それはふとした疑問だった。魔女と羅刹、その二つの存在は同じ人ではないものだ。片や毒を身に宿し、片や狂気を身に宿す。似て非なるそれらは、しかし元は人間だった。その経緯が違うだけで。

 薬を口にすることでその身が変貌する羅刹に対し、一種の儀式的なものを経て力を手に入れる魔女。今目の前にいる魔女も、ある儀式を通して魔女の血という毒を手に入れたのだという。そう、彼女の体に流れるのは人の血ではないのだ。

 では、と湧いた疑問は単なる好奇心からだった。


「魔女がオチミズを飲んだら、て?」


 魔女は自分の発した言葉を繰り返した。数回、目をばちぱちと瞬かせてきょとんとする。人が仕事をしている傍らで千代紙を折って遊んでいた彼女からすれば、それは不意打ちだったのだろう。そうして一呼吸置いた後、「なんで?」と疑問で返されてしまった。予想だにしなかった展開に思わず口籠る。いつものように簡単に答えてくれるのだろうと思ったのだが、どうやら違うらしい。更に、特別な理由などなかったため、彼女の問いに関する返答ができないのだ。そんなこちらの事情など察しているかのように、折り鶴の羽を広げながら小さく笑みを零した。


「あれは本来、正常な血を持つ者の体を変える薬だよ」
「ああ」
「だとしたら、既に毒に塗れた血を持つワタシがどうかなんて分かるよねぇ」
「…………」


 よく分からない。だが彼女の口ぶりからするに、通常の羅刹と同じ道を辿るとは考えにくかった。だとすれば、考えられるのは危険な状態にでも陥るか、暴走した羅刹のように発狂するのか。それとも、と嫌な予感が頭を過ぎる。…最悪、命を落とすのではないか、と。

 魔女は耳に馴染みのない調べを口ずさむだけで、それきり何も言わない。或いは俺が何か言うのを待っているのか。彼女の周りに散らばった幾つもの色とりどりの折り鶴を見つめながら、俺は言葉を探した。どうやら彼女は鶴しか作れないらしく、同じものばかりがどんどん増えて行っている。俺が思案している間にも、慣れた手つきで器用に折り進め、何羽目かの鶴が完成間近となっていた。


「オチミズを飲んだ所で、ワタシは皆と同じ苦しみを味わうことはできない。魔女の血とオチミズが反発し合って死ぬだけ」


 さして興味もなさそうに淡々と答える。羅刹の増加を止めたい彼女からすれば、自身が変若水を口にすることなど以ての外なのだろう。何でもないことのように言ってのける。鶴を折る手は止めず、こちらも見ない。何の色もない、抑揚もない声だった。無神経な質問をしてしまったと僅かに後悔しつつ、「そうか」と短く返せば、彼女は小さく笑いを漏らした。


「ふふ、そうやって死ねたら楽だねぇ」
「あんたは死にたいのか」
「誰だっていつかは死ぬでしょ。ただそれがいつなのかが違うだけで。ハジメだっていつ死ぬか分からないもの」


 それは、俺の問いに答えているようで答えていない。彼女自身の願望としてどうなのか、という点だけは、答えることを上手くかわしているのだ。しかもその口ぶりからするに、彼女はそう簡単に死ねないようでもある。とすると、やはり彼女は死への願望というものがあるのだろうか。


「ハジメだったら飲むだろうねぇ。新選組のため、なんて言っちゃってさ」


 いつもと変わらない笑みで簡単に当てて見せた。そうだ、いざという時には変若水に手を出すことだって俺なら厭わない。正しいだとか間違っているだとか、そういう類の問題ではない。自分自身を貫くためなら躊躇わないだろう。所詮、俺一人にできることなど限られている。その中で自分が成すべきことを成すためならば、変若水にだって手を出す。

 けれど変若水も羅刹も快く思わない彼女の前で、そのようなことを堂々と言えるはずもなく、また黙り込んでしまう。話の続かない俺にふっと笑いかけ、今できたばかりの朱色の折り鶴を彼女は差し出す。


「もしそうなった時、ワタシはハジメを殺せない。けれど助けてあげることもできない」
「俺は助けを望んでいる訳ではない」
「違う。ワタシが、手を差し出せないワタシを憎むだけ」


 だから千鶴が羨ましい、と言って、俺の手に鶴を握らせた。白く細い手が自ら触れたのは、これが初めてではないだろうか。いつも引っ張ったり手当てをするために無理矢理彼女の手を引くことが多いが、思えば彼女から触れて来た覚えがない。

 しかし何故そこで雪村が出て来るのか分からない。この間もそうだ、何故未だに彼女は雪村を引き合いに出し、雪村に拘る。彼女と雪村の違いは何だ。固執するまでの理由はどこにある。考えども考えども堂々巡り、答えは見つからない。けれどそこで「何故」と聞くのは違う気がした。いくら新選組で監視扱いされていようと、それこそ無神経極まりない。

 そうして彼女の手は引き留める間もなく離れる。それが惜しくて、袖から僅かにはみ出た雪のように白い手首を今度は俺から掴んだ。すると目を丸くして驚く魔女。


「ハジメ?」
「あんたの望みを叶えることはできないかも知れぬ」
「…ん」
「だが、できるだけ悲しませないようには、努める」
「いきなり、なあに?」


 困ったように小さく笑う。すると今度は膝立ちになり、空いた片手で俺の頭を引き寄せた。まるで幼子をあやすように、ゆっくりと髪を撫でられる。その行動の意味する所がまるで理解できず、思わず彼女の手首を掴んでいた左手から力が抜ける。それに気付くと、彼女は両腕で俺を抱き締めた。


「優しくされても返せるものなんか何もないけど」
「いや…」


 初めて知る彼女の体温は、やはり人のそれと同じだ。冷たいわけでも熱いわけでもない。自分の体温ともさほど違いがあるわけでもない。

 人ではないと豪語する彼女を、やはりそれでも人だと思う。


「これで十分だ」


 ちぐはぐで迷い続ける彼女を、離してはいけないと思う。
























(2010/6/19)
(2010/7/20 加筆修正)