「渡せたのか」


 縁側で一人ぼうっとしている魔女を見付け、何となしに声をかけた。ゆっくりと首だけで振り返る魔女の顔には表情がない。


「なんのこと」
「あの紫陽花。本当は斎藤に渡したかったんじゃねぇのか」
「さぁ…」


 否定をしないということは肯定か。返事をすることすら煩わしいとでも言うように、魔女はまた目線を庭先へ戻す。

 ここの所雨ばかりが続いていたため、こんなにもからりと晴れるのは久し振りだ。しかし昨夜の雨の名残か、庭に植えてある木やら花やらは雨滴に濡れていた。軒先からもまた一粒滴が魔女の肩へ落ちる。随分長い間ここにいたらしく、肩や膝は濡れて染みもできている。


「ハジメは、いざとなったらオチミズを飲むらしいですよ」
「それで」
「…ワタシは魔女だから、助けてあげることはできない」
「そりゃあ、あんたの目的は」
「ちがう、ちがうのよ…」


 泣きそうな声で肩を震わす。白くなるほど膝の上で拳を握り締め、俯いたその時、軒先の滴とは違う一粒が彼女の手の甲で弾けた。

 その姿を見て、ああそうか、と気付く。魔女の体に流れる血は人の道を外れた人――羅刹にとっては禁忌。つまり、もし斎藤が変若水を飲む選択をし、その時あいつの傍にいるのが魔女だったとしたら、もがき苦しむ斎藤を前に血を分け与えることすらできない。きっと目の前の女はその事実に悔しさや歯痒さを感じているのだろう。


「起こってもいないことを悔やんだりすんな」
「わかんないよ、ヒジカタさんには…っ」
「…………」
「ワタシが魔女なんかになったばかりに救えなかった人がいる…。異質な力なんて手に入れても仕方ないよ…なのになぜアナタたちはそれでもオチミズに手を出すの…なんで…っ」


 最後の方は声も掠れておよそ聞き取れなかった。それでも聞こえた分だけ、答える必要がある。たとえ彼女が答えを望んでいなくとも、俺たちの意思は伝えておく必要はある。何も知らないまま、疑問を繰り返すのは苦しさが増すだけだ。


「その場凌ぎでも死ぬわけにはいかねぇからさ」
「は…、」
「お前も何かを何とかしたくて魔女になったんだろ。たとえ今は違っても、選んだその時はな」
「そうだね…」
「だから言うんだよ、“後悔”ってな」


 魔女の隣にしゃがみ込んで、涙で濡れた顔を拭ってやる。少々強く擦りすぎたか、泣いたせいか、その目元は赤い。けれど拭っても拭っても海の色をした瞳からは涙が絶えず零れてくる。「いい加減泣き止め」と言うと、大きく頷いて大粒の最後の一滴が膝の上に落ちた。


「例えば斎藤が苦しんでいたとして、できることは血を与えることだけじゃねえだろ」
「ん」
「そういう事態に陥らないためにどうするか考えろ。止めてやれるやつはいねぇのか、とかな」
「止めてあげるひと…」


 そう繰り返すと、目線は俺から外れ、また庭へと移る。先程から何を庭ばかり気にしているのかと思いきや、庭の隅には斎藤がいる。だが、一人ではない。もう一人、魔女と同じようにここで保護されている少女が斎藤の傍にいた。その光景を見据えて、彼女は口を開いた。


「ワタシじゃない、誰かが必要なんだ」
「…………」
「大丈夫、あの人ならきっと」
「お前はそれでいいのか」
「良いよ。ハジメが無事ならそれが良い」


 千鶴がいるから大丈夫だ、と何かを覚悟したかのように呟く。いや、思えばそれは魔女が自分自身に言い聞かせていたのかも知れない。自分では到底果たせない役目を担える誰かへの羨望を掻き消すために。
























(2010/6/20)
(2010/7/20 加筆修正)