丁度、初めて出会ったあの日のように月も丸く、互いの顔がおよそ確認できるほど明るい夜。ただ一つ違うのは、今夜ここには私とハジメ以外にラセツがいないこと。風も吹かない静寂に耐え兼ねて、先に私が口を開いた。 「何のつもり?」 「考えていた」 「考え?」 「あんたの言葉を…最初から全て、あんたの心はどこにあるのかを考えていた」 「……で?」 それがなんだと言うのだ。何もかも今更じゃないか。失言を繰り返したことも、矛盾を生む言葉も、全て今更だ。それをわざわざ掘り返して、ハジメは一体何をしたいと言うのだろう。私の言葉を探って、心の内を荒そうとでも言うのだろうか。そうすればハジメにとっても厄介ごとから遠ざかれるし、丁度良い。それは余りに合点のいく話だ。けれど、ハジメの口から出たのは予想を掠めもしない内容だった。 「今のあんたを動かしているのは“後悔”だ」 「…………」 「腕を簡単に差し出すことも、血を流すのを厭わないことも、雪村を羨むことも、根元にあるのは後悔。…違うか」 「…すごいね、違わない」 そう、だから私は苦しい。後悔を源に動いた所で、得られるものなどありはしない。そこには何もないし、先にも何もない。過去に引きずられて、縛られているわけだから、先へ続いて行くものは一つもないのだ。あるとしたらきっと、それは最期だけ。惨めでろくでもない最期だけ。 だから私は最期をハジメに託したかった。死ぬその瞬間くらいは自分で選びたかった。生きる場所すら追われた私でも、せめて終わりくらいは、と。でもそれすら私には赦されないことだったのだろうかと、今になって思う。 「過ちに縛られるな。動けなくなるぞ」 「もう遅いよ」 「まだ手遅れではない」 「しつこいなあ…」 私を未だ掴んで離さないハジメの手を強く振り払った。けれど跡がつくのではないかと言うほどかたく握られた手は、そう簡単には離してくれない。むしろ逃れようとすればするほど、ギリギリと締め付けられた。 今度こそ終わりだ。私の心を“人のもの”と言ってくれたハジメも、さすがに私を見切るだろう。自分を満たすために魔女になった、復讐のために力を手に入れた、そんな私をまだ人だと言える方が不思議なのだ。同情か、憐れみか、だとすればそんなものは私には必要ない。さっさと突き放してくれればいい。 「じゃあハジメがワタシにこだわる理由は何?」 「分からない」 「何ソレ」 「だが、いい気分はしない。無闇に自らを傷付けるなど、」 「だって所詮他人事でしょ」 「…動機に嘘がないからだ」 お父様とお母様が大切にしていたものを壊すわけにはいかない―― 以前ハジメにそう言ったことを指しているのだろう。確かにあの言葉は嘘なんかじゃない。お父様もお母様も私の何よりの誇りだ。迫害されてなおこの国を愛し続けた二人を、私はこの世の誰よりも尊敬している。だから、私の思い云々を抜きにして、この国を羅刹の力で以て強くしようなどと考える輩を消そうと決めた。 どちらにしろ血生臭い感情には変わりないのに、ハジメはそうは捉えなかった。その私との相違は未だ理解できない。 「苦しいなら言えば良い。誰もあんたに一人で生きろなど言ってはいないだろう」 「別にそんなこと…」 「虚勢は疲れるだけだ」 「だから虚勢なんて…っ」 まるでこれまでの自分を否定されている気分になる。これでいい、これで正しいと何度も自分に確かめてやって来たのだ。それなのに、私がやって来たことはやはり全部間違いだったのだろうか。どこかで何かを、ではない。最初から、そうだ、魔女になったことだって。 「まだ間に合う」 「嘘だ」 「嘘ではない」 「信じない」 「信じろ。俺ではなくあんた自身をだ」 ワタシ? 半分笑いながら返す。自分なんて一番信用ならないじゃないか。自分の信じるがままに生きてきた結果がこれなのだ。このまま自分を信じることなんて私にはもう無理な話。けれど、だからと言って他の誰かを信じられる私ではない。 「自分を信じられないまま人を殺すことはするな」 「………」 「それができないなら、すぐにでも俺があんたを殺す」 ざあ、と強い風が生温い空気を攫った。停滞していた重さを、その風とハジメの言葉が流して行く。 殺す――きっと目の前の人物にそんな気は更々ない。その気があれば私に有無を言わさず斬るだろうから。でも何を期待されているのか分からないのだ。殺すことをやめればいい?自分を蔑ろにしなければいい?誰かを羨むことをやめればいい?きっとどれでもない。多分だけれど、何かをやめることを望んでいるのではないのだと思った。私の予想でしかないけれど、ハジメは私に先を見て欲しいのではないだろうか。…人斬り集団の中にとんだお人好しがいたものだ。 「ハジメはやっぱり甘いね」 「またその話か」 「うん。…その甘さに免じてもう手出しはしない。血は使わないよ」 「本当か」 「ハジメに嘘ついてどうすんの…」 先程までの鋭い空気は一変、目を丸くして詰め寄って来るハジメに、私は力無く答えた。それを確認すると満足したようで、「帰るぞ」といつもの調子で短く言い放つ。行き場所もないので私はその背について行く。 「血は使わない」、それだけの言葉だ。けれどたったそれだけの言葉の中には、私の魔女として生きる意味の全てをも葬ることが含まれている。ハジメはそれを知って尚、そうやって安心したような表情をするのだろうか。 やっぱり生温い空気が、肌に張り付いて気持ち悪かった。 (2010/06/14) ← ◇ → |