒジカタさんと話は終わった?」 「……見付けた」 「え?探してくれ…って、わわっ」 細い身体を力いっぱい抱き締める。俺から彼女を引き寄せたのは初めてだった。もっとぎこちないものかと思ったが、力の加減の仕方を忘れたかのように、只管に腕に力を込めた。 「いかないでくれ」 「……」 「頼む」 まるで幼子の我が儘だ。彼女は俺のものでも何でもない。だから引き止める理由だってない。最期の時を誰と過ごそうが、そこへ干渉する資格は俺にはない。そのようなことは承知の上での発言だった。彼女を離したくないと思ったのに、振り払うほどに追い掛けて来たのに、今、俺が追おうとすれば遠ざかっていく。ズレを直そうとすればするほど、掛け離れて行く。擦れ違う自分たちを止めることはもう無理なのだろうか。 「…大丈夫、ハジメは大丈夫だよ」 「大丈夫…では、」 「ううん、大丈夫。きっと誰かが居る」 「誰かではない。俺はあんたが、」 「だーめ。それ以上はワタシが辛い」 そっと俺を押し返すと、困ったように笑った。僅かにその目が潤んでいる。 俺だけではない、互いに惹かれ合っているのは確かなのだ。けれど時間を理由に彼女は俺を突き放す。求めど、願えど、柔かな拒絶で以て一切の期待や希望を掻き消す。痛々しいほどに光から自身を遠ざける。それが罰だと、贖罪だとでも言いうかのような彼女に、息が詰まるような苦しさを覚える。 きっと彼女は知っていた。自分が長くないことを。だからこそ無茶な真似をし、自分を蔑ろにするかのような態度や行動をとった。自らの血も惜しげなく流した。そこには彼女が魔女であることの意義を見出すことへの焦りがあったのだろう。それを俺は止めろと言った。それが彼女のためになると思った。痛みを伴う流血は彼女に一層苦痛を与えるだけだと思ったのだ。けれどそれは違った。彼女が血を流すその行動を止めることこそが、彼女にとっての苦痛だった。 「ハジメには、絶対に幸せになって欲しいの。絶対に」 細く白い指が頬を包む。血が通っているのか疑いたくなるほど、白くて冷たい。彼女の手がこんなにも冷たくなったのはいつだろう。そうは言っても、出会ったばかりの頃はまだ自分と大差なかった。それが今やこの温度。熱を奪われる度に彼女の終わりは近付いている気がして、不安や恐怖の類が胸を占める。 「ね、ハジメなら大丈夫。幸せになれるよ」 尚もそう繰り返す彼女には、もう何も言えなかった。あんたがいなければ幸せなど成立しないということさえも。 (2010/7/13) (2010/7/20 加筆修正) ← ◇ → |